そんなこと言ったら「元も子もない」現実の向こう側にチャンスはある
何だかんだ言って、「見た目」で決まるんじゃないかなぁ、と思うんです(苦笑)。
そんなこと言ったら、もうどうしようもないし、「元も子もないじゃん」みたいなことになるんだろうけど、
現実的にはそういうことって当たり前のようにあって、でもそういうこと言っちゃいけないから口には出してストレートには言わないんだろうけど、
言わないだけで、結局のところ、そういうことなんでしょ、というのは確実に存在すると思っています。
「そんなこと言ったら『元も子もない』じゃん。」
というような結論に行く着くことは、私の場合は多々あって、
例えば、どの経営者勉強会やセミナーに行っても、できる奴はどこ行ってもできるし、ダメな奴などこ行ってもダメ、とか(笑)、
結局のところ、持って生まれた才能とか、肉体とか容姿とかいった生まれつきの何かの問題とか(笑)、
そういうことを煎じ詰めて考えていくと、
何かの領域で、努力をどんなにしたところで、生まれつきとか、3才くらいまでの親の影響や、育った地域環境の問題だとか、そういう段階でもうすでに全てが決まってんじゃん、無駄じゃん、諦めとけよ、みたいな、
それこそ、そんなこと言ったらもう何もかも「元も子もない」じゃんみたいな結論に至ってしまって、じゃあどうすりゃいいんだよ、と一人問答することは、私は良くあります(笑)。
そう思える項目はいくつかあるその中で、特にどうしようもないじゃん、と思えるものの一つに「見た目」というのがあるわけです(苦笑)。
何だかんだ言って、人は人を「見た目」で判断しています。
と言うか、私の場合は、特に第一印象は「見た目」だけです(苦笑)。それ以外に相手を判断することができません。
そういうことをこうして言っていい時と悪い時があって、世間的には恐らく言って悪い時の方が圧倒的に多いだろうから、
そんなことは、人はストレートには言わないでしょうし、当然私も言いませんけどね(笑)。
問題は、そういうことを、分かった上で自分の見た目を作っているか、分からずに生きているか、ということだとは思ってはいます。
まぁ、ここまで言っときながら、私はどんな「見た目」にも関わらず、「ブログやSNSで個人を発信すべきだ。顔を出すべきだ。」と、片方で言っている私もいます。
これはその人の「見た目」が自分の好みかどうかという主観の問題ではなく、価値観が多様化している現代においては、私から見てどんなに「見た目」が私の好みでなかったとしても、それはどこまでいっても私個人の主観なので、地球上の他の誰かは好む可能性が十分にある、あるいはそんなこと気にしない人もいて当然だろうという考えからですね。
私は「価値観の多様化」というのは、「好き・嫌いの基準の多様化」ということだと思っていますから。
そういう意味では、個人ビジネスで成功するチャンスは大きくなっていると仮説を立てていて、だから、個人の情報や顔は出した方がいいよ、ということです。
だから、自分の「見た目」というものを、自分でどう思っていようと、誰かがそういう自分を好んで、「あぁ、こういう人と一緒に仕事がしたい。」と思えばいいのですから、
それはやってみないと分からないので、やってみればいいと思うのです。
実際に、私から見て、その「見た目」で、その仕事は向いていないんじゃないか?と私からしたら思えても、立派に成立させている人というのはたくさんいて、驚くと共に、何か大切なことを教えらるような気になります。
人というのは、本当に多くの価値観があり、また、一人の人格の中にも様々な価値観が混在していて、どこでどう判断して行動動機が発生するのか分からないし、だからチャンスはたくさんあるし、面白いと思うのです。
「見た目」は確実に成果に影響すると個人的には思うものの、
だからと言って、「見た目」を意図・意識する方がいいのか、しない方がいいのか、私にはよく分かりません。
ただ、思い切り個の発信をしてみる努力は必要だと思っていて、それは何故かというと、5年くらいはやってみて、それでダメなら、その領域や仕事においては自分の「見た目」は向いていないと分かりさえすれば、「見た目」は関係しないような別のステージで頑張ればいいと思うからです。
「誰よりも努力した。頑張った。でも『見た目』が向いてなかったんだよ。」
すなわち、
「誰よりも努力だけはした自信はある。でも才能がなかったんだよ。」
と言えたら、そういう人には次の世界が開けると思うし、努力している姿をちゃんと評価・共感している人はいて、そういう人にだけチャンスはやってくると信じています。
まぁ、そうとでもしとかないと、自分自身に「お前、元も子もないじゃん。」なるからね(苦笑)。
「見た目」は大事です。しかし、もし、今やろうとしていることに対する「見た目」が違っていても、自分の素晴らしい人生は創れるのもまた事実だと信じています。
「人を『見た目』で判断してはいけない。」と教えられてきた記憶が私にはありますが、あんなもんはキレイごとの刷り込みだと私は思っています。
「人はあなたを『見た目』で判断します。でも『見た目』だけがあなたの固有の価値ではありません。『見た目』も『見た目とは関係しない領域』の両方を認識する心の目を持ちなさい。」
の方が納得できるかなぁ。
まぁ、私の主張に過ぎませんがね。
というわけで、私は「見た目」に自信がないので、最近は、適当なアホアホラクガキを中心にブログアップしてるのかも知れんなと自覚するのでした(苦笑)。