「パッケージ」の本質から、自分の人生を反省する(苦笑)
「ビジネスにおけるパッケージ」の意味とは何か?を考えた時に、
「それをすることで価値が上がるアウトプット」
と定義するとします。
そうすると見えてくることがあります
まったく同じ商品・サービスでも、
パッケージがなかったら100円
パッケージがあることによって120円
という具合です。
だとすると、社会においての自分の価値もパッケージ、すなわちアウトプットによって価値が変わるのだから、
だから、礼やマナー、言葉や言動、仕草や所作、立ち振る舞いから、他人への対応、
髪型からファッション、化粧から整形、ホームページやブログやSNSといった、ありとあらゆる、自分以外の誰かとの接点における全てのアウトプットは、
自分の価値が上がらなければ、そもそもの意味がないということになります。
「パッケージ」=「アウトプット」=「情報発信」すればするほど、
価値は下がり、人が離れて行くとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(笑)。
だから、子供の頃から、
「挨拶はキチンとしなさい。」とか、
「いつも笑顔で人と接しなさい」とか、
「人に配慮した行動をしなさい」とか、
「人に役立つ人でいなさい」とか、
親とか先生に言われてきたのかが、最近になって理解できてきました(苦笑)。
すなわち、社会というコミュニティの中で、価値の高い人になりなさい、
というのは、すなわち、
価値の高い人でなければ、集落から「いらん」と言われるんだよ、
干されたら、一人になるよ、一人では生きていけないんだよ、
「生きる」ということは「死なない」ということと同じなんだよ、
ということとも同義なのだろうと、やっと意味として繋がってくることに気づき始めるわけです(苦笑)。
(こういう教え方しろよ、親とか先生とか先輩よ(苦笑)。)
この根本が理解できないまま、自分の言いたいことや、やりたいことだけをアウトプットしていると、
ややもすると、価値を低くして、社会から干される「パッケージ」を、
自ら、わざわざご丁寧に、創り出してしまうリスクを負うことになりかねない(笑)。
得意満面で、コストをかけて価値を高めようとしていたことは、社会からの価値をどんどん下げているとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(苦笑)。
ホントは、素体だけなら100円なのに、
パッケージしてしまったが故に70円くらいになるなんて、目も当てられません(笑)。
この意味を考えた時・・・・・、
私は、これまでの、自分のアウトプット、すなわち、人生をかけた、知らぬ間であれ、意図したものであれ、
自分の制作してきた自らのパッケージを、反省し懺悔する必要があるかも知れない、とも思うわけです(苦笑)。
せめて、少ないながらも、誰かにとっての価値ある個体たる自分でありますように(苦笑)。
価値観が多様化している時代に、小さな可能性があることは、せめてもの救いであり(笑)、
色々と大変とも言われるけど、いい時代であり、いい環境とも言えるのですから(苦笑)。