ツヴォイ式お絵描き058「アントニオ猪木」12
「館内総立ち」という概念を知ったのは、小学校4年生当時に観た、
「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」戦(1975年12月11日・蔵前国技館)
の二本目、タイムアップギリギリに猪木が「卍固め」を決めた瞬間でした。
実力が拮抗する二人の名勝負は、60分一本勝負の40分過ぎに、ロビンソンが電光石火の「逆さ抑え込み」で、「してやったり」の一本目を先取。
タイムアップが刻一刻と近づく中、このまま引き分ければ、猪木の虎の子「NWF世界ヘビー級タイトル」は、海外流出してしまう緊迫感の中、
それでも猪木はペースを掴めず、ロビンソンの猛攻を受け続けます。
「頼む、何とか引き分けてくれ!!」というような、もう悲壮感に近い、観客の願いとも思える雰囲気がテレビ画面からもひしひしと伝わってくるわけです。
「勝ってくれ」じゃなくて、「引き分けてくれ」です(笑)。
くどいようですが、「勝つ」じゃなくて、「引き分ける」ことの方が価値が高くなる状況なのです(笑)。
こんな願いが館内充満するなんていうプロレスの試合は、後にも先にもコレしか知りません(笑)。
そんな中、タイムアップギリギリで、ロビンソンの一瞬のスキを突いた、切り札「卍か固め」が決まった瞬間、
もう、正に館内は「総立ち」状態で、
(現場にいなかったわけだから、実際にそうだったかどうかは知らないけど、この際それはどうでもいい(笑))
その興奮がテレビを見ているこちらにも伝わってくる、という、テレビを観ているコッチまで「総立ち」になるわけで(笑)、
一緒に観ていた、当時小学校一年生の弟までもがテレビの前で立ち上がって猪木に「イケー!!!」を叫びながら応援しているわけです(笑)。
今思うと、大人が観るプロレスで、
小学校一年生の子供までも巻き込んでしまう興奮があるものなのか?、と人間の感情の本質への興味は増すばかりで、これはビジネスの消費行動にも置き換えがきくわけです(笑)。
(ちなみに、当時、私とプロレスごっこをするのは、いいようにやられるので嫌っていた弟だが、この試合の放送が終わった後に、「バッカヤロー、お兄ちゃん、プロレスやろまい!!」と誘ってきたほどにモチベーションが上がっていた(笑)。)
それほどまでに、この猪木の「卍固め」が決まった瞬間には凄まじいものがありました。
惜しむらくは、当時の映像を観ると、あまりの館内総立ちを伝えるテレビ画面は、リングの上よりも館内の観客が数秒映っていて(笑)、
中でも、スタジャンを着た7:3分けの少年が、拳を何度も振り回して応援する姿が映っていたりするわけです(笑)。
そんなんよりも、ロビンソンがギブアップするのかどうかの緊迫のリング上をアップで映して欲しいっつーの(笑)。
あの少年は今頃どこで何をしているのかなぁ、と時々思い出します(笑)。
こうして少年の私はプロレスを通して、人間の言語やその意味合いを少しづつ理解していき、
その結果、57歳の私は、こうなってしまっている、ということになっています(苦笑)。