選択とは、先に何を手放すか決めることである。
最後の最後は、自分の好きな方を選ぶしかない。
選択とは、新しい何かを手に入れることではなく、
両方大事な中、どちらを手放すリスクを取れるか?を先に決められるかどうかである。
だから、よくよく考えると同時に、それより、自分と向き合うことが求められる。
例えば、
限られた時間と予算の中、どっちかしか取れないとしたら、
「商品・サービス」で特化して勝ちに行くか、
「営業」で勝ちに行くか、
例えば、
「成功する確率はあるがストイックに行動管理される」を選ぶか、
「好きなように生きれるけど成果は得られない」人生でいたいか、
例えば、
業績が悪化していく最中、時間の問題で終わることが予測される中、
泣いて誰かを切って会社を守るか、
全員で一緒に沈む覚悟はいいが、優秀な人から抜けていくリスクをとるか、
例えば、
「チーム」が大事だから、自分を犠牲にするか、
「自分」を取って、チームを見放すか、
例えば、
もしかしたらステージ1で、まだ軽いガンだけど、
胃カメラでガン細胞を取ればいいかも知らないけど、年齢が経ってから再発するリスクを取るか、
再発は確実に防止できるけど、今、胃を2/3切るか、
どの道選んでも、予測されるリスクは必ずある中、
最後の最後は、何を失い、自分の欲しい何を取るのか、自分が大切にしている価値観、
すなわち自分の「好き・嫌い」で決めるしかない。
選択とは、新しい何かを得ることではなく、
先に何を手放すか、
先にどのリスクを取りに行くか、
を決めることである。
両方欲しい、どっちも大事、
そんなもんは、一つしか買えないと言われているのに、
「ウルトラマン」と「仮面ライダー」の二つとも大好きだから、欲しい欲しいとオモチャ売り場で泣いている三歳児である。
「どっちを取りますか?」に対し、
「どっちも大事」の発言は、
は何も決めず、何も答えていないのと同じである。
熟慮に熟慮を重ね、論理に論理を詰め切った後、
論理上の答えは、理解できていたとしても、
最後は、自分の好きな方を選べ、とその人に聞くしかないのは、その人の人生であり、その人の経営だからである。
ちなみに、私は、そういう局面に至った時、いつも逃げ出したくなるか、
自分が傷つかないように、このままウヤムヤにならんかな、と願ったりします(苦笑)。