全力で引きこもれる中で全力でできることを考える

もともと引きこもり癖があるので、引きこもるのに何のストレスもありません。

引きこもる時は何をやるのか?になるわけですが、

こういう時は、日頃できなかった「本を読む」とか「勉強する」とか言えればカッコいいですが、

私はウソはつけないので、日頃できなかったアホなことを全力でやってます、としか言えません(苦笑)。

 

主催している経営者勉強会メンバー用に、オリジナルTシャツをこっそり作ってたりしてました(笑)。

先日、全メンバーに一気に渡そうとしましたが、コロナの影響でそういうわけにもいかず(苦笑)、

全員に渡す時の反応が楽しみだったんだけど、

何が残念って、その反応が見れなかったのが、残念で残念でしかたない(笑)。

まぁ、私の残念はその程度です(苦笑)。

 

どんなTシャツかと言うと、

I’m Facking!

「私はクソです!」

※ホントは「fuck」なんだけど、あまりにストレート過ぎるので、さらにイギリス隠語で「fack」にしてズラしたつもりはいいけど、でも、どっちにしても、一般に使わない方がいい言葉です{苦

No records

「過去の実績なし」

 No skills

「今の実力なし」

So What!

「でも関係ないっす!」

I Have a Cool Vision!

「私にはイカれたビジョンがある!」

という、アホ自己紹介極まりないメッセージのTシャツです(笑)。

 

オリジナルウンコキャラが冴えまくってます(笑)。

ちなみに、どんなにオシャレだと思っても、デザインが気に入ったとしても、

当然、外で着れません(笑)。

着ても構いませんが、自己責任120%です(笑)。

メンバーのみでの一泊でさらに現地のみか、あるいは、引きこもり時専用です(笑)。

 

 

私達は、

「過去→現在→未来」

という時系列で生きているわけですが、

そもそも、

「過去に大した実績もなく」

「よって今の実力もない」

わけで、要するに現時点では「クソ」なわけです(苦笑)。

 

でも、だからと言って、自分の価値を諦めて、何もしない人生などつまらないものはありません。

それこそがクソのような生き方と言えます。

 

ここは、一つ、

「過去→現在/未来」

と、過去・現在と、未来を一旦ブった切って、未来の鮮明なビジョン、

いや、単なるビジョンではなく、誰からも「そんなもんイカれている」と思われる、「イカれたビジョン」にして、愚直に向かっていくことが大事なのです。

無理もあるでしょう。負担もかかるでしょう。でも、そっちの方が面白いからやってみる、という人の為の、アホ丸出しTシャツです(笑)。

 

「そんなこと無理だ。」「できるわけがない。」「やめておけ。」「地に足をつけろ。」

そういうことを心配を盾に言ってくれる人は周りにたくさんいるかも知れませんが、

そういう人は、それをやったことがない人であるのもまた現実です。

 

私はその光景を知っています。

私が家業を廃業した後、どうすんだ、どうすんだ、と聞かれまくって、答えたのは、

「上場します。」

でした。

前記した言葉が、時に冷ややかに、時に呆れて、時に罵倒として飛び交いました。

でも、その人達は、誰も上場などしたことがない人達でした。

 

月日が経って、運良く株式上場の経験をさせて頂きました。

前記した言葉は、

「よくやったね。」「おめでとう。」「お前ならできると思っていた。」「私の目に狂いはなかった。」

に変わりました(笑)。

 

数年の間は、人の言うことなんてのは、いかに適当で、曖昧で、いい加減なのか、と思っていましたが、

最近になって、そうやって、人の笑顔や自慢が、自分をきっかけに増えるというのは、

なんて素晴らしく、人の笑顔に貢献できる生き方なのだろう、と思えるようになりました。

私もきっと成長しているのでしょうね(笑)。一応ね(笑)。

 

こうなると、生き方の問題です。

 

コロナ騒動であっても、コロナなど問題なかったとしても、私達はどうせ死ぬのです。

どうせ死ぬのなら、

「我、どう生きたいのか?」

を、全力で引きこもった方が良い今この時期だからこそ、

このTシャツを着て、全力で考えるのです(笑)。

 

要するに、ものは考えよう。

今できることを、都合よく肯定化して、全力を尽くしましょう。

 

子供の頃は、家の中で遊んでいると、外に行って元気に遊んでないと、何かと心配されたものでした。

出不精な私は、放っておけよ、と思っていましたが、

家の中にいた方が推奨される今この時期、私にとっては千載一遇のチャンスとも言えるのです(笑)。

 

というわけで、私は私で、できる範囲で脳天気満載で頑張ります。

 

いいんですよ、そもそもがクソなんですから(笑)。

クソでも未来に向かって生きることこそが、世の中を変えるのです。

 

ちなみに、今年、大学生になる息子が、「これなら欲しい。」と言っていましたが、

「お前が、ちゃんと『イカれたビジョン』を言えないうちはダメだ。」

と言っておきました(笑)。

 

※ このブログをSNSでシェアした途端、「欲しいです!」とか言う、アホ丸出しな人がいたので(笑)、

そういう方には販売させて頂きます(笑)。

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です。

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「何が正しいのか」が分からない時は「自分はどうありたいのか」を信じます

「正しさ」の定義にもよるけど、

どの情報が正しいのかも分からないし、

情報を信じたところで、今度はどの行動が正しいのかが分からないという時がある。

 

そもそも、情報そのものが、国や政府や医療機関や、会社やコミュニティが出したものであれ、

その意思決定をしているのは、最後はそこに帰属する最終意思決定者という個人の人間が出したものなわけだから、

人間である以上、完璧である証明ができない。

 

だとすると、全力で考えようと、直感で動こうと、

その時点で、

「自分はどうありたいか」

「どういう人でありたいか」

「どう生きて死にたいのか」

という人間観や人生観に基づいて、今の選択をするしかない。

最後はそこが問われるのだと、そう私は思っています。

 

法治国家である以上、法律で決まってしまえば、個人の◯◯観がどうあれ、則るのは前提であるけれど、

今回のコロナウィルスの影響というのは、どの選択をしても、

まるでコインの裏表のように、即座に真正面からリスクが生じるものだの実感しています。

 

端的に言うと、

「感染とめますか?経済止めますか?」

ということに集約されるのかと。

 

どっちを取っても、最後は、今までの私の人生における「普通」という定義を大きく変えることになるのではないか?と予想しています。

もちろん、一番いいのは、どっちも上手く進むことなのだろうけど、

今現在、その対策が明確にない情報しかない以上、

一つ一つの選択に対し、一回一回の選択を自分でしていくしかありません。

 

会社経営で言うなら、キャッシュフローの状況によっても判断は違ってくるわけで、

今は大丈夫でも、時間の経過によってそれも変わってくるので、

常に最善と思える状況判断することに変わりなく、問題はその期間が長くなるような予感です。

 

大枠の方針を固めるとしても、

片方だけの選択で、巻き起こる全ての出来事に対して頑なにになるのではなく、

一つ一つ、一回一回に対して、一つ一つの選択が出てくるだろうということです。

 

それは、例えば、

「自分は飲食店や商業施設には行きたくないけど、自分の店には客は来てもらわないと生きていけないから困る。」

といったような、一見「自分だけ良ければいい」と評されるようなことが起きたり、自問したりすることが起きることもあるでしょう。

 

しかしながら、私は人というのは、元々が、意識的であれ、無意識であれ、

「自分だけが良ければいい」

ということを前提とした生き物だと思っているので、

それは当たり前のことだと思っています。

自分の、あるいは他人のどの判断が、世の中で最も正しい選択かは、とても論じることができない自分がいます。

 

「あなたはどうするのですか?意志を言え。」

と問われれば、その時の状況に応じた私個人の自論で答えることはできますが、

「世の中全ての人はどうすべきか?」

という問いにはとても答えられない。

 

だから、その時の自分のことは自分で決めて、決めたことに対するリスクを飲むことも同時に決めて、

進んでみるしかない。

どの選択をするか、ということは、イコール、どのリスクを取るかということと同義です。

 

最後は、

「どう生きたいのか?」

が問われることになるのだと思っています。

 

仮に、それが自分の価値観と違っていたとしても、それぞれの事情と状況によるという前提がある以上、

それを一方的にとやかく言えたものではありません。

 

よって、

「私はこうすべきだと考える」

「だから皆さんもこうしましょう」

と発信したり、促すようなことは一個人としてはできないし、すべきではないと思っています。

 

自分で決めたことを粛々と全力で進めるだけ。

残るのはそれだけのような気がしているし、

一人一人にそれが問われている時期なのだろうなと思います。

そして、それすらも、私個人としての考え方であるというのが前提となるということでしょうね。

 

明日のことは明日の状況にならないと分からないけど、

とりあえずは、今の今、どうすべきかは一回一回、自分のリスクの範囲で選択をしていきたいと考えています。

よく言えば、

「自分の軸がある」

とも言えるし、

悪く言えば、

「無責任」

ということなのでしょうがね。

 

ともあれ、

「何が正しいのか?」

が分からない時は、

「自分はどうありたいのか?」

を信じるしかありません。

 

仮にそれが自分と違っている人がいたとしても、

その選択を心から応援することが、私のような人間は、最低限のマナーだと思っています。

 

というわけで、今の誰の選択も、それが今の自分の精一杯で、良かれと思って意思決定したのなら、

その選択を心から応援しています。

 

私は私のできることを全力でやります。
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ビジネスの桜は咲く人にしか咲かないんだよ

引きこもりがそもそも好きなので、引きこもっていましたが、

昨日、久しぶりに外に出たら、桜が咲き始めていました。

つい先日まで、「街のディスプレイが先行して桜だな。」と思っていたら、本物の桜が咲き始めてました。

 

春の訪れを実感し出す頃で、この時期になると、

「桜の花は必ず咲くのだから・・・」的な、耳障りの良い例えを聞いたりします。

そういう話を聞く度に、「ホントだな、そうだよな。」と感銘を受ける自分と、

「何もしないことを都合良く自己肯定してんじゃねーよ。」と批判的に捉えるひねくれた自分の両方がいます。

 

人は、誰かのいう事や、その出来事を、

含蓄のある思考と認識することもあるし、

自分に都合よく捉えたりもするものだ、

と私は思っていて、それは私がそうだからです。

 

私は、

「自然の桜は、誰にでも咲く」けれど、

「ビジネスの桜は、咲く人と咲かない人と明確に完璧に分かれる」

と思っています。

だから、ビジネスに関わる全ての人に

「桜は必ず咲くのだから、だからあなたも大丈夫」

などとは絶対に言えず、

それを「言える人と言えない人」「聞いていい人といけない人」がいると思っています。

 

例えば・・・・、

業績を回復させる手は大きく2つしかありません。

回復すべき手を具体的に考えて、

① それに対してお金を先行して使うか、

② 面倒な労働を自分に増やすか、

です。

「お金を使って解決するか、面倒なことをするか」の2択ですね。

 

一年後には業績を上げたいという目論見の元、一年後の数値目標を出して、

目標を目指すはいいけど、目標に対する行動を何もしなければ、

結果となる今年一年のトータルは上がる確率は上がりません。

一年後に良くなっているということは、すでに今から一年後に向けて何らかの行動をし始めるということと同義であるけれど、

行動の前には、何を行動するかの「意思決定」が必要となります。

 

現実的には、ほとんどの中小零細個人企業企業には、潤沢なお金はありません。

よって、打つ手としては、②の「新しい行動を増やす」しかないわけです。

 

それは、例えば、お客さんにお礼状を書くとか、個人の情報発信を全員で毎日するとか、

全員が外に行って人に会う時間と回数を増やすとか、

立場によっては社内にいる時間を増やすとか、

要するに自分にとっての現実的な顧客は誰か?を認識して、

顧客接点を徹底的にあげる行為が基本となります。

新たな商品・サービスの開発というのは、他人の需要からでしか発生しません。

まぁ、ここでは、そうだとしましょう。

要するに、「今までと日々の行動を意図的に変えて、かつ一定期間の継続する」という意味です。

 

ただ、それは口で言うほど簡単ではありめせん。

個人にとって、今までにはない行動だからです。

今までにある「すでに習慣化」している行動のどれかをやめ、

「新たな行動」を意図的に起こし、継続するのは、

強烈なストレスや苦痛を招きます。

人間も動物の一種なわけで、動物というのは、基本的・本能的に変化を嫌うらしいです。

少なくとも私はそうなので、その説を信じています。

 

「行動変化」というのは強烈なストレスを産むらしいですね。

誰でもストレスや苦痛はイヤなのだから、だから、できるだけ、変化しない方へ、変化しない方へ、今までの自分の慣れた習慣の方へと向かおうとします。

だから、やりたくないことを、やらないように、適度に誰もが納得しやすいような、やらない理由をちゃんと作り出そうとします。

強烈なのは「それは自分らしくないから」「我が社らしくないから」とかいうやつですね。

さらに最強なのは、やらない為に、ちゃんと病気になったりする人もいます。

 

そしてこう言うのです。

「今はこういう状況だけれど、一年後には、『これこれこうで』市況が良くなって、うまく行く気がするんだよね。だからそんなに無理してまでやらない方がいいと思う。」

と。

 

だから、結局、一年後に対して、今を何も変えない。変わらない。

結局、それまでと同じ行動パターンを、ただただ繰り返す。そして時間が経ち、一年後を迎える。

そしてまた、一年前と同じ悩みと問題を立ち上げ、同じ思考と意思決定を繰り返す。

その連続となるのです。

 

咲きますかね?桜は。

自然の桜は毎年咲くのだから、自分の桜も毎年咲くんですかね?

万人に咲くんですかね?

 

咲きませんね。

私の経験則で言うならですが、絶対に咲きません。

咲かないから、だから、私は家業の廃業という結果になったのです。

だから、「咲かない」と私は明確に言います。

 

何もしないのに、ビジネスにおいては、何も咲くわけないでしょ。

咲くのであれば、何もしなくていいのだから、何もしなくていいでしょ。

だけど、現実はそうじゃない。

そうじゃないから、業績に対したり、これからのことに悩んだり苦しんだりする。

 

先日、ある会社から連絡が入りました。

「まさか新型コロナの影響がここまでになるなんて思いもしなかった。」

と。

業績が大きく落ちているそうです。

その人は、一年前に一年後へ向けての行動をしない選択をした人でした。

しかし、コロナじゃなかったら、今の業績は上がっていたか?と言うと、

コロナ騒動になる前月までも業績は落としているわけです。

と言うことは、今の状況は、

「もともと何も変えない+想定外」の結果という、

適正と言えば適正とも言える結果なだけなのです。

端的に言えば、ジワジワ行くか、一気に行くかだけ、そんだけの話です。

 

よって、話の展開は当然こうなる。

「今できることを選択し行動しましょう。」

と。

話をどんどん具体的に詰めていくと、当然ながら、どの道とっても自分には苦しい選択となります。

そうなると、見えてくる予測がありました。

「それでもきっと何もしない。」

と。

案の定、

「一年後には良くなってると思うんですよ。」

と出ましたからね。

 

だから、コロナだろうと、なかろうと、何も行動を変えない人というのは、安定的に何も変えないのです。

私は否定しません。その人の人生なのだから、その人が選択すればいい。

 

ただ、そういう人は同じパターンを繰り返すことは分かっています。

「こうなったらこうする。」「これができてからこうする。」

というのがパターン化している人です。

無論、どんなに意思決定したところで、無理なことはあります。

だから、全てではありません。

可能な限り、できる範囲で、最悪の中の最善に絞って選択していくしかないのです。

それに対して、自分の価値観を変えるとか、コダワリやプライドを捨てるとか、他人にどう思われるとか、日々の行動を変えるとか、

その程度の変化が、果たしてそんなもん、どれくらいのリスクがあるんですかね?

問題は全てに対してパターン化しているということです。

 

パターン化している人は、世の中や市場環境がどうなろうと、要するに何もしません。

 

そして、そんなこと言ってるうちに死ぬんですよ。

「やりたいことをやる!」「楽しいのが一番!」「好きなことをする!」

とか、成果を出している人と表面上で同じことを叫んでるうちに、何もせずして死んでいくんですね。

 

恐らく、このブログを読んでいる人で、あと100年生きられる人なんてのは、ほとんどいないと予測しています。

ということは、100年以内のいつ死ぬかという時系列の問題になってきます。

一秒後から100年以内の間で、できるようになったらやれることなんて、ホントにあるんですかね?

そもそも、できるようになってるとしたら、今できてるんですよね。

今できてないってことは、できるような行動をしてこなかったから、だからできてないんですよね。

ってことは、今できてないことは、何かを変えないと、100年経ってもできないっていう屁理屈が、私の中では成り立ってしまうんですよ。

 

我々はほとんどがなんの実績もなく、何の実力も持ち合わせていません。

だから未来に向けて何らかの望みや願望や意志や意図を持つなら、

①とりあえず「やる」という二文字の意思決定のスタートと、

②決めたことをとりあえず「やってみる」というスタートと、

③やり始めたことをとりあえず「やり続けてみる」

という、「とりあえず」の連続からでしか、今とこれからの人生など変えられない、と私は思うのです。

できれば、無手勝流にやるのではなく、その道で実績を持った人に、適切なアドバイスは受けた方がいい。

それに越したことはないでしょう。

同じ「とりあえず」の時間なら、できるだけ効率的な方がいい。

いくつもいくつも選択できるほど、私達には時間がないのですから。

 

新型コロナの影響がこれからどうなるかなど私には全く分からないけど、

影響が大きくなろうと収束しようと、

変わる人は変わり、変わらない人は変わらないのだから、

あとは、「いつ変わるか」だけの問題と思っています。

 

「変わる」なんてのは、私にとっては相当に難しい。

私が「廃業から上場」という経験をさせて頂いた背景には、

「自ら変わった」のではなく、単に「環境が変わった」だけというのが大きく影響しています。

結果、「行動を変えた」のではく、「行動を変えざるを得なかった」という、

「環境変化による強制」が働いたから、「自身への変化」が起きたということだと思っています。

もし私が個人資本100パーセントで同じ仕事をしていたとしたら、恐らく上場などなかったでしょう。

うるさい資産家や、価値観の違うすんなり行かない面倒くさい年上や、過去の成功体験を持ってすがってきる人や、

そういう人達がいたから、イヤイヤながらも、腹を立てながらも、合わせるところは合わせて、演技するとこは演技して、自分だけの思い通りにならないクチャクチャな状況を踏んで踏んで踏みまくっていくうちに、気づいたら結果として変化したのでしょう。

 

だから、私のような本来独りよがりで、グウタラでワガママな不遜な人間は、

環境も強制もなしに、自分の範囲で「変わる変わる」「変化だ変化だ」と言ってたところで、何も変わらないのです。

だから、今実績のない他人もきっとそうだろうと仮説を立てているのです。

それが私の身をもってした「変化」に対する自論です。

 

だとすると、もし、私が、本当にご依頼頂く会社や企業さんの業績アップや回復に対して、何らかの貢献をしようとするなら、

お相手に対して、経験上信じていることや、やるべきことというのは、徹底的に強制することなのかもしれません。

いつの日になるかは、お相手のペースや財務状況や背景もあるとして、

しかし、そのきっかけだけは作らせて頂かねばと思うし、

もし、それができれば私は本望です。

 

そこまでして目標や望みなど叶えたくないなら、その目標や望みを諦めるか、

自分は変わらずして願望だけ叶えてくれる人を探したり、

耳障りの良いことを言って気持ちよくさせてくれる人を探すのもいいでしょう。

 

何だかんだ言って、最後は結果を問われるのは、どの会社も同じように、私も同じである以上、

どのやり方をするかよりも、「結果」に対しての方が前提になるのでしょうから。

 

私個人としては、行動変化に対しては、無茶苦茶厳しい本質はあるけれど、

やってる現象は、見るからにグダグダで楽しくてアホ丸出し状態であるというのが理想中の理想です。

まぁ、結局は、私が自分自身に揺るぎない自信があるかないかになってくるわけで、それがどこまで行けるかが私自身への課題とも言えます。

 

街のディスプレイだけではなく、きっと今年も桜は咲いてくれるのだろうと思います。

環境や市況がどうあれ、美しく、狂おしく咲き誇り、そして、儚く散っていくその姿から、

きっと多くの、人生やビジネスの気づきや学びがあるのだろうなと思います。

 

そして、そこから、人は、含蓄のある思考をしたり、言葉にもしたり、

そして、自分に都合よく捉えたりもするのでしょう。

 

せめて、私は、せめて、

ご縁を頂いたり、ご依頼を頂ける方々のビジネスの桜が満開になるように、

そして、散ることなく、

せめて、私の今の全力を尽くしたいと、

一年に一度の、この桜の時期に考えているところです。

 

私は私で、仮説と実験で準備してきたビジネススクールという形で行動を起こし、

私自身の変化へと強制していけるよう進みます。

 

 

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