分かったつもりでよく使う言葉ほど、実は不明確だったりしますからね(苦笑)
経営者の家系に生まれ育った影響もあり、いつの頃からか「経営」という言葉が日常にあり、物心ついた時から、普通に聞いて、無意識に使っていたような気がします。
しかしながら、私はこの「経営」という言葉ほど、人が日常的に当たり前のように使いながらも、
使う人によって、あるいは同じ人でも使う場面によって、その意味合いが違っていたり、
あるいは言っている本人ですらその定義が曖昧なまま、取りあえず使っていたりと、
そういう意味で、よく分かりません。
日本語というか言葉というのは、辞書で調べれば書いてあるような、それ自体の「意味」がどうであるかよりも、
言葉の前後の文脈から、相手が言わんとするその言葉の「意味合い」を紐解いて理解を求められることの方が多く、
特にこの「経営」というのは、言っている人によって、何をもってして「経営」と言いたいのか?は違ってきます。
私は私なりのシンプルな定義を持ってはいますが、それは私個人の人生経験に影響されている側面もあるでしょうから、
(廃業と上場の経験というのは私にとっては、やはりとても大きく影響されているのだと思う。)
私の定義が果たして他人と同じかどうかは、一口に「経営」という単語だけでは全く分からないというのが、私の前提です。
多くの経営者と称する人たちとお会いしてきたし、今でも「経営相談」という前提で、多くの経営者の方とお会いいますが、
そういう方々の話をよくよく聞いてみると、
ある人は「儲けること」、ある人は「損得勘定できること」、ある人は「人を動かすこと」、ある人は「人の感謝されたい」、ある人は「これからどうしていったらいいのか知りたい」、ある人は「ただ困っている」、ある人は「他人を自分の思い通りにしたい」、ある人は「ただ自分の話を聞いて欲しい」、ある人は「人に役立ちたい」、ある人は「人に認めて欲しい」、ある人は「チヤホヤされたい」、ある人は「尊敬されたい」、等々、実に様々です。
また、時に教科書を記憶しただけの言葉であったり、時にご自身の人生経験に基づいた定義であったり、
まぁ、そこを聞ききるまでには、色々喋るので(笑)、一つ一つを確認しながら聞いていくのはとても面倒で(笑)、でもそこが面白いところだったりします。
例えば、「私は誰々の下で経営を学びました。」という人がいたとして、
①その誰々さんが、やっていたことや考えを『経営』と言っているのか、
②机上で学んだ経営の知識を、誰々さんの元で実践してきたので自分にはその経験という財産がある、と言っているのか、
聞いてみない事には、さっぱり分かりません。
ややこしいのは、取りあえず「経営」という言葉を使っておけば、何となく立場上優位に立てるので、何かというと「経営」という言葉を使って、話を進めたがるアホな先輩や上司や社長に遭遇した時です。
何かと言うと、すぐに「だから、お前はまだ『経営』が分かってないって言うんだよ。」と、その単語だけを言ってくるアホは結構いて、若い頃の私は時々困惑しました(笑)。
人に「分かっていない」と言う、という事は、言っている本人は「分かっている」ということだろうから、
思い切って「そもそも『経営』って○○さんにとって何なんですか?」と聞いてみると、
それがまた曖昧で結局何を言ってるのか分からなかったり、長時間喋るだけだったり、
最悪なのは「それは自分で考えろ」という都合の良い言葉で誤魔化したり逃げたりする場合だったり(笑)、
そういうアホは、案外その辺にいくらでもゴロゴロいますよ(笑)。
思うに、中小零細の社長さんの、
「お前はまだ『経営』が分かっていない」と言う人の多くは、
「私の考えていることや、やり方をもっとちゃんと知って欲しい。私を理解して欲しい。私の思い通りに動いて欲しい。」と言っているような気がします。
すなわち、「もっと私を見て見て、ちゃんと見て。」「もっと私をチヤホヤして。」と。
(ご本人は当然肯定しないとは思いますが(苦笑)。)
まぁ、今思えば、きっとそうだったんだろうなぁ、と理解こそできても、反面、
でも、そんなこと訴えられても、「知らんよ、そんなもん(笑)。寂しい人生だなぁ(笑)。」となる(笑)。
言葉の定義が明確でない奴ほど、その言葉を取りあえず使って会話や主張を進めたがる傾向というのはあるんだろうなぁと思っています。
よって、自分の口からよく出る言葉やキーワードほど、よくよく考えて自分なりの定義を持つことは大事なのだと思うのです。
こうして文章を書く時によく出す単語とかもね。
例えば、上のアホマンガの吹き出しの「経営」という単語を、
「リーダーシップ」とか「マネジメント」とか「マーケティング」とか、「商売」とか、「ビジネス」とか、「○○業界」とか、「情報」とか、「理念」とか・・・・、
そういう言葉に置き換えてみて、自分なら何と言うかを考えみると面白いです。
まぁ、大事そうで、頭良さそうに思えて、偉くなったと勘違いできて、何となくは分かっているつもりだけど、
改めて聞かれると実は明確でもなくて、にも関わらず、いつもその言葉を人に使っていたり、社内や仲間内で共通言語として使っていたりする言葉というのは、自分が自覚しているよりたくさんあります。
それを共有していない限り、共通の目的は達成できないか、難しいことになると、経験上思うし、
逆に共有できれば、それがチームとか組織の本来の前提となると思うのです。
当たり前のようにいつも使っているその言葉は、
①自分なりの定義が端的に言えるか?
②根拠となる経験や具体事例を出せるか?
③聞いている側が映像化できるか?
そうやって改めて考えてみることは、社長やリーダーのみならず、これからの社会で活躍する誰もが、自分なりにしっかり考えておくべきことだと思っています。
じゃないと、お互い永遠に、④コマ目から、①コマ目に戻る、クルクルマンガ状態になれかねません(笑)。
そういえば、この前、大学受験を控えた息子が、「経営に興味がある。」と言っていたので、
「経営って何だ?」
と聞いてみたら、私とは違うけど、とても面白い答えが返ってきて参考になりました(笑)。
もちろん否定などしません。
私がそうであるように、本人がそうだと信じられれば、それでいいのです。
後で変わってもいいから、一旦は自分なりに決めてみること。
私はそれがとても大事だと思っています。