「どうありたいか」と「いかによく見られたいか」の一致は難しい(苦笑)

階段の下から撮ってもらって、足が長く見える画像だけを世の中に出せば、
足が長くてカッコいい人という認識になるだろう、という姑息なことを考えても、
肩にかけたバッグが後ろに写って、あまり効果がないことに後で気づいて、意味ないじゃん、と思ったけど、
でも、それが、たまたまバックが写り込んで、足が短く写っただけで、ホントは足が長いんだろうな、と思ってもらえる逆効果にならんかな?と、
姑息の上にさらに姑息を重ねて、いらぬ効果を期待する、という発想はいかがなものか?
ということを、本来の、リアルの現場に関わってみて初めて分かることがある、みたいなことを書こうとしたけど、
一切飛んでしまっている愚かさよ(苦笑)。
自然体でいたいという本来の中身と、いかに良く見せたいという願望の外見を一致させるのは、かくも難しいと、私は思うのです(苦笑)。
個人の一貫した世界観や空間に価値を見出したい
どんなに最新技術が進んで最新機器になっていっても、
古い機械を直すのは、古いタイプのロボットにやってもらって、アナログのメモや記録で対応して欲しい、
というような、トータルの世界観に、価値やセンスを見出し、圧倒的支持をする人は、絶対数は少ないながらも、一定数は確実にいると私は信じていて、
それは何でかと言うと、私がそうで、そういう対象に消費をしているからです(苦笑)。
これからのスモールビジネスは益々問われる予測をしていて、だからどうすんだ?って言われても、俺も知らん、としか言いようがないけど(苦笑)。
一番おススメできる私のAI活用法(笑)
AIで遊んでいると、ホントにただ遊んでいるだけで、
それは、何も考えずにゲームやったり、テレビばっかりボッケーと見てたりしてたのと同じ程度なんだけど、
ゲームやってると「ゲームばっかりやって!」と怒られたり、
テレビ見てると「テレビばっかり見て!」と怒られたりしたのに、
AIで何かやってると、なんか最先端を勉強していたり、研究していたり、ビジネス活用しようとしてる風に思われたりして(笑)、
何より、自分は、AIを勉強したり、最先端の技術を習得して、何か新しいことをやろうとしていたり、業務効率化しようとしてるんだ、と、
何も考えずに、ただ遊んでいるだけなのに、自己重要感を感じたり、できる自分と自己暗示をかけられるのが、
何より都合がいいわけで(笑)、
AIの最大の活用法と言えば、今のところ、私はそれです(苦笑)。
まぁ、どっかでバレるだろうけどな(笑)。