得るも失うも、その前に自覚する驚愕の現実(苦笑)

久しぶりの「こだま」で移動です。

ってか、ただ「ひかり」に乗り遅れただけなんだけどね(苦笑)。

まぁ、のんびり行こう、みたいに書けばいいんだろうけど、乗車時間は大して変わらない(笑)。

 

コロナ以降、リモートと、事務所での仕事がほとんどになって、

ほとんど移動は無くなって、仕事での時間対効果は圧倒的に効率的になったのだけど、

逆に言えは、移動時間を失ったとも言えますね。

 

じゃあ、移動時間に何をやってたか?を考えてみると、

①ボーっとした時間

こんなもんは、事務所にいて、空いた時間もボーっとしてるわけで(笑)、

「ボーっと」は変わらないのだけど、移動中の「ボー」と、

事務所の「ボー」のタイプが違うことに、こうして移動していると気づく(笑)。

 

②情報発信する時間

以前は移動時間中に、こうしてブログを書いたり、書き溜めていたのだけど、

事務所にいると、ブログを書く時間をわざわざ取らなきゃいけないわけで、

ブログを書く時間が圧倒的に減った。

 

③情報収集

移動してると、じっといていても、周りが動いたり、自然の変化が見れたり、色んな人がいたり、変な人がいたり(笑)して、

意図しない間に情報が入ってきて、それに脳が反応しているわけで、

良くも悪くも影響される時間がなくなっている。

 

あたりになる。

だとするとだ・・・・・、

①そもそも「ボーっ」と生きている(笑)

②そういう奴が情報発信したところで、大した意味がない(笑)

③大した意味のない情報発信なのだから、その為の情報収集したところで、それそのものに意味がない(笑)

となるわけで、

 

「得るものがあれば、同時に失うものがある」

みたいなことが言えると思ったけど、

得るとか、失うとかの次元の問題ではなく、

存在に意味がない、あるいは、そもそも何も「無い」、

すなわち生きている意味がない(苦笑)、

という、究極かつ最悪の現実に気づく移動時間になるのでした(笑)。

どうしたらいいんだよ(笑)。

 

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ページの先頭へ