希望の言葉は残酷な現実に向き合うとも言える(苦笑)


どんなに面倒くさくて、やりたくないような作業でも、

一緒にやる相手が誰かによって、やりたくて、楽しくて仕方ない時間に変わるわけだから、

そりゃ、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」だ、と言いたくなるけど、

その、選ばれるだけの「誰」になれるかどうかという点において、

そっちの方が、既に何ともならない、より残酷な現実が待ち受けている予感がして、不安に包まれているのは、私だけか?(苦笑)

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人の言うことは聞いたフリしとく程度で丁度いい(苦笑)


「やるなら、徹底的にやれ。」

と言うので、一つの事を徹底的にやってると、

どうして、

「お前は好きなことしかやらないからダメだ。」

と言われるんだろう?(苦笑)

「一つの事を徹底的にやって欲しいのか、あれこれバランス良くやって欲しいのか、どっちなんですか?」

と聞いたりすると、

「お前は極端だ!」

と、言うので、

「えぇ、徹底的って、はたから見たら極端なことだと思うんだけど、じゃあ、徹底的なんて言わなくていいじゃないですかぁ?」

とか聞いたりすると、

「面倒くさい!」

と、怒り出すので、

「だからあなたは、うだつが上がらないんですよ。」

と言うと、もっと怒り出すことは予測できるので、それは言ったことはない(苦笑)。

私は、ただ生きてるだけなのに、何でそんなに、叱りたくなったり、怒りたくなったり、何かつべこべ言いたくなるんだろう?

と思うことが時々ある(苦笑)。

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努力と評価は比例しない前提と反対側の本音

夜通しやったところで、評価が比例するとは限らないわけで、

だから、やってみないと分からないから、やるだけやるしかないんだよな。

どこまでやり続けるかを考えると、ハナっから評価なんてもんは考えん方がいい、ことくらいは知ってるけど、

それでも、アウトプットしたらしたで、やっばり他人に反応されるかどうかは気になるのが情けなかったりします。

やりたいんだったら、やるしかないだろ、やるしか。

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