自分のモチベーションはどこにあるのか?
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中部国際空港のタバコが吸えるカフェから更新です。
相変わらず、落ち着きなくあちこち行ってて、んで、さっき名古屋に帰ってきて、落ち着いてお茶しようとして、
でもブログを書こうとし出して、結局落ち着きません(苦笑)。
今回、名古屋を出たのがいつで、何日前にどこで何やってたのか頭の中でオボロになってて、
でも、よくよく思い出してみると、つい3〜4日前程度のことだったりして、初日のことがもう随分前のことのように頭の中ではなってるだけで、
そんな大したことでもないじゃん、と思いながらも、
ということは、きっと一日一日・ひとつひとつのお仕事を、俺はスンゲェ集中してやってるってことだろうな、
と、何の根拠もなく、都合の良いように思っています(笑)。
日頃からの情報発信は、現代ビジネスにおいては何より大切であることは分かっているものの、
例えば、私の場合で言うと、人前で喋っている時間や、人の話を聞いている時や、一人でいたとしても集中して何かを考えていたり、作業をしていたり、
(あるいは、一人で気がすむまでグダグダしている時も(笑))、
そういう、ひとまとめに、情報発信よりも優先する時間(あるいはせざるを得ない時間)は、その時間と同時に、情報発信の作業はできないわけで、
そもそも、お仕事が増える為に情報発信するというのが目的であるなら、それくらい何かと忙しくなるのであれば、情報発信はしなくていいじゃん、という考え方もあるのかと思います。
何かの作業や行動というのは、そもそもの目的が達成されれば必要がなくなります。
私がブログやSNSで情報発信(どうでもいい情報だとしても(苦笑))するのは、
私の場合は、ビジネス前提であったりするのですが、
そのビジネスそのものが忙しくなれば、一時的にでも目的が達成されているわけで、
晴れて、「毎日毎日、いちいち、こんな面倒くせぇこと、もうや〜めた。」とか言って(笑)、とっととやめればいいのでしょうが、
こうして、性懲りも無くブログ更新しているということは(笑)、
情報発信する目的は、少なくとも「一時的にでもお仕事が忙しくなって儲かる」ということ【だけ】ではない、ということになります。
【だけ】ではないのだから、他にも理由や目的はあるわけで、それが何なのかを一つ一つ理解しておいて、
状況や環境に合わせて、その優先順位が変わっていく程度までは、頭の中を整理しておきたいとは思うのです。
例えば、一時的でないとしたら、向こう20年くらいお仕事の依頼が来てスケジュールがパンパンになってたら、もう俺は書かないのか?、いや、それでもきっとアホなこと書くな、きっと、とかね(笑)。
何しろ私は、「それをやった方が良いか悪いか?」という概念にはあまり興味がなく、
「それをやるだけのモチベーションは自分の中にあるのかないのか?」が大事ですから(笑)。
要するに、根っからの面倒くさがりのグダグダ好きなので、できれば、何もせずにグダグダと生き続けれていれば、幸せなんだろうなという程度の人間なわけで(笑)、
そりゃ、子供の頃から、勉強しろとかは四方八方から言われ続けて、でも、何で勉強した方がいいのか?という理由は、それなりに頭では理解はしていたものの、
頭の中で理解しただけでは、結局やらなかったですもんね(苦笑)。
やるだけの動機がなかった、あるいはまるで見つけられなかったということです。
やった結果の快感や、やったらどれくらい嬉しいことがあるのかを憧れるほどにリアルに感じさせてくれる対象がなかったのでしょうね。
でも、図画工作や美術だけは、楽しかったし、結果、成績は良くて、成果が上がったということは、恐らくは、他人よりも情報に触れたり、行動してた時間が多かったからで、
私の中では、やるだけの理由、何らかのモチベーションがあったのでしょう。
こうして書きながら思うのですが、私にとってブログ更新とかSNS発信というのは、子供の頃からの図画工作と同じで、
なんか描きたいから描き、いやんなってやめ、でもまたなんか描き始め、
なんか造りたいから造り出し、飽きてはやめ、でもまた造りはじめ、
そうこうしながら、50年近く経って、プロでもないし、仕事でもないのに、まだ同じようなことやり続けていて、
要するに、明確な理由などなくて、ただそうしてたいからそうしている、
要するに目的や理由などどうでもよくて、ただ好きだからやってんだろ?
ということと、ブログ更新も本質的には同じ欲求なのではないか?と思うわけで、
なんか書きたくなったから書きはじめ、面倒くさくなったらやめて、でもまたなんか書きたくなったから書き出し、みたいな(笑)。
口では、「現代ビジネスで成功したいならブログとSNSの発信はマストです。」なんてこと偉そうに言いながら、
ただ、好きなことやってるのを、公的に正しいことだと肯定的に主張したいだけなんじゃねーか?と、自分に疑いを持ってしまいます(笑)。
でも、もし、そうであるなら、
ただ好きで、何の明確な目的も理由もあるわけでもなく、ただ本能的に何かを表現することが好きだから書いていて、
たまたま時代的にブログやSNSがビジネスに有効だという歯車に合っている、としたら、
それはそれでスゲぇラッキーなのかも知れません(笑)。
って言うか、最強じゃん、それって、とすら思えます(笑)。
好きでやってるだけのことが、ビジネスに直結するのですからね(笑)。
そんな有効かつ楽しいことはありません。
「ビジネスにおいてブログは書いた方が良い。」という人がいたとして、その人の言うところの、「なぜならば」の理由や根拠はちゃんと聞くし、参考にはして、なるほどと思うことはあれど、
だからと言って、私のモチベーションが上がるかと言えば、そんなこと、ほとんどありません(苦笑)。
「ふーん、そうなんだ。」と思うか(笑)、「なるほどねぇ。」とただ頭で理解するだけです。
まして、「毎日書く方法」とか「読まれるブログの書き方」なんてのには、まるっきり興味が湧きません(苦笑)。
だって、「漢字ドリルを毎日やる方法」とか「良い点数取る為の勉強方」みたいなのと、私にとってはまるで同じだから(笑)。
大人になってからの情報発信方法論も、子供の時の勉強方法も、私にとってどうでも良いという価値観はまるで同じで、
私が欲しいのは、「自分にとってそれをやる意味がどこにあるのか?」をちゃんと自覚しておくということなのだと思うのです。
というか、「今の時代、ビジネスで成功したいならブログやSNSで情報発信した方が良い」という程度の知識なら、誰でも知ってはいるけど、
でも、それを理解してたところで、やってない人もとてつもなくいるわけで、
知らないからやってないならいざ知らず、知っててもやらないというのは、
それはもう、そんなことより、人生時間で優先したいことが一杯一杯あるんだろうから、それはそれで自分で選択してるのだから、いいのでしょう。
私も、書きたければ書くし、書きたくなければ書かないし、書きたくても書けない状況なら書かないし、書きたいけど優先したい煩悩が多ければ書くわけないし(笑)、
まぁ、そんなもんでいいのかなぁ、と思ったりします。
だって、結局は、こうしてまた書き始めるのですから(笑)。
お仕事させて頂いている企業さんから頂くご相談の多くは、
「やることは決まるのだけど、社員がなかなか動かない。強制的にやらせてもダメなことは分かっているし、条件を釣っても本来ではないことは分かっている。
分かってはいるけど、でも、じゃあ、どうしたらいいのか分からない。
どうしたらいいのでしょう?」
といった類が圧倒的に多いです。
そんなの、私だって分からないし(笑)、面倒臭いし(苦笑)、私もずっと苦しんできたことだけに「知らんがな、私だって。」と言いたいところですが(笑)、
ご依頼を受けたからには、そうともいかず(笑)、そして、私も同じようなことで、苦しんでは真正面から色んなことをやってきた経緯を持っている以上、他人事とも思えず、
だから、脳天気にお茶してる時間ができた時に関わらず、こんなどぉでもいいこと考えるんでしょうね(笑)。
せっかく移動だけで、何も考えずにいられそうで、髪の毛もボサボサのままの日に(笑)、何もこんなこと考えては、ブログアップせんでもいいだろ、とも思いながら(笑)、
目の前のことで一所懸命の連続があったからこそ、こうしてクールダウンしてる時に頭が冴えるのかも知れません。
それは、それで、まぁ楽しくていいですけどね(笑)。
「努力する方法」はいくらでもあるような気がします。
でも「努力する意味」は、自分で考えない限りは手に入りません。
私の経験則の上では、そういう考えに基づいてアプローチできれば素敵だなぁ、と思っています。