果たして「ちょっとは考えて」いるのか?

子供の頃、何も考えずに、好きなことばっかり、その場の思いつきで喋っていたら、

「ちょっとは考えてものを言いなさい。」

とかの定番の言葉で、親や先生からよく注意されました。

(まぁ、今でもだけど(苦笑)。)

 

小学校2年生の国語の授業の時に、

「『玉』という漢字を使った単語は何があるかみんなで出してみましょう。」

という時間があって、クラスのみんながハイハイと手を挙げては、

「玉ねぎ」とか「玉子」とか言っては、その単語を本田先生は黒板に書いていっていました。

本田先生は女性の先生で、年齢は子供から見ると、いわゆる「おばさん先生」の領域でしたが、何となくポテトを彷彿させる可愛らしい感じの先生で、私は好きでした。

 

出尽くしたのか、手を挙げる子がいなくなったので、

私は、言われていた通り「ちょっとは考えて」、日頃から使っているのにまだ出ていない単語を言おうと元気よく手を挙げました。

「・・・・ツヴォイ君」

本田先生は十分に予測できたのか(笑)、ちょっと躊躇しながら当ててくれました(笑)。

お気づきのことかと思いますが(苦笑)、案の定、私は

「金玉!」

と笑顔で元気良く答えました(苦笑)。

 

クラスのみんなは爆笑でしたが、本田先生は呆れたような笑顔を浮かべ、そのまま立ったままでした(笑)。

黒板にはその単語を書いてはくれませんでした(笑)。

 

「まだ肝心なのが出ていないぞ?」「みんな恥ずかしくて言いにくいのかな?」「日常過ぎて忘れてるのかな?」「まだそれがあったか!と皆に思い知らせてやれるぞ」と、

私なりには「ちょっとは考えた」わけですが(笑)、それはどうやら見本とはならなかったわけですね(苦笑)。

 

私は私で、私の発言だけ、黒板に書いてくれなかったのがそれなりにショックだったりして(笑)、

それ以来(と言うのが果たして合っているのかどうか分かりませんが)、私は「ちょっとは考えろ」と言われると、どれくらい考えることを言うのか、すごく考えるようになりました(苦笑)。

あの時の本田先生の姿と顔は鮮明に焼き付いていて、強烈な思い出の一つです。

 

それから随分と月日が経って、高校生になった頃・・・・、

地下鉄の駅で偶然パッタリ本田先生に出会いました。

変わらぬ本田先生に、私はすぐに気づいて、せっかくだからご挨拶だけでもと思って、正面から歩いてくる本田先生に目を合わせました。

本田先生は私のことを覚えていてくれて、「あら、ツヴォイ君。」と向こうから名前を呼んでくれて、相当にビックリしました。

「あの・・・、本田先生、覚えてくださっているんですか?」

と聞いたら、

「なんでぇ?、この辺なんかあの頃の小さい時のまんまで全然変わらんがね。」

と、私の顔のあたりを手のひらで覆うようにして、変わらぬ笑顔で答えてくれました。

 

少ない時間の中で、私はよりによって「金玉事件」の思い出を話して(笑)、

当時のあまりのアホさを謝りながら、それ以来「ちょっとは考える」こと「考える」ようになったことを言いました(苦笑)。

本田先生は、笑いながら、

「そんなこともあったかねぇ(笑)。

でもねぇ、1年から2年の引き継ぎの時に、1年の担任だった橋本先生が、『ツヴォイと◯◯は伸びますよぉ〜。』って、そう言われてた子だったんだよ、ツヴォイ君は。」

と懐かしそうに教えてくれました。

なんだか無性に嬉しくなりました(笑)。

 

あれからさらに月日が経って、果たして私が実際に伸びたかどうかは分かりませんが(苦笑)、

あいも変わらずいい歳こいても下ネタをキャッキャッと喜んで喋っていることは変わらないわけで(苦笑)、

こうして街中で「金の玉」のオブジェやディスプレイを見かける度に、

本田先生のことや「ちょっとは考える」ことや「金玉事件」を思い出しては、

あれから「ちょっとは考えてものを言う」ことはできているのか?と自問しては、

小学校2年当時と変わらぬ現実に自ら戒めされます(苦笑)。

 

もうすぐクリスマスシーズンがやってきて、街のあちこちには今年もきっと「金の玉」が溢れるのでしょうね。

私にとっては1年に一度の日々大反省大会の時期がやってきます・・・・(苦笑)。

 

ちょっとは考えんとな(苦笑)。
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