「模範解答」と「やりたいこと」は一致しないピンボール(笑)
社会に出てから、何時の頃だったか、何かの研修で、
「自分のやりたいことを100個書き出す」
というのがあった。
既成概念にとらわれず自由な発想で書いて良いというフレームだったように記憶しています。
私は、少し考えて、一行目に
「自分で造ったピンボールマシンを毎日やり続ける」
と書きました。
そこから思いつくままに、子供の頃からやりたかったことや、欲しかったもの、手に入らなかったものを、有形無形に関わらず一気にどんどん書いていきました。
私なりに心から本気でやりたいと思えることをたくさん書いたのだけど、
それを見た研修講師だったか上司だったかが、怪訝な、あるいは呆れたような不機嫌な顔して、
「社会人なんだからな、もっと仕事に役立つような、例えば趣味にしても、ゴルフとか、そういうのはないんか?」
みたいなことを言いました。
私は、
「あ、はぁ、すいません・・・・。」
としか言えなかったけど、
「こいつはアホか?だったら、最初のフレームでそう言えよ。そしたら、それに合わせたような模範解答を意図して必死で考えるよ。でも、そんなのは、やりたいことじゃなくて、書くべきことだろ、つまらんな。」
と思っていました(笑)。
子供の頃から、私なりに本気で真面目でも、周りからは、ツヴォイはふざけていると思われるんだな、みたいな出来事は結構あって、
その度に、ちょっと悲しくなることはあって、
この時も、そんな気持ちになりながら、私としては、自分は何を謝っているのかよく分かりませんでした(苦笑)。
それから随分と経って、家業を廃業して、次にスタートさせたリサイクルショップは、
立ち上げて数年経った時に、フと当時自分が書いていた100個のモノやコトが詰め込まれていたことに気づきます。
そして、紆余曲折はあったものの、結果的にはだけど、その世界観を基本にして10年で株式上場の経験に繋がりました。
模範解答は分かっておくとしても、それは「やりたいこと」とは必ずしも一致はしていなくて、
それを立証するには実績しかない、というドロドロした感情みたいなものが、根本的な強い動機にはなっていたのだろうな、
と今にしてみれば自覚します。
模範解答は、試験や社会一般としては成立するが、こと独自の価値においては、つまらんのだろうな、と思う反面、
故に誰も理解しにくいとか、ふざけているとか、目立ちたいだけと思われるリスクもあるのだろうな、と思うわけで、
それはどっちがいいかより、どっちがしたいのか?好きか?ということなのでしょう。
ちなみに、一行目に書いたピンボールは、まだ実現していません(笑)。
ここまできたら、なんとか実現したいとは思っています(笑)。