他人に教えられる、そうありたい自分
良くも悪くも含めて、自分の今の状況や実態、至る経緯や価値観・感情、人生の系譜まで、できるだけ理解してくれようとして、
その上で、今の問題・課題の解決や、不安の解消に向けて、
持っている知見や知識をフル回転させてくれて、まるで自分事にように、一緒になって考えて、できるだけのことをしようとしてくれる、
未来や他人のことが、どうなるかなど分からないけれど、分からないことを前提に、限られた時間の中、一所懸命に他人である自分の事を考えてくれる、
今も昔も、私はそういう人と出会えた時に本当に嬉しかったし、変わらない。
そんな人を都合よく求めるけれど、そんな人はなかなかいない。
なかなかいないから、出会えた時には、本当に有難いと思うし、自分もそうでなきゃいけないよな、と、
昔も今も思える、稀有な時がある。
そんな人と、ずっとずっと一緒にいられたら嬉しいし、
そんな人にとって、そういう自分でいたい。
もし、私が、今それをできていたら、それは、そういう人達からの影響だし、
できていないとしたら、それは私が舐め腐ったり、初心を忘れてしまっている時なのだと思う。
自分がさせて頂けるを、目の前の人に、全力を尽くす。
プロとして当たり前のことと、言葉や頭では分かっていても、
時の経緯と共に、疲れたり、挫折したり、限界を感じたり、怠慢だったり、調子に乗ったり、何かのせいにしたり、あの時の気持ちを忘れてしまっていたり・・・・・、
そういう時にもう一度、しっかり思い出させてくれるような出来事は、ちゃんと節目のタイミングやってくるのかも知れない。
出逢えた方や、ご縁をつくって頂けた方に感謝します。
こういうことを忘れないよう刻む為に、私はブログを書いているのかも知れない。
人間にやって欲しい感情の価値
AIとのやり取りは、
「肯定的」「否定をしない」「何度同じことを聞いても安心」
等の理由から、どんどん依存が高まってしまう、という話はよく聞いているのだけど、
心理的な動機付けや意欲、すなわちモチベーションに影響し、行動量が増えるという意味で、よく理解できます。
もう片方で、情報発信の量を増やし続けるモチベーションに関する問題はあって、
発信に対する「いいね」や「♡マーク」の量というのは、影響するでしょう。
①・発信を前提とした情報を得るモチベーションを上げても、
②・その目的の情報発信をした結果、モチベーションが上がらなくなって、
③・元の①の行動もしなくなる
という経験は、私は、小学校の勉強から始まって、今までの人生で数えきれないほどあります(笑)。
それをやった結果の、「内的な報酬」が予測できなかったり、
あるいは、やったとて「内的な報酬」が思ったより少なくなったりすると、
元々の前提の行動すら起こさなくなる、という極めて動物的な本能に戻るわけです(苦笑)。
だとしたら、AIとのやり取りだけ「肯定的」な承認欲求が満たされるだけでなく、
発信した結果に対しても、
「いいね、いいね!素晴らしい!頑張れ!最高!」
と言ってくれれば、頑張れるわけで(笑)、
じゃあ、反応してくれるAIロボットをたくさん作れば、実態がどうあれ、情報発信し続けるから造ればいいんじゃん、
と思いついたのだけど、
(そもそも、造れねーけどな(苦笑))
でも、そうすると、それはやっぱり人間の生の声じゃないと意味がない、とかなるのは何となく予測されるわけで(笑)、
こういうとこから「人間の応援・承認」というのは、極めて高い「価値」とも言えて、
考えてみれば、それに該当する高い収益性のビジネスモデルや、マネジメント手法は、既に現実としてあるわけだから、
サービス業や営業の本質は何なのかは、こういうアホ話から見えてくると思うのですが(笑)、
大抵の場合、「要は人間性だよね」みたいな、もともと知ってる話ですよねで丸まって、実際には感情に負けて、やらなかったりするんですね(苦笑)。
「不必要」と「必要」の架け橋に宿る価値
子供の頃、欲しかった未来の機械のオモチャがあった。
その夢は、時が経ち、今、当たり前のように使えていて、勝手に夢が叶ったっていたりする。
(本人は何の努力もせず(笑))。
時を隔てて、昔に夢見ていた頃のそれが、期せずして見つかることがある。
それは、とても心が豊かになって嬉しくなる時間でもあり、
そして、当時より何倍も高い金額に悩みながら購入してしまったりする。
昔、夢だったものは、今、現実となり、必要なものになり、
そして、昔の夢は不必要になったけど、
その不必要なものが、自分にとっては必要になっている。
必要なものは、誰にも必要な機能上の価値があり、
不必要なものには、個人との関係によってのみ、万人が理解しないけど、高い価値が宿る。
どっちの価値が正しいかよりも、
自分がどっちの価値を提供するかは、
例えば、広く万人に安く売るか、狭く限られた人に高く売るかの、
今の自分の立ち位置で意図すべきだと思うのです。
こういうが見つかった時の、自分のリアルな消費体験に、そういうことを、ついつい考えてしまうのですが、
もっと思い出すのは、「そんないらんもんばっかり買って!」と叱られたことだったりします(苦笑)。