「不必要」と「必要」の架け橋に宿る価値
子供の頃、欲しかった未来の機械のオモチャがあった。
その夢は、時が経ち、今、当たり前のように使えていて、勝手に夢が叶ったっていたりする。
(本人は何の努力もせず(笑))。
時を隔てて、昔に夢見ていた頃のそれが、期せずして見つかることがある。
それは、とても心が豊かになって嬉しくなる時間でもあり、
そして、当時より何倍も高い金額に悩みながら購入してしまったりする。
昔、夢だったものは、今、現実となり、必要なものになり、
そして、昔の夢は不必要になったけど、
その不必要なものが、自分にとっては必要になっている。
必要なものは、誰にも必要な機能上の価値があり、
不必要なものには、個人との関係によってのみ、万人が理解しないけど、高い価値が宿る。
どっちの価値が正しいかよりも、
自分がどっちの価値を提供するかは、
例えば、広く万人に安く売るか、狭く限られた人に高く売るかの、
今の自分の立ち位置で意図すべきだと思うのです。
こういうが見つかった時の、自分のリアルな消費体験に、そういうことを、ついつい考えてしまうのですが、
もっと思い出すのは、「そんないらんもんばっかり買って!」と叱られたことだったりします(苦笑)。