「閃き」は「実践量」と比例するのか?
講演前や、会議やミーティングの仕事の前は、その内容について、あれやこれや考えることが多いのですが、
考えるに比例して、煮詰まることも、フン詰まることも多いわけで、
そうなると、ちょっと外に出て気分を変えてみると、何か閃いたり、考えが纏まったりするとかいう話はよく聞くので、
私も、そういう時は、よく街に出てみたりするわけですが、
何か閃いたり、考えが纏まったりするよりも、外に出ていることそのものを楽しんでしまって(笑)、
突如として閃きが舞い降りたり、いきなり纏まったりすることは、滅多にありません(苦笑)。
この日は、洒落た飲食店さんの電飾を前に、さも何かに閃いたような画像を撮って遊んでしまいました(笑)。
私の経験則では、いきなり変化したり、進化したり、そういうことはないような気がます。
何かを意図し、何かを積み重ねてきた結果、気づいたら変わっていたり、進んでいたりするものなのでしょうね。
誰しも、自分のやっていることは自分の中では肯定したいし、周りからも是認されたいと思うのでしょうが、
頭の中で考えているうちというのは、そんな努力とか行動というのは誰からも分からないわけで、
実績のないうちは、自分のやっていることをどんなに肯定表現しようとも、
そんなもんは、単なる遊びとしか思われないのでしょう(苦笑)。
だったら、最初から逃避しました、フラフラ遊んでいただけです、と開き直ればいいわけですね(笑)。
ということを思いながら、帰ってから、実際に自分のやってきたことを、再度俯瞰しながら、シコシコと纏め始めるのでした(笑)。
そういえば、講演後に、
「ツヴォイさんの話は、リアルな実践経験と、今の今起こっているリアルな足で稼いだ地域の場の話が前提にあるから、説得力があるし、分かりやすいんですよ。」
と言って頂けました。
確かに、この地域に着いてから講演直前に至るまでの出来事と、本来伝えたい本質論を組み合わせて喋り出すことは多く、
仮にそれが分かりやすさの要素となっているとしたら、
こういうアホなことを繰り返しているということは、こういうアホなことを積み重ねているとも言えるわけで、
だとしたら、もしかしたら、その効果は知らぬうちに出ているのかも知れない、とも言えるわけで(笑)、
いや、そう願うばかりです(笑)。