どんなに意味を考えてみても、やっぱりダメなもんはダメ(苦笑)
このクソ暑いのに、なんでまたスーツなんて着なきゃいかんのかい?
とスーツを着用する度に思うし、スーツを着用する度に同じようなブログを書いてて(苦笑)、
えぇ加減、 毎回毎回おんなじようなネタでどうすんねん、という感じですが(苦笑)、
それでも書かずにはいられないほど、スーツ着るのが暑くて面倒なわけです(苦笑)。
そんなに嫌なら着なきゃいいじゃん、そもそも着て行くという選択をしなきゃいいじゃん、となるわけですが(笑)、
それでも、「ねばならない」環境に身を投じることはあるわけで、それは何でか?という自問を繰り返すことで、
自らの価値観を見出そうとしていると言えば、しているわけです、と、
都合良く、ちょっとは考えている自分を投影することはできたりするわけで(笑)、
あるいは、個性的でいろ、という反面、一定の枠を越えてまで個人的な要素を出すとなると、それは、礼を失する、マナー違反だとなるならば、
一定の枠の中でいろ、と言いながら、個性を出せ、などという無茶な論理は成立しないわけで(笑)、
果たして、そもそも「個性」とか「独自性」とか言うことそのものが、ナンセンスなのか?と、
自らの推し進めている、自社ビジネスの「独自化」というものは、そもそも不毛の訴えなのか?という根本的な問題を自らに問うてみたりする機会だな、
と気づこうとしていると錯覚しようといたりできるわけで(笑)、
まぁ、人というのは、時として、論理的・合理的・効率的ではない何かに突き動かされながら生きていることは、多かれ少なかれあるわけで、
そこにこそ、独自性とか、中小零細個人企業が生き残る可能性があるとも信じていて、
そういうことを、いちいち考えるには、クソ暑い最中、好きでもないスーツを着る意味はあるのかもしれない、と、思いつつ、
でも、暑いもんはやっぱり暑いし、着たくないもんはやっぱり着たくない、と、
結局は素直に思うわけで(苦笑)、やっぱり、私は自分に弱い人間なんだということだけが理解できるのでした(苦笑)。