皆さんもどうかお気をつけて

名古屋は雨が降ってきています。

なんだか過去最強の台風だというのは聞いているので、

今日の個別コンサルのお仕事後に、TOSBOI STUDIO事務所も、久しぶりの完全形態にして防衛体制にしました。

っつても、雨戸を閉めたってことだけですけどね(苦笑)。

ここは、築60年以上も経つ建物なので、台風情報の度に心配だったりしますが、心配したところで仕方ないものは仕方ないので、できるだけの準備をすることですね。

今のところはまったく大丈夫な名古屋駅西地区ですが、どの地域も、皆さんも、何事もないことを祈っています。

 

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スーツ嫌いを検証してみたら自分がアホなだけだった(苦笑)

今日はスーツの日でした。

やっぱり嫌いです(苦笑)。

 

いつからか、何でこんなに嫌いになったのかを改めて考えた時に、

① まず、「ネクタイをいちいち締めなきゃいけない」「シャツのボタンを首元まで一つ残らずとめなければならない」といった所作に代表される、着用する際の時間が、

私のいつものグダグダ服装の時より格段に増えて面倒くさいったらありゃしない(笑)。

要するに、たかが外出というために服を着るという行為にそこまで時間をかけたくない。

 

② さらに、それだけ人生のコストをかけるわけだから、

そういういくつかの面倒なハードルを一つ一つ越えてスーツを着るに耐えうる対象、

すなわちスーツを着る目的が自分にとってどれだけのメリットがあるか?を考えた時に、

本当に着る手間をかけるに等しいと思えるだけの対象は、一年のうちに一回あればいいという程度のライフスタイルになっている。

コストがかかるというのは、生きていること自体にかかるとも言えるのだから、

正確に言うと、そのコストをかけるほどのメリットを、行く場に感じられなくなってきている。

費用対効果に対する私の価値基準が合わない、ということなんでしょうね。

 

いや、仮に、もし、スーツを着て、その場に行ったら、それだけで1,000万円くれるとか(笑)、

「スーツを着るのが条件なんだけど、1時間で300万円の講演してくれませんか?」と言われたら、二つ返事ですぐに飛びつくし(笑)、

あるいは、「オードリー・ヘップバーンと会えるけどスーツ着用」と言われたら、迷うことなく着るし(笑)、

スーツ着てけば、ステキなお姉様達にモテモテ・チヤホヤされて、もう桃源郷並みに大変、みたいなことが予測されるなら、絶対着ていくだろうけど(笑)、

現状、当然ながら、そういう場は一つもないということになります(苦笑)。

 

③ じゃあ何で着てんだよ、となるわけで(苦笑)、

そうなると、せいぜい、その場における、礼とかマナーとかTPOとかルールの為にとか、「相手にとって失礼がないように」みたいな話、となる。

それはそれで、その国や、地域やコミュニティの「しきたり」や作法なのだなら仕方ないとも言えるんだけど、

でも、それ自体、いつかの時代に、どっかで誰かの価値観に基づいて、誰かが考えたことには違いないわけで、

そんな、いつ、誰が、どんな目的で決めたのか、よく分からん縛りや規制に合わせて、

何でこっちの人生コストを使わにゃならんのだね?と、やっぱりなる(苦笑)。

 

④ ここまで書いてきて、よく分かってきたのですが、

要するに私が私にとって都合よく生きていたいだけであって、どう考えても私のワガママなだけですね(笑)。

それを言うなら、スティーブ・ジョブズくらいの実績出してからであって、

そしたら「礼だ、マナーだ、失礼だ」などと言われることもなく、年中同じ黒のタートルネックとジーンズスタイルでも、

「その人らしさ」と言えるだけの説得力はあるんだろうけど、

私程度の人間は、

「あなたに会う為に、最低限の身だしなみとして、ここまでは時間かけました。シャツもパリッとアイロンかけました。靴もピカピカに磨いてきました。そうするコストをかけるに相応しいあなたです。」

ということを、見た目で分かる外見で表現しないと、会ってもらえる理由がないわけで(苦笑)、

「服装なんて関係ないよ、私は私なのだから。」なんていう、あたかも顔が売り、誰もが知ってるほどの著名人ならまだしも、

その他大勢程度の私が、言えることじゃないのだから、

せめて身だしなみだけでも人様に失礼のないようにしとけよ、このクソ凡人が!

という程度のことなんでしょうね(笑)。

 

はい。個人の趣味嗜好や「好き・嫌い」や価値観なんてのを吹聴する前に、

黙って、ちゃんとスーツ着ときます(苦笑)。

 

こうやってみると、個人的な「好き嫌い」の見解を、理解してもらおうとしてベラベラ喋るってのは、

いかにカッコ悪い自分を露呈しているのかってのが、よく分かるな(苦笑)。

 

要するに好きに生きてたいだけ(苦笑)。
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格言は言う人の実績に比例するんだろうな

「欲すれば手に入る。」

というような格言を聞く時もあるし、

「追えば逃げる。」

というような格言を聞く時もあって、

 

どっちも格言なんだから、格言たる由縁はあるわけだけど、格言同士で二律背反することはあって、

結局どっちなんだよ、と思ったりすることはあったりして(笑)、

どっちも格言になるということは、それなりの理由があるわけで、

その理由は何なのか?と考えてみると、

その言葉そのものに説得力があるのではなくて、

その言葉を言った人に説得力があるからなのでしょうね。

じゃあ、なぜ説得力があるのか?というと、任意の認められるだけの明確な実績があるからなのでしょう。

 

言葉だけなら、言葉を覚えれば使えるわけで、

何かが、手に入った時は「要するに、欲すれば手に入るんだよ。」とか格言めいたことを言えばいいのだろうし、

手に入らなければ「結局は、追えば逃げるんだよ。」とか格言めいたことを言って纏めてしまえば、それなりに聞こえると言えば聞こえてしまうわけで、

使いたければ、状況によって覚えた言葉を適当に出せばいいのでしょうから、

まぁ、都度、都合の良い時に適当に使ってればいいことなのでしょう。

 

裏を返せば、どんな実績があるのかよく分からん人が、格言めいたことや、さも分かったような本質論を語ったところで、

何の説得力もなく、ただ、なんか知らんけど、覚えた言葉を喋っているというだけ、ということになんでしょうね。

 

まぁ、そういうのは、「人生の格言みたいなのはありますか?」と、人から聞かれた時に、あれば言えばいいだけのことで、

自分からわざわざ言うことでもないのだろうなとは個人的には思います。

(というか、私はないので「ない」としか言えないけど(笑)。)

 

まぁ、「欲すれば手に入る」のか「追えば逃げる」のか、どっちが正しいのかは、私は知りませんし、

使うとしたら、都合の良い時に都合よく使っている程度ですが、

その前に「手に入れたいものは明確に具体的にあるのか?」という問題があって、

改めて自らに問うと、何となく曖昧で抽象的で聞こえのいい言葉程度は言えるのですが、

具体的な数値とか映像で固まっているかといえば、かなり適当なことが多いわけで、

そうなると、「手に入る」も「逃げる」もへったくれも、実は最初から何もないんじゃねーか、と自覚させられるわけです(苦笑)。

 

そうなると、いちいち何かをさも考えているとか、何かに向かって生きているとか、そんなご大層なことを自分から言わずに、

そもそも、何も考えてないし、刹那的に感情で動いているだけだし、ただ無意味に生きて死んでいくという味気ない人生を歩んでいるだけです、と、

割り切って日々を懸命に生きているだけの方が、結果として、誰もが認めるような実績ができて、気づいたら他人から

「どうしたらそんなことできたんですか?」

「それをやり切るだけの人生の教訓や格言はありますか?」

と聞かれて、その時に初めて考えればいいことのかも知れないね、とも思うのです(笑)。

 

というようなことを、

手に入りそうで手に入らない、遠近アホ画像を撮りながら(笑)、

この場合、何という格言がしっくりくるのか?と考えながら思うのでした(苦笑)。

 

格言は実績を出してから。
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