「流れに合わせて変化する自分」と「変えようのない独自のアホ自分」を考える(笑)
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溜まりまくったスマホカメラロール画像を整理しようと見ていたら、
いつ撮ったのか記憶も定かではない「口出し画像」がたくさん出てきました(笑)。
ブログで公開しようとしまいと、あちこちで何か見つけては撮っているので、私にとっては、いたって日常的な行為なのですが(笑)、
いくつもの「口出し画像」を見ていると、さすがにというか、えぇ加減、自分で自分がアホとしか捉えようがありません(苦笑)。
時々、「なんで、あんなことやってんですか?」と聞かれるのですが、
当然、自分でも分かりません(笑)。
ただ一つ言えるのは、子供の頃からの、ウルトラマンやゴジラを代表する特撮世界の影響からか、
昔から遠近法描写に対する、強い興味があったのは確かなようで、
先日見つけた、中学2年当時の写真では、
キンチョールの噴射を、遠近法を何とか駆使して、ゴジラの放射火炎になるように、口から出しています(笑)。
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嫌がる姉に無理を言って撮ってもらったのですが、意図が伝わっていなかったのか、
遠近法のはずが、見事にズレていますが(苦笑)。
当時は、カメラしかなかったので、現像があがってくるまでどうなってのか分からなくて、
想像していた完璧な放射火炎とは出来上がりが程遠く、ガッカリした記憶が鮮明です(笑)。
こういうアホ丸出し遍歴を目の当たりにすると(苦笑)、
なんだかんだ言っても、変わらんもんは大して変わらんのだなと思えます(笑)。
片方で、時代や世の中の変化に対して、自分も変わっていくのは大事なれど、
もう片方で、自分のアホ根本は大して変わらない(笑)。
時代の流れに対しては、しなやかに順応して、
無理することはない変わらない自分は何なのか?
という二つの軸と、その接点をどこに置くか?という認識や思考はとても大切だと思っています。
この感覚がないと、
「変わる」ということを、それまでの自分とは全く違う新しい自分になろうとすることと思い込んだりして、
それだと、いささか無理が生じるでしょうね。
無理はキツイ。
自分の根本なんてのは、そんなに大して変わらないと思うのです、
というか、
私は、こういうことをなりたくなるアホ加減は、昔から全く変わってないわけだから、
自分の何かを変えようとして「口出し画像」を撮ってるわけではなくて、
昔も今も、アホ日常をただ生きているだけなわけですね(苦笑)。
社会の変化に対して、自分の独自性をいかに打ち出して行こう?と考える場合、
新たな何かを模索することよりも、もともと自分が好き好んで実際に行動してきたことを、よくよく振り返ってみた方が有効だと、私が思うのは、こういうことからなんでしょうね。
とは言っても、私の「口出し画像」遍歴なんてのは、
社会に対する独自性なんてのは愚か、
屁の虫以下もクソもへったくれもないわけですがね(苦笑)。
まぁ、現在のアホ画像をスクロールしながら、適当にそんなことを頭の中をよぎるわけです(笑)。