「労せず得る」為にどこで「労」するかを「労」せよ(苦笑)
今のままではダメだ、という思いで、何かを始めようとする時、
何故か、
すぐに儲かりそうなものはないか?
すぐに買ってくれる人の集まりはないか?
と探し求める人はたくさんいます。
そういう人は、
すでに儲かりにくくなっている商品・サービスに、コストをかけて参入してしまって、全く売れないとか、
自分で顧客をつくることができない人ばかりが集まる場が故に、結局お金を払って参加しただけで、お金が入ってこずに時間だけが過ぎてしまったり、
結局、商品も変わらず、誰にも売れない、という前よりも酷い泥沼に自らズブズブと入り込んで行きます。
「しかし、先に分からんかね?そういうと」と、思えるようなこととは思うのですが、
何しろ人は、自分で考えたり、自分で動くことが面倒くさくて面倒くさくて面倒くさくて仕方がないのでしょう。
何の場であったにせよ、その場は、
A・自分のスキルを上げて、自分ができるようになる為の場なのか、
B・自分は何もしなくても相手がやってくれることにお金を払う場なのか、
参加する前提となる基準は、先に分かっておいかないと、ズレが生じますね。
「労せずして儲けようとする」
視点がズレているあまり、
「労して儲からない」
という事態が起こっています。
私は、ビジネスというのは、ある意味、
「いかに労せず儲かるかを考え、実行する場である」
と思っていますから、
前提として、
「労せず儲けよう」
とするのは決して間違っていないと思っています。
だから、
「労せずして儲けようとするな」
などという気は全くありません。
むしろ、
「労せず儲けなければ」
効率の良いビジネスモデルは成立しないのです。
お金と時間を使っても結局儲からないのと、
お金も時間もできるだけ使わずに結果儲かるのと、
どちらがいいでしょうか?
私なら後者です。
問題は、いかに後者になるのか?ということをよく考えたり、知識を得ようともせずに、仮説も立てずに、実験もせずに、
いきなり、行き当たりばったりで、
「労せず得よう」
とすることにあります。
「労せず儲ける」には、
「『労せず儲ける』為の『労』」
が必要であり、必須です。
どこに「労」の点を置くのか、ここを間違えてはいけない時代とビジネス環境であることは確かです。
A・「労しない」為の設計段階で、先に「労」を取るか、
B・「労せずに」始めて、後で「労」するか、
どちらにせよ労働者は、どこかで「労」せねばならないわけですから、同じ「労」なら、どこで「労」するかは、
どっちかくらいは自分で決めておくことでしょう。
まぁ、考えて決めることすらも「労」と言えば「労」なので(笑)、それすら嫌なら、もう知らんわけで、
大富豪とか超資産家とかに、明日起きたら生まれ変わっていることを毎日夢見て、生きていけばいいかと思うわけです(笑)。
あぁ、「頑張って夢見る」というのも「労」か・・・・(苦笑)。