どうせ都合良く決めていいんだから都合の良い方を取ればいい
「いつも見ていて欲しいの。」
と思える相手もいれば、
見られていれば誰でもいいのかと言うと、
「なんで見てんのよ。ウザいなぁ。」
と思える相手もいるわけで(苦笑)、
あげく、やり続けると迷惑行為と認定されてしまうこともあるわけで(笑)、
要は、見ていて欲しい人には、見ていて欲しくて、
見られたくない人には、見られるだけでも嫌だ、というわけで(笑)、
自分の都合の良い時に、都合の良い相手に、都合良く対応してもらえればいいわけで、
世の中の人全てが、自分に都合良い状態をつくってくれたらいいということになりますね(笑)。
こういうのが、人として許されるのは、何歳くらいまでなんでしょうね(笑)。
3歳児くらいまでなのかなぁ?(苦笑)
自分が好きな人には愛されたいのだろうけど、
仮に愛されていたとしても、本人が愛されていると自覚できなければ、
「私は愛されていない。」
と不幸真っしぐらになるわけで(苦笑)、
そういう人に、じゃあどうしたらいいのか?となると、
箸の上げ下ろし一つ一つの所作から、発する言葉の一つ一つや、発するタイミングや、語調やイントネーションや、態度や顔つき一つ一つに至るまで、
希望通りにドンピシャで関わってあげなきゃいかんのか?と、まぁ、煎じ詰めればそうなる(苦笑)。
恐らく、「そういうこと言ってんじゃない、極端だ。」となるんだろうけど(苦笑)、
じゃあ、どれくらいが適度なのか?となると、それもまた明確でなかったりするわけだから、面倒くさい(苦笑)。
同じことが、同じようなタイミングで起きたとしても、人の感情は一定ではないし、
一つの感動は、回数を重ねるうちに薄れていくのは仕方ないわけだから、
結局のところ、定量的な解決はできないのである。
その程度のことはホントは理屈では分かっているのだろうけど、
にも関わらず、相も変わらず、他人には求めたり、依存したりして、
まぁ、そこまではあるとして、
それが叶わないと、悲しんだり、怒ったり、不幸になるとすると、
生きることそのものが、とても辛くてしんどくなるのでしょうね(苦笑)。
まぁ、それが、「人らしい」と言えば、「人らしい」とも開き直ることもできるわけで(笑)、
合理的・論理的ではない、欲求こそが、これからの時代に残された「人間らしさ」の一つと言えるかもしれませんね。
だとすると、同じ「人間らしさ」なら、どうありたいか?ということになってくるわけで、
その辺りが、本人一人一人の、哲学とか美学とか思想という領域になるのでしょうね。
だから、悲しい人は、何があってもきっと悲しいのだろうし、
怒っている人は、死ぬまで怒っているのだろうし、
不幸な人は、不幸なまま生きて、そして死んでいくのだろうなぁ、と思うし、
逆に、何があろうと、幸せでハッピーで能天気な人は、
幸せでハッピーな人生を生きるのだろうし、
ずっと笑っている人は、ずっと笑って生きて、笑いながら死んでいくのだろうし、
不幸も幸せも、愛されてるも愛されてないも、結局は自分が決めているというような話は、そういうことなのだと思うし、
だとすると、都合よく自分の思う通りに選択して生きればいいのだから、
私は、まぁ、やっぱり、脳天気でアホで幸せでバカみたいに笑っていきたいな、と思うわけです(笑)。
かと言って、無理して幸せでいる自分を演じるのは、見ていて痛々しいほどの無理を感じて、不幸に思えるし(笑)、
笑っていても、悲しそうな目で笑われても逃げたくなるし(笑)、
そういうこともあるわけだから(苦笑)、
そうなると、
社会で生きていく上で、個人的思考・感情・価値観を、
社会や家族や恋人や友人といった、誰に対して、どこまで出せるのかくらいは自分でコントロールできるかどうか?、
「本当の思考・感情の自覚」と、「場面によって演じる役者」の両側面は、
価値観が多様化している現代において、生きていく上でとても必要なスキルなんだろうなと思います。
時々、「何も考えない」というのが、もしかしたら、「幸せ」でいられる最強なのではないか?と思う時があるのですが(笑)、
この時点で、すでに考えているので、これもまた難しく(苦笑)、
そうなると、もう脳死状態くらいしか道は無くなって(笑)、
「死」というのは、もしかしたら全てから解放される「最高の幸せ」とも言えるのではないか?とも思えてくるわけです(苦笑)。
まぁ、生きている以上、そんなこともできないわけで(苦笑)、生きている段階で、何とかしようとするとして(笑)、
そうなると、思考や感情というのは、身体の部位では、「脳」の部位とか「血」の巡りとか、
そういうところになるのだろうから、そこをどう鍛えるか?という問題よりは、
脳も血も、「身体」の一部なのだから、やはり身体を大切にしましょう、ということになるのでしょうね(笑)。
ということを、変な妖怪に見つめられて(笑)、
いくらなんでもこれにホントに見つめられたら嫌だなぁ、と思いながら、
でも、夢に出てきそうで怖かったので、
せめて、「身体は大事にしてね。」とだけ伝えて、機嫌をとって(笑)、
私の「人間らしさ」というものを自覚しようとするのでした(笑)。
何だよ、このアホ画像を出したかっただけなんかい?と疑わしくなる内容だったりしてね(苦笑)。