「上場」と「革ジャン」と「人生」と
「2月14日」は特別な日
バレンタインには縁も所縁もない私ですが(苦笑)、
「2月14日」は、私にとっては「株式上場」を経験させて頂いた特別な日です。
恐らく、私は私の人生で、この日のことだけは特別な日として、これからもずっと忘れない程にインパクトのある日として記憶し続け、
この日を更新していくのだと思います。
10年前の朝、レザージャケットをスーツケースに詰め込んだ
今から10年前の、2013年2月14日、
早朝の新幹線で、東京証券取引所に向かう直前まで、
この日の想いを書き留めておこうとブログを書いていて、
案の定、長文になって(苦笑)、徹夜になって(苦笑)、
当時のブログのリライト記事
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https://tosboi.com/rewrite/4304/
時間ギリギリになって、慌ててスーツに着替えて、そして、これだけは絶対に忘れてはいけないと思いながら、
スーツケースの中に一枚のレザージャケットを放り込みました。
それが画像で着用しているレザージャケットです。
レザーの傷や皺に刻まれた日々
2002年当時、私は家業を三代目で廃業することになり、
次のステージのチャンスを頂いて、リサイクルショップの経営者として株式上場へと向かうことになりました。
100%の資本を持たない、いわば「プロフェッショナル経営者」としての立場を問われる立場は、
夢と逆転を目論んで、1店舗目からスタートさせた若干37歳、青くて、甘くて、慣れないボンクラ経営者の私にとって、
その現実の数々は、嫌という程に勉強させて頂くことの連続で、故に厳しくもあり大変でした。
店舗運営や作業や会議やトラブルや勉強会や、もう今日のこと、目の前のことしか考えられない程に、目まぐるしい日々の連続の中、
いつもトレードマークのように着ていたこのレザージャケットには、その毎日が刻み込まれるように皺や傷が増えていきました。
面倒くさいことや、逃げ出したくなる色んなことが起こるたびに、
「このレザージャケットと一緒に越えていって、絶対に一緒に上場してやる。」
と、密かに心の中で誓うようになっていきました。
何より、それが実現できたら、オレってすげぇカッコ良くねぇか?、という程度のことでしたが、何よりものモチベーションでした。
レザージャケットとの約束を果たしに・・
それから10年、何が何だか分からないことをたくさん越えながら、私は運よく、その日を迎えさせて頂くことになりました。
もうさほど着なくなっていたこのレザージャケットでしたが、私は万感の想いを込めて、スーツケースの中に入れました。
実家から出ていこうとしていたので、玄関で母がたまたまその姿を見ていて、
「あんた、こんな大事に日に何を考えとるんか知らんけど、皆さんもいらっしゃるんだから、あんまり変なことせんようにしなさいよ・・・・。」
と心配そうに言っていましたが(笑)、
私は、説明したところでしょうがない(苦笑)、とばかりに、スーツケースを持って飛び出し、新幹線に乗り込みました。
私は48歳になろうとしていました。
経った月日の重みを自覚する時
東京証券取引所では、朝からの予定通りのスケジュールをこなしながら、
最大の儀式である「上場の鐘」を鳴らすリハーサルがやってきました。
私は、持ってきたこのレザージャケットに着替えました。
身内は誰も何も言いませんでしたが、初めての場であり、厳かな雰囲気の中だったので、
念のため、進行担当の方に確認をしました。
「あの、仮にこのレザージャケットで鐘を鳴らしても、儀式として皆さんに失礼ではないでしょうか?」
担当の方はやや困ったような怪訝な顔をしながら言いました。
「あの・・・、正式な制服とかなんでしょうか?違うんですか・・・・・。
私としては何とも言えませんが・・・・・、
ここは皆さん、命賭けの結果来られる神聖な場でもあるので、そこは何とも・・・・・。」
いやいや、俺も死ぬほど命賭けでここにやってきた張本人なんだから、ふざけてるわけじゃなくてよ、と思いましたが(笑)、
改めて周りを見渡すと、その10年で関わって来たたくさんの関係者がいて、もちろん全員が全員スーツを着ていて、
一緒に闘ってきたその一人一人の姿を見ながら、
今更ながら、もう自分だけの上場でもなければ、自分だけの想いをブチ込んで好きなようにやっていい場でも立場でもなくなっているんだな・・・・と現実が頭をよぎりました。
正しい選択は誰のもの?
本番のセレモニーがやってきました。
迷いに迷った私でしたが、結果、スーツで「上場の鐘」を鳴らす瞬間を選択しました・・・・。
恐らく、もう二度とない人生の瞬間を私は選択しました。
人にとっては、恐らく、もちろん、どうでもいいことだと思いますが、
私は、自分のこの瞬間を、自分に許せませんでした。
もし、私が向こう側でスーツを着ていたら、私は私にどう思うだろう?
私が私でいいのであれば、それなら、誰が何と言おうと、自分の人生を選択すればいいだろう?
これから公の人と見られる立場になる自分は、これでいいのだろうか?
私のせいで、他の多くの人がどう見られるかも含めて責任が取れるのか?
2人の自分を、もう一人が俯瞰的に見た時に、様々な想いが頭の中を駆け巡り、
私は大人になったのだと思います。
社会の中の自分はどこにいる?
当日は、何もかもが目まぐるしく、
何もかもが、凄く嬉しく、その筆舌に変えがたい喜びの感情は忘れがたく、
まるで夢の中のようで、
こんなことを落ち着いて反芻するようなことはありませんでしたが、
しかし、この日が終わってから、この瞬間のことは、何故だか、ずっと心に刺さったままでした。
そして、この後、すぐに、私は退任の選択をすることになります。
ほとんどの人は、こう言いました。
「え・・・・、どうして・・・・・」
「えぇ!何で!」
もちろん、その他の複雑で多くの理由はありますが、この瞬間のことも確実で大きな理由の一つでもあります。
上場後にこうして続いていくであろう自分の選択に対し、
(私は、これから、ずっとこうして、一つの成果に乗っかって、自分に悶々としながら生きていくのだろうか?)
(そういう自分を、自分に許せるのだろうか?)
(もし死ぬときに、オレはやるだけやったと、自分に誇れるのだろうか?)
(祖父や父に対して、廃業した申し訳なさを、こうして克服するのはいいとして、こういう今の自分をあの人達は喜んでくれるのだろうか?)
そういう悶々とした思いを、誰にどう説明していいのか、良く分からずにいました。
というより、短時間で説明するのも面倒くさいし、簡単に説明できるほど、私の中では軽いものではありませんでした。
私の経営の限界と、故に分かったフレーム
一つ言えることは、私の経営はそこまでだったということです。
上場して次のステージに向かうというのは、やはり、身内からも外からも多くの人から観られるということです。
それには、経営者の立ち振る舞いや言葉など、とても大切で重要な要素です。
私のように、いつまでもウ〇コとか、チ〇〇コと言っては、本気でキャッキャッと笑っていたい人は、
そのステージには行かなければいいだけのことです。
それが、私の経営者としての限界だということであり、
立場やお金や安定よりも、守りたい自分の価値観が明確であるとも言えます。
選択肢がある中で、ギリギリで選択したのだから、他人から見たら変人でも、自分の中では極めてまっとうです。
ここが分かったのはとても大きい。
そうなってみないと、自分とは分からないものだな、ということがよく分かります。
そのお陰で、私が経営において人様に貢献できる範囲は「廃業から上場」までと設定することができています。
ほんどの中小・零細・個人企業はここに当てはまります。
この範囲で私が私にできる知識と経験でお役に立てたら、そんなに嬉しいことはない。
結果の価値よりも、発見の価値
2月14日は上場したから忘れないのではなく、
自分が大切にしている何かを見つけられた、すなわち、まだ見ぬ自分を発見できて、次の未来へと向かうことができたから、
だから大切なのでしょう。
私にとっては、何にも代えがたい価値なのです。
私は、過去の手柄や栄光にすがるような「過去に生きる」つもりはありません。
でも、過去に起こったことや自分とどこまでも真正面から向き合う「過去と共に生きる」のはとても大事だと思っています。
きっと、また来年、次の一年で経験したことで、この日のことを思い出しては、初期化したり更新していくのだと思うし、
全力でやってみようとするのは、それが楽しみだから、とも言えます。
自分に相応しい自分でいる為に
このレザージャケットは、あえなく今も私の手を離れずに、ここに居られています。
そして、今年もこのレザージャケットを気持ちよく羽織る、自分だけの儀式を迎えることができています。
これから色んなことが起こるたび、きっとこのレザージャケットとお別れするかどうかの選択になると思います。
それは、その時までか、死ぬまでか・・・・。
その時は、成長を諦めた時なのか、次の何かが見つかった時なのか・・・・。
この10年は、講演やセミナーの場で、次の代のレザージャケット達に、その座を譲ってはいますが、
ここからの10年を考えると、どうやらまだお付き合いは続きそうで、
まだもうちょっと頼むな、君が何とか似合うカッコいいオッサンでいられるように、俺も頑張るからな・・・・。
自分に相応しい自分でいられるよう、私はまだ頑張ります。
「ツヴォイ式・人生発見塾」の開校も近いかも知れませんね(笑)。
ご支援もご指導もよろしくお願いいたします。