実績に見合わない貢献欲は満たされない
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- 坪井の日常
人は、一所懸命生きていれば、その人なりにとても大切なことを学ぶのだと思います。
同時に、人は人や社会に貢献したい欲求があるし、他者から是認されたい欲求もあるため、
学んだ大切なことを、誰かに伝えたり、教えたくなるものだと思います。
しかしながら、誰もがそうであるということは、誰もが誰かに、自分の何かを伝え教え、認められたいわけで、
そんな人だらけということになります。
要するに、誰でもその人の基準で大切なことは持っていて、
誰もが何かを教える側に回りたいのだけど、
ちょっとやそっとの実績程度では、誰も、誰からも教えられたくはないのです。
しかしながら、人の役に立てたという実感や、教える側に立つというのは、
基本的には気持ちいい行為なので、教えたい人は多いのです。
けれど、人から教えを依頼される人は圧倒的に少ないのが現実であって、
教えたい人は多くて、教えられたい人は少ない。
だから、時にすごく面倒くさい。
「ジャイアンのリサイタル」状態に出くわすと、一方的に命の時間を奪われてしまいます。
時として、生産性を大きく落とすという、残酷な現実を目の当たりにします。
そういう面倒くささの一つに、教えたい人の、教えたい人数と範囲のズレがあるような気がします。
誰もが、誰かに、何かを、教えるだけの何かを持っているとは思いますが、
時に、範囲を間違えます。
その対象は、
身内の数名で、場所は家のキッチンなのか、
社内の社員が対象で、場所は会社の会議室なのか、
地元の公民館で、仲良しの友達が対象なのか、
経営者勉強会の仲間内の数名で、会議室を借りればいいのか、
都心の会議室で、100名の経営者が対象なのか、
東京ドームで、5万人のファンが熱狂するような場面をつくりたいのか、
そういうことを、自分で主催してやりたいのか、自分以外の主催者から依頼されたいのか、
・・・・・・・・、
そういう具体的な想定なく、ただ何となく、人に役立ちたいとか、認められたいとか、チヤホヤされたいという漠然とした欲求だけを持っていても、
恐らくは、実現しないままに終わっていくでしょう。
範囲というのは必ずあります。
それに見合う実績というものがあります。
だとすると、小さな範囲の実績ならば、大論を大勢に語るのは諦めろ、
大勢に大論を語りたいなら、実績ができるまで自分から大口を叩くな、
ということになるでしょう。
もし、誰かに何かを教えたり、認められたいなら、
一番いいのは、他人から「教えて下さい」と依頼されるほどに、
任意の実績がてきるまで、淡々と努力し続け、実際に実績を創ってしまうことでしょう。
それが、結果として、一番の近道だと思います。