大抵のことは面倒くさいけど・・・
「幸せになりたいから何とかして下さい。」
と言う人がいたとします。
私はその人の幸せの基準や定義が分からないので、
「あなたは何が幸せで、どうなったら幸せなのですか?」
と聞きます。
そうすると、
「あ・・・・・はぁ・・・・。」
と言って黙りこくったり(笑)、
「言われてみたら、考えたこともありませんでした。」
という、漫才のような返答があって(笑)、
でも、これ、かなり多いです(笑)。
なりたい「幸せ」がないのに、どうやって「幸せ」になるんでしょうね?(笑)
この「幸せ」という単語は、
「豊か」とか、「成功」とか、「立派」とか、「楽しい」とか、「面白い」とか、「業績アップ」とか、「尊敬」とか、「影響力」とか、
適当な様々な言語にも置き換えられます。
逆に、「幸せ」の定義は明確ながら、現状と「幸せ」のギャップを、いかにして効率的に埋めて行けばいいのか?
が分からないから、その「やり方」を教えて下さい、と言う人もいます。
目的は明確なので、後は方法論ということですが、このバリエーションは実はそんなに多くはありません。
だから、そんなに多くはない選択肢の中から、優先度の高いものを選んで、一定期間徹底的に量や数を打ってみるしかないわけですが、
いざとなると、
「そこまではしたくない。」
というのがあって(笑)、だったら、そもそもの目的や目標は諦めればいいだけです。
俗にいう、「あり方」と「やり方」というやつなのでしょうが、
煎じ詰めて行くと、不思議と、そのバリエーションというのは、両方ともそんなに多くはありません。
明確にするのは、大変と言えば大変なのですが、そこまで大変かと言うと、そんなに大変ではなかったりする、
と言うのが、私の今の所の感想であり、結論です。
後は、それを「やる」か「やらないか」ということになるのですが、
ここでまた大きなハードルがあって、そのハードルというのを煎じ詰めて行くと、
「やるのが面倒くさい」
か
「やりたいのだけど、今、選択しいてる何か(時間)を手放したくないから、優先度が落ちる」
のどちらかになったりします。
だから、要はやらないのですよ(笑)。
「あり方」にせよ「やり方」にせよ、できるようになることが、何かしら困るわけで、だから、やらないわけですね(笑)、となる。
なのに、なぜ、「なりたい」「やりたい」と、またなって、人と関わろうとするのか?
というと、それは、もう困っていることや、不幸でいることそのものが、目的なんじゃねーのか?
「不幸でいることが幸せ」
なのか?
と疑わしくなると言うか、いや、疑いではなく、
そういう人って実際に結構多いんじゃねーか?(笑)
あるいは、不幸でいないと、他人が相手してくれなかったり、存在を認めてもらえなかったり、唯一のコミュニケーションツールだったりするんじゃねーの?
と思ったりもして(笑)、だとすると、
「不幸でいることが幸せ」
「豊かにならないことが豊か」
「成功しないことが成功」
「業績ダウンすることが業績アップ」
という、見方を変えると、大変哲学的な生き方をしているのかも知れないな、と思うわけです(笑)。
「面倒くさい」とか「変化したくない」という動物的な本能というのは、それほどまでに強烈なのでしょうね。
本能だから逆らえない。
そう考えると、
「生きることそのものがもう面倒くさくて仕方ないけど、死ぬ勇気もない。」
という私にとっては、
「大抵のことは、面倒くさいけど、つまらなく生きる面倒くささよりは、面倒くさくない。」
となっているので(笑)、何かにつけて、
「あぁ、もう面倒くせぇなぁ。」
と思っては、口に出しては、叱られてきたけど、まぁ良かったかなぁと、やっと思えるということになるのでした。
あぁ、面倒くせぇけど、生きる面倒くささに比べたら、まだマシだから、
目的と目標に向けて、仮説と実験を進めてみよ(笑)。