「何となく分かる」が「明確に分かる」かどうかに大きな分岐があるんだよ

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お仕事先の営業会議で、なんか(笑)重要な概念を説明しようとして、

その具体的な例えとして、ピカソの絵画思想の「キュビズム」というのを説明しようとして、

そのキュビズムとは何なのかを説明しようとして(笑)、

ホワイトボードにピカソっぽい絵を描こうとして(笑)、

結局、見た目にはお絵描きの時間になってしまいました(笑)。

 

子供の頃からね、ピカソの絵ってマンガみたいに見えて(苦笑)、

一見、そんなの誰でも描けそうだし、僕にも描けそうで、適当な絵やマンガとどこがどう違うのか、よく分かんないのに、何でそんなに芸術作品という結果だけ教えられるんだろうなぁ?

と疑問と言えば疑問に思ってました。

まぁ、夜も寝れないほどではないですけどね、当然(笑)。

 

だって、現に私だって15秒くらいでそれっぽい絵はこういてピャッピャッと描けるわけで(笑)、

でも、その価格相場としてはウンコ以下・ゴミ以下の価値すらないわけで(笑)、

何なら「こんな落書きしやがって、金払え。」くらいのマイナス相場になるわけで(笑)、

でも、ピカソの絵は1億とか2億とか、いやよく分かんないけど(笑)、天文学的な金額で取引されたりするわけでしょ?(笑)

 

それは、一体何なのか?ということですね(笑)。

その理由は一体どこにあるのか?ということですね(笑)。

 

多くの人は、「そりゃピカソの絵だからだろ。ピカソが描いた本物の絵だからだろ。」的な答えになるんでしょうが(笑)、

たっかっらっ、そのピカソが描いたら何で価格相場が上がる程に、どこにその価値を見いだしてる根幹があるんだよ?

ということになるわけですね(笑)。

 

こんなどうでもいいようで、でも何となく大事そうで、

分かるような、分からないような、

何となく分かったと思っても、それはホントに分かってるのか分かってないのか、分からないような(笑)、

そういうことが、私にとってはとっても大事だと思うのです(笑)。

 

ってか、昨今における中小零細個人企業が資本主義社会の中でいかに生き抜いていくかの最終的なキモはここに集約されるのではないか?とすら、

ほぼ結論づけ始めているとも言えます。

偉そうに言えるまでには、まだ研究中なんですけどね(笑)。

 

だってさ、資本主義っていうのは、基本的には「資本を持っている方が常に有利で、常に勝つってことなんだよ。」っていう主義なわけで、

それがいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、それは置いといて、そういう主義なんだから主義なわけですね、と私は定義している。

 

でも、それなら、例えば、一つの業種業態で、世の中での資本を一番持っている会社の一社独占にならずに、

何で、現実に零細・個人が今日も存在してんのか?ってことになる。

人は、零細・個人企業の何を買っているのか?ってことになる。

 

例えば、私のどーでもいいオリジナルステッカーや、バッジや、ブログ本とか、そういうのは、

セミナーに来て頂いた方や、いつも会ってる人は、なんでか知らないけど(苦笑)、お金払って買って頂けるのだけど、

一般の雑貨屋さんとか、本屋さんで売ってても、ゴミ以下で(笑)、絶対に売れないことは分かるわけです(笑)。

それは私だけではなくて、誰もが何となく分かっているわけです。

この「何となく分かっている」という「何となく」が果たして「何なのか」が、

ちゃんと分かるかどうか、あるいは普遍的でなくても、自分の中で明確な定義が持てるかどうかが、

生命線の分かれ道となると思っています。

 

っていうことを共有したくて、でも概念的なことは言ってるだけじゃ分かんないので、

私が出した事例は、このピカソもどきの落書きとか(笑)、

アホユーチューブ動画とか(笑)、

敬愛するメンズファッションイラストレーターのイラストとか(笑)、

映画「大脱走」の中で、脱走計画している渦中で難関にブチ当たった「脱走用トンネルを掘って出てきた砂をどうやって敵に気づかれないように処理するか?」の場面を観るとか(笑)、

そんなことばっかりやってるもんだから、

どう考えても、会議やってるのに、見た目にはアホにしか見えないのです(笑)。

 

でも、とは自覚こそはしてはいますが、

実際には、本当にただアホ話しているだけなのかも知れなくて、

そこは我ながら明確ではありません(苦笑)。

 

ご参加頂いている皆さんには、いつもお付き合いして頂けて、

感謝の言葉もありません(笑)。

いつも、ありがとうございます(苦笑)。

 

俺はマジで大事だと思ってるんだよ(笑)。
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