カッコつけるのはカッコ悪くなる迷宮(苦笑)
映画「バッファロー66」監督・主演のビンセント・ギャロが、作中で着用しているタイト過ぎるレザージャケットがカッコ良くて、
(別に知らなくていいですけど、この映画や俳優さんのことは(苦笑)。)
そのレプリカのレザージャケットを、ギャロになりきってパツパツで着ながら外出していたら、
フと見つけた喫茶店がとても気になって、入ってみたら、
これがまた劇中のイメージに近い場末感タップリの歴史ありそうな純喫茶で(笑)、
これはもう、ビンセント・ギャロになりきって、カッコつけて写真撮ってみたはいいけど、
客観的に見てみたら、案の定、全然カッコ良くなかった(苦笑)。
どころか、何なんだよ、このカッコ悪いオッさんはって感じだよ(苦笑)。
カッコつけようとすると、カッコ悪くなるのは誰もが知っているのに、
どうしてカッコつけようとしてしまうのでしょうね?(笑)。
カッコ良く見せようとするってのは、カッコ悪いってことです。
はたから見たら、恐ろしく滑稽で、間抜けです(苦笑)。
私なんかは、他人に対してそう思うことは当然ながらよくあるにせよ(笑)、
何を隠そう、私は、自分に対して一番そう思うわけで(笑)、その度に何より痛い自分を目の当たりにさせられるわけです(苦笑)。
タイトに着てこそカッコいいのに、腹出てるしな(苦笑)。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
他人からどう見られるかということを、あまりに意識しない・意図しないというのは、無神経だと思う反面、
他人からどう見られたいか?ばかりを気にして、身の丈より大きく見せよう、良く見せようとして、無理や意図や強すぎる承認欲求を感じるのは、痛いを通り越して、もう痛々しくて見ていられない。
ちょうどいい加減っていうのは、かなり難しいんだろうなぁ、と私は思っています。
他者評価より、自己評価が高いのは、その人の勝手だけど、
それを強烈に認めて欲しがったり、他人を評価・評論する側に立ってなんとか実現したがるタイプは、見てて痛いな(苦笑)。
そういう人の共通点って、自分が他人から評価して欲しいところと、他人からの評価に値するだけのご本人の実績が比例してねーから、
だから、誰も、自分が評価して欲しいところを言ってくれないから、自分から誰かに言うしかない。
そういう人の話に捕まると、疲れるから、好んで一緒にはいたくないや、となる(苦笑)。
個人的には、身の丈とか、自然体とか、肩肘張らないとか、肩の力が抜けているとか、
そういうのってすごくいいと思うし、そうありたいんだけど、
自他共にそういられる状態っていうのは、口で言うほど容易くないと思うのです。
だって、ほら、こんなクソカッコ悪くて滑稽で不恰好な写真を、撮るだけならまだしも、公にさらしてる自分がいるわけですからね(苦笑)。
と、いうわけで、「お、ビンセント・ギャロみたいじゃねーか?」「ビンセント・ギャロに似てるっていわれません?」と、
自分から言う前に、他人から言われるだけの実績が私にはいるわけで(苦笑)、
どーでもいいから、その腹を引っ込めてから人前に立てよ、おめーは、と自分に叱咤激励、言い聞かせるのでした(苦笑)。
やりゃいいんでしょ、やりゃ(笑)。