その時に感じることと、結果としての認識に柔軟でいたい。

久しぶりの街に出てみると、知らぬ間に、今までとは変わっていることは確実にあって、
それは、環境や状況によって、適応していくのが前提ながら、
あぁ良かったな、と思うことと、大変だなぁ、と思うことの両方があります。
物事には、もちろん、光もあれば影もあるわけで、
その比率は、できれば良いと思える事の方が多いといいなぁ、と思いますが、
もう片方で、どんな物事でも、どう認識するかは、人によって変わるとも言えて、
私の場合だと、家業廃業という事象は、その後の株式上場の経験によって、認識が変わるようなもので、
だとすると、どんな変化であっても、誰にっても、結果的に良かったな、と本人が思えるといいな、と思います。
ただ、ココの考え方が結構問題で、
何でもかんでも、不幸や怒りや悲しみにして、ギャアギャア言う奇特な人は、当然ながら決していいとは思いませんが、
逆に、何でもかんでも、ハッピーでラッキーで楽しくて「ついてる」と、強引に100%で認識しようとする人にも、強烈な違和感があって、
その時に感じたことを、自分が感じたこととして、その時はしっかり認識しておいて、
後から、結果として、いい体験・経験だったとなればいいなと思います。
だとすると、要するに、まぁ人生、成長し続けるしかないんだろ、となって、あぁ、もう面倒くせぇなぁ、と思うのが、
久しぶりの街を見た今の私の感情です(苦笑)。