見えないものが見えるまでマネしてみる
この人はスゴイ、この人は面白い、この人は尊敬できる、この人みたいになりたい、
そう感覚的にでも思えたらなら、それは、思った本人の感性や感覚に近いということなのだから信じていい、と仮説を立てている。
信じていいけど、もっと大事なのは、それはなぜそう思えたのだろう?と考えること。
まずは徹底的にマークして、できるだけ近くで、できるだけ長い時間、できるだけ多くの回数、できるだけ多く観察して、
何度も同じ話も聞いて、何度も紙に書き出して、何度も何が違うのだろうと考えて、
最初は、できるだけそっくりそのままマネしてみてる。
最初は、形から入ってみる。
夜寝る前に、何でそう思えるんだろう?と毎晩考える。
考えながら、寝落ちする。
最初は、目に見えるモノやコトをマネすることをやりきってみる。
完璧にマネできた時点で、それはもしかしたらオリジナルになっている可能性はあるけど、
それでも、まだモノマネの領域で、ハリボテの状態。
どうしてだろう?何が違うんだろう?どうしてあの人が言うと伝わって、俺が言うとなんか違うのだろう?
と疑問をもって、関心をもって、また、同じことを繰り返す。
書き出してみる。色んな要素を書き出してみる。
面倒だし、時間はかかるし、ほとんどは無意味に思えるけど、
それでも続けてみる。
それを続けていくうちに、
目には見えない、現象には現れていない、形にはなっていない、一定の共通項目のようなものが見えてくることがある。
見えるまで続けてみる。
あぁ、そうか、なぜあの人のことを、そう思えたのか、大事なのはここだったんだ、
と確信が持てたとしたら、
自分が出せるリアルや現象に置き換えてみる。
人は、それを、「本質」と言ったり、「根幹」と言ったり、「思想」と言ったり、「仕組み」と言ったり、「コンセプト」と言ったり、「真理」と言ったり、
そういう言葉だけでは、分かるような、分からないような、訳のわからない概念を理解した状態になるのだと思う。
もし、それができた時に、人は、それを「本物」「独自性」「オリジナル」と認識するのだと思う。
だとしたら、
① そこまで惚れ込めるほどの憧れの対象
② そこまで続けられる努力と継続
③ 高い志だろうと、純朴な欲望だろうと、そこまでできる強い動機
が大きな要素になる。
その全ては、「センス」とか「才能」とか、そういう諦めのつきやすい言葉の領域ではなくて、
単なる「努力」の領域なのだと思う。
じゃないと、全てが生まれつきで決まってしまう、と元も子もない話で終わってしまうじゃないか。
やってまなきゃ分からないのであれば、せめてモガクくらいはしなきゃ気が済まない。
そう信じて、今日も私は何かを見つけてしまい、興味を持ったら、マネし、同じことをやってみるのだ(笑)。