分かりにくいことを分かりやすくできるか
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「分かりにくいことを、分かりやすくできる力」というのが、これからのビジネスにおいてとても大切なのではないか?と思っています。
仮に、今までにないような「新しいビジネスモデル」というものを考えていたとします。
仮に「新しいビジネスとしてこれで行けそうだ」と仮説が立ち、スタートする時に、あるいは継続していく時に苦労する一つに、
「その構想そのものが他人に理解できるのか?」
という時があります。
それは、時と場合によって理解して欲しい相手は変わりますが、
一緒にやろうとするチームメンバーや、社内の人といった内部の人だったり、
異業種の人や、銀行やベンチャーキャピタル、証券会社や税務といった外部の人だったりします。
「新しい」のだから、新しいのであって、
新しければ新しいほど、既存の考え方や切り口、常識や一般的にという枠組みでは捉えられなくなるわけですが、
話を聞く側としては、聞く側の思考や概念の範疇で理解しようとするわけですから、
ここにジレンマや乖離が生まれるとも言え、理解し合えるまでに、時間もコストもかかることになります。
「新しい」というからには、それまでの「常識」や「一般論」とは違うので、伝える側は「新しい」と認識しているわけですが、
聞いている側は、既存の枠組み、すなわち「常識」「一般論」の中で解釈しようとするわけですから、
そりゃ、乖離が生まれるのは当然、というより、乖離が前提ということですね。
「事業の説明」を一通りした後に、
「要するに◯◯を売ってるというこですね?」
と確認されて、
「いやいや、そうじゃないんですけど。」
となることは過去何度か経験した記憶はあります。
相手が「要するに」ということが、自分が「要したい」ことと違っているということは、
相手が「要すれる」ように、要してあげないといけないということになりますね。
問題はここからで、
① 周りが理解してくれないと嘆く
② 理解されないということは、「新しい」ということが証明されているということでもあるので、相手が分かりやすいように説明できるように再考する
の2つのうち、どちらに進むかということですね。
一番簡単なのは、圧倒的実績を出すことなのですが、その過程で伝えなくてはならないことは多くあるし、
伝えないと進まないことも多くあります。
私の私見ですが、①の嘆いているうちは、自分の考えている新しいことに対する情熱はないということになるのだと思います。
残るは②なので、他人が理解できるまで、要さないといけません。
まぁ、だから、どこまで諦めずにやるか?ということになってくるのでしょうね。
そう考えると、
「分かりにくいことをいかに分かりやすく伝えられるか?」
というのは、こらからの時代、とても重要な能力の1つになってくるのだと思います。
「分かりにくいことを、分かりやすくできるか」
とても興味深い課題であると共に、こう書きながら、
全然分かりやすくない文章だろうなというジレンマに陥っている今の私の段階です(苦笑)。
まだ勉強しなきゃいけないことはたくさんたくさんあって、
それはそれで幸せとも言えますね。