これからのビジネスに必要とされる人間的スキルを考察する(笑)
「経済学は科学の領域ではなく、哲学の領域である。」
という説があるが、それは、
「そもそも経済を形成している人間そのものが、完璧な理性的・合理的を前提に思考しないし行動もしない生き物である。」
ことに由縁しているから、というのがあって、私はそこに納得をしています。
というか、完璧な科学的な正解がない世界だからこそ、私のような凡人にも、チャンスがあるとも言えるわけで、
そうでもなければ、やってらんねーだろ、というのが本音です(笑)。
科学では割り切れないわけだから、どんなに過去の統計から論理に論理を重ねて未来への仮説を立てたところで、完璧にその通りにならないのがビジネスの前提なわけで、
だから、例えば、
「こういうチラシを出したら、集客率が0.1%から0.3%になった。」
といったように、
「これをやってみたら、こういう成果が出た。」
という確率論でしか語れないとも言えるし、
かつ、その確率論すらも、果たして本当に「これが成功要因だ」と言っていることが、本物にそうなのか?というのは、
科学的な立証まではいかないとも言えるわけです。
私も、社会に出てから、実績や業績を上げる為に数えきれない程の「仮説と検証」を繰り返してきた自負はありますが、
「自分でやってみた」という自信と自覚ができただけで、
成果要因の要因そのものが果たしてそれが本当の論拠や根拠たる証明ができるのか?と言われれば、
「私が自分でやってみたからこそ、そう思うのです。」
という以上に根拠や論拠などないというのが本当のところです。
(というか、どこまで行っても証明などできないことを前提としている私からしたら、聞いてくる奴がアホだと思っていたので、まともに相手にはしてませんでしたが(苦笑)。)
そう考えると、結局のところ、やはり、成果に対するチャレンジの数をこなすしかないのでしょうね。
証明ができないのだから、残るは、何を信じられるか?ということになるのだろうし、
それはどこから来るのか?と言えば、誰でもなく自分自身の体験・経験しかないのだと思います。
「これをやってみたら、こうなった。」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「一回では偶然かもしれないので、今度はこうしてみたら、こうなった。」
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「それでも確信が持てないので、今度はこうしてみたら、こうなった。」
そうこうしながら、何度も繰り返していくうちに、失敗事例と成功事例が積み重なって、
その事実に価値が生まれるのだろうと思ってはいます。
ところが、まぁ、そういう量的・統計的な領域というのは、
どんなに人間1人が頑張ってみたところで、人工知能の方が得意分野なわけで、
間も無く凌駕されて、価値などなくなるだろう、とよく言われ始めてる時代でもあるわけですね。
ということは、やってもいいし、やらなくてもいいし、
やってみたところで、それが何になるのか?何の意味があるのか?と、一見思えるようなこと、
すなわち、効率や統計を考えるなんてことに至らないほどにアホくさいどうでもいいことなんだけど、
でも、無性に「やってみたい」という極めて感情的で純朴で煩悩に溢れた動機こそが、
人間に残される価値の一つではないか?という仮説が成り立つわけで、
そうなると、街中で見つけた意味不明のモニュメントを見つけて、
羽が生えてるように撮ってみたらどうなるんだろう?と、さらに意味不明なことを思いつき、
実際にやってみたら、思ったより上手く撮れたけど、意味不明に拍車がかかっているだけ(笑)という、
この行為と画像にこそ、人間が人間らしくいられるという可能性を感じるのではないか?と、
自分自身に激励のエールを送るのです(苦笑)。
やらんだろ。こういうことは人工知能はやらんだろ(笑)。
まぁ、ビジネスにいかに繋がるかは検証前ではあるけどな(苦笑)。