「考える」を「考えない」方が価値になる時代か?(笑)
今の時点での既存のアイデアとか発想というのは何かしらあって、
それを実現しようとして、実行してみる。
実行する経緯の中で、新たに気づくことがあり、次のアイデアや発想が生まれる。
この連鎖は生きていて、人社会の中で生きていれば分かります。
しかし、AIの導入によって、まるで予測しない偶然のアウトプットが、
元々実現させてかったアイデアや発想を超えてしまって、こっちの方がいいじゃん、ということは、
少し触ったり、遊んだ人なら、誰でももうすでに認識していると思います。
偶然の産物の価値の方が、もともと予測していた価値よりも高くなる確率が飛躍的に大きくなっていることを考えると、
アイデアが大事だの、発想力が大事だの、まるで自分の思考が価値の根本だと言いながら、
それは思い込みにすぎず、実は、AIによる比率の方が大きくなっているのが現実となる。
こう考えると、「AIを使いこなす側になろう」とか「プロンプトが大事」だの、いい気になってといるのは人間だけで、
人と人の間にAIが入ったが最後、
そこから先はもうAIに支配されるという現実はもう避けられないという予測は成り立つ、と私は思っています。
となると、それを前提とした上で、自分しかできないことを考える、となるわけですが、
考えたところで、AIのアウトプットの方が価値が高いという前提に戻ってしまうので、
そうなると、自分で考えたと勘違いしながら、何も考えてないアホなんだけど、
自分で考えてやったんだ、と自慢げに人に言い切れるくらい何も考えない人、
になるのが一番というのは選択肢の一つとして成り立つわけで、
私は、それで行ってみよう、と「考えて」います(笑)。
要するに、一言で言うと、「バカが勝つ」という、待ってました!と言わんばかりの、すごくいい時代になってきたと思っています(笑)。