古いスタジャンに宿るのは、残酷な老害のリアルか?(苦笑)
自分が20代の頃に買った50年代のスタジャンを羽織った60代のオッサンが、リアルタイムでスタジャンを着ている若者に語っている。
『私が君くらいの年の頃、80年代の大学生だった頃、日本では空前の「スタジアムジャンパー」ブームになってな、
本格派のアメリカ製のタイプから、ビンテージの古着、
なんちゃっての国内ブランドから、体育会やサークルの仲間でオーダーしたオリジナルから、
果てはDCブランドまで、全てのアパレルがスタジャンを創っていて、
学校も街も、スタジャンを着た若者で溢れ返っていたんだよ。
アメリカの匂いがプンプンするスタジャンは、アメカジ衣料の象徴で、私も、あの映画のワンシーンを彷彿させるその世界に随分と憧れてな、
アルバイトしては、当時出た500円玉を貯金して、スタジャンを買いに、上野の老舗ショップや、原宿の古着店、渋谷のメッカ「バックドロップ」に足しげく通っては、物色したのもさ。
当時の夢は世界中のスタジャンを集めることだったな(笑)。
実際にはお金がなくて、とても集めることはできなかったけれど、
今になって、こうしてAIの中で、自分に好きなスタジャンをどれだけでも着せて楽しむことができる。
あの当時はイラストを描いていたけど、こんな風にフィギュアになって。画面の中で動くようになるなんて夢にも思わなかったな・・・。
いいかい、若者よ、時代は凄いスピードで動いているのが私にはよく分かる。
今は夢にも思っていないことが、明日には普通にできるようになっているはずだ。
世の中には変わらない大切なものはあるけど、変わっていくもののスピードは瞬く間で、光よの速い。
その両方を知っておくんだ。
時間がある今のうちに、色んなことに興味を持って勉強しておくんだ。たくさん経験しておくんだ。
それはきっと君の人生にとってかけがえのない財産となる。』
と、仮に、こう語ったとしたら、それは、「老害」なんでしょうかね?(笑)
別に、頼まれん限り、語らんけどな(笑)。
人は、自分の人生の肯定を確認するように、自分の人生と価値観を、人に語りたがる。
それゆえ、他人の人生時間=命をやみくもに使うという愚かな行為に出る。
しかし、それを聞きたいと欲する人はほとんどいない(苦笑)。
やるほどに、ほとんどの人は、必要とされていない残酷な自分の現実を受けとらねばならない。
本当は「老害」などないのかもしれない。
年齢は関係なしに、「誰の話は聞きたくて」、「誰の話は聞きたくないのか」があるだけで、
それはずっと前から任意のコミュニティや集落の中で続いているのではないかと思う。
年を取ると、ただ手遅れになるというだけだ(苦笑)。
どこに行っただの、何を食べただの、今日は何を思って、どんな感情になっただの、
ほとんどの人の情報は、他人にとって、どうでもいいし、屁の虫ほどの価値もないのだろうと思う(苦笑)。
せめて、どうすれば、どの領域で、誰かから、話を聞きたいと思われる側になれるか?
に、それでもチャレンジしようと足掻く、人知れずのリアルな生き方をするくらいは、生きている限り諦めずにしていたいとは思うのです。
で、肝心なのは、何でどうすればいいんでしょうかね?(笑)