過去に試みた「未来」の仮説を今に検証してみる恥ずかしい動画(苦笑)

未来というものをより良くしたいとは思うものの、

未来のことは何がどうなるか?なんてのは誰にも分かりません。

(占い師とか超能力者とか、そういう特殊能力を持っているという人は別)

 

1秒後に良いことが起きれば良いと、願い、思い、計画するのだろうけど、

本当に何が起こるかは、その時になってみないと分からないわけで、

もしかしたら、何もしなくても思い描く幸せが舞い降りるかもしれないし、

火星人が攻めてきて人類が滅亡するかもしれません。

 

分からないのだったら、何も考えなくてもいいようなものなのだろうけど、

無駄だと分かっていても、できる範囲で何とかしようと試みるか、何もしないかというところに、

人として、どっちが人間らしいか、カッコいいかという、それは、個人としての好みや美学の問題かと思っています。

 

どうやら、人の脳の大脳新皮質という部位は、

未来をより良くしたい、より豊かにしたいという本能を持っているらしく、

だから未来のことを思い、

そして、故に、思い通りにならなかったらどうしようと不安になり、

よって、その不安を思い悩むという特性がある、

という話を聞いたことがあって、私はその話に合点しています。

 

放っておけば、単に不安になるだけなので、

だから、その不安を打ち消して、素敵な未来を何とか作ろうとして、

構想とか、設計とか、シナリオとか、方向性とか、何とか、

あれこれ考えて、何とかしようと試みます。

 

それが「考える」ということの一つなのだろうと思っています。

 

ただですら不安なところに、コロナ蔓延になってからは、さらに不安になることが身の回りにリアルに起き始めたわけで、

まだ見ぬ未来に想いをはせて、いつもいつも何かを考え続ける日々が続いています。

 

今考えていることは、即座に過去になってしまうのですが、

過去に考えた今という未来は、果たしてどれくらいの精度で合ってきているのか?

を、見ておく必要は、その思考力を鍛える意味でとても重要であり、

それを「検証」ということなのだろうと思うわけです。

 

昨年の4月、私は大きな不安に包まれて、

ビビリな私は、これは何とかしなきゃ本当にヤバいとケツに火が着き、

未来に向かって何ができるのだろう?何をすべきかを考えました。

 

その過去は、未来となった今、果たしてどうだったのか?

それを確認して検証しながら、次の考え方の精度が上がればと、

さらに、まだ起こってもいない未来をつくろうとしています。

 

当たるかどうかなどはどうでもよく、

どうやって未来を組み立てるかの思考法が大事ではないかと思っています。

 

「仮説」→「実験」→「検証」

を繰り返すことは大事で、それはすなわち、

「検証なき実験はしない」

ということになるのでしょう。

 

そういう意味で、

ビビりまくった去年の4月、ない頭を捻りながら、何とか考えていたことは何か?を自分で見てみようと、

当時の独り言とラクガキをYouTubeにアップしてみました。

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改めて見てみると、

どうでもいい独り言を、恥ずかしげもなく延々と喋っているだけでした(苦笑)。

こういうのを赤裸々に出すことは、きっと誰かの参考になるかもしれないと思いはしましたが、

自分でも見るのが耐えられない現実に、とても検証まで行きつかないことがよく分かりました(笑)。

とてもおススメできないことは、お伝えしておきます(苦笑)。

 

検証に至らない悪い事例(苦笑)。
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