仮説を証明したいなら実験してみよう(苦笑)
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人が、見た目に異常値を感じる時は、大きく2つのことを認識した時にあります。
① 普通はそこにないはずのものが、普通にそこにある
② そこにあることが普通なものが、必要以上の量で普通にそこにある
人に役立つかどうかは別として、人が異常値を感じたり、逸脱していると感じたり、独自性を感じたりする場合、現象としては、大きくこの2つになるでしょう。
「普通」や「一般」や「常識」というのは、その時代と生息している地域における人類の多数決で決まるのが妥当ですから、
異常値を出したかったり、逸脱したかったり、独自性を出したければ、行動を圧倒的少数へと選択し続ければ良い、と論理的には言えることになります。
そうすれば、こと独自性や逸脱や異常値というのであれば誰でも発揮できます。
ただし、ビジネスが前提となると、わけが違ってきます。
ビジネスにおいては、異常値や独自性や逸脱というのは、意識的に発信したいのであれば、
常に、もう片方の常識や一般や普通というものを認識しておくというのが前提となります。
誰かに役立たないと、ビジネスそのものが成立しませんからね。
「自分以外の誰か」をどれだけ認識できているか?が前提となるわけで、
ここが、単なる「誰からも相手にされない変な人」と、「独自のビジネスで成功している人」の初動段階の大きな違いです。
メインカルチャーがないと、サブカルチャーは生まれないし、
多数がないと、少数は存在しないし、
常識がないと、逸脱はあり得ないし、
社会がないと、発揮される個人はありません。
私から見て、その人らしさ(異常値・独自性・逸脱など)を発揮しながらも、
社会的実績(業績・売上・年収など)も上げ続けている人、
すなわち、好きに生きてるように見えて、社会的に成功している人というのは、
いかにも自分の好きなことばかりやってるように、「見た目」には見えて、
上記したようなことのバランス感覚が卓越している人です。
非常識に見えて、極めて常識的であったり、
感覚的に見えて、一方でとてつもなく論理的思考があったり、
何も考えてないように見えて、とても思慮深い側面があったり、
表層や現象で認識できること以外の、目に見えないもう片方の側面を、表層や現象と同じくらいの深さやエネルギーで持っているというのが共通しています。
好きに生きているように見えて、前提として他人のことをちゃんと見ている。
好きなことだけを仕事にしているように見えて、社会や市場環境や世の中の流れを前提に見ている。
独自性を持ちながらも、社会で成功している人は、皆そろってそういう人達です。
ただし、見た目には文字通り「見た目」ですから、他人が客観視できた時だけ見えるその姿というのは、片方だけしか見えません。
その人の頭の中の思考や、あるいは、誰も見れない一人の時に何をやっているかといった行動は、他人からは見えないわけで、
見えない時の行動や、見えない時に何を考えているのかは、その人にしつこくしつこく聞くか、あるいは寝食を共にしてよくよく観察しまくるくらいしか手がありません。
さらに、よくよく知ったところで、パクれるか?というと、これがなかなか難しい。
例えば、これはもう才能なんじゃないか?とか、センスがいいという言葉でまとめるしかない、とか、生まれてから今日に至るまでの経験値が違い過ぎるとか、こんなのもう生まれつきじゃん!とか、そういう元も子もねーよ的なとこに行き着くことがほとんどだったりして手に負えません(苦笑)。
よって、ちょっとやそっとでは簡単にはパクれないのです。
私の場合は、知れば知るほどに難しいと感じ、知れば知るほどに遠くなっていくような感覚に見舞われます。
それでも、自分なりに見えてくることがあるまで徹底的にパクろうとすればいいのだけど、それはそれで時間がかかります。
よって、異常値・独自性・逸脱に対して、すぐにできる効果的な方法は、私としては、
「好きなことをやり続ける」
ということになります。
ここまで書いてきて何ですがね(苦笑)。
「好きなことを、人目もはばからず、徹底的にやり続けてみる」というのが、一見不効率に思えて、最も早く実践的な方法です。
最初に記載した、
① においては、仕事中も「好きなこと」や「好きなモノ」「好きな格好」に、どこまで囲まれるかどうか徹底的にやってみれば、それは、他人から見れば一般的ではなくなるし、普通ではなくなります。
② においては、勝手にどんどんやり続けるので、ちょっとやそっと好き程度の人よりも量で圧倒差がつきます。
好きなんだから、努力もへったくれもありません。ただ、好きでやりたいことをそのままやって生きてればいいのです。
これは、中小・零細・個人企業にはやりやすくて、大手企業ではやりにくいことでしょうね。
我々が圧倒的に有利なビジネススタイルのあり方です。
まぁ、やってみて、ただし、周りの反応はちゃんと見ておくことは必須で、
やりながら、ちゃんと「ビジネスにおける独自性として成立するかどうか」を精査していくことが必要でしょう。
私が「好き」なことは、ほぼ固定されたこともあるなら、
その場で思いついた「面白そう」なことを実際にやってみたくなるというのもあって(苦笑)、
特に街を歩いていると、何かを見て、やってみたいなぁ、と思ったことはやってみたくたってしまいます(笑)。
街を歩いていると、それがとても多くて楽しい。
ただ、思いついたことをやってみるリスクがないか?というと、それは結構あるわけで、
欲求を引き止めようとする最大のリスクは何かと考えてみると、
他人からどう見られるか?恥ずかしい思いをするのではないか?ハジをかくのではないか?ということ程度なわけで、
そんなもん、私なんて生まれつき恥ずかしくて(苦笑)、生きていることそのものがハジなわけだから(苦笑)、まぁ、いいかと(笑)。
と、いうわけで、とある街を歩いていたら、店頭にたくさんの風船で飾ってある集客施設があって、
恐らくは、② を狙ったものではないか?と予想できたのですが、
でもその程度の量じゃあ、今やどこでもやってる程度、珍しくも何ともない程度で、
① にも② にも属さなくなってて、誰も見向きなんてせずに、足早に通り過ぎるばかりだったので、
それなら、
「全部が風船だと思って見てたら、一個だけ人間の顔が出てたら ① に該当して、人は見てしまうのではないか?」
という仮説が頭をよぎり、やってみたくなって、
ちょうどうまく撮れるように、何度も何度もやってたら、道行く人達に国際を問わず不思議そうにジロジロ見られて、
別の意味で、① の事例になってしまったような気になって、結果として、実験は失敗したような気持ちになるのでした(苦笑)。
ちなみに、恥ずかしかったです(笑)。
当然、誰の役にも立っていなかったし、誰の喜びにも貢献していませんでした(苦笑)。
仮説があるなら実際に実験してみましょう(笑)。
仮説→実験→検証、この連続なのです(笑)。
「迷わず行けよ。行けば、分かるさ、恥ずかしい。」(笑)