一撃必殺の答え「私のメリットは、なぁに?」
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桜の花が散り始めていますね。日常の中に、なんだか切なさや、儚さを感じて、それはそれで好きです。
桜の花を鼻に刺したらどうなるんだろうと、一つ刺してみたけど、やっぱり両方の方がいいなと思って撮り直しました(苦笑)。
そんなことしながら、フと思い出したことがありました。
ある人気女性講演家の講演に、その人のファンである私の知人の女性が行ったそうです。
その知人の女性は夢大きく、それは簡単に言うと、多くの人の前で話をしたり講演をしたりして、感動する話や気づきを与えたり、そういう空間を創り出すこをしたい。
学生の頃から、学祭でバンドをしたり、人前に立って司会や進行をしたり、結婚式やイベントの司会を依頼されては頑張ったり、皆の役に立てている実感や経験もしてきていて、それによる感動や喜びも自分なりに知っています。
社会に出てからも、会社で人前に立つ場面で活躍することも多く、それを磨いていけば、いつかその世界で本業として活躍できる夢を叶えるべく、自分なりの努力をしている。
関係するような色んな場所に行ってセミナーや勉強会に行ったり聞いたり、本も読んだり勉強もしています。
「多くの人を愛して、多くの人から愛される自分」に憧れを持っている感じの女性でした。
一所懸命で、頑張り屋さんで、可愛らしくて、周りからは人気者の女の子だったと思います。
ただ、私から見ると、話を聞くにつけ、プロとしてやっていくには、何かが足らないと思っていました。
しかし、当時、私もまだ若く、何が足らないのかが明確には分かりませんでした。
だから、上手く伝えられない。そんな感じでした。
その女性は、女性講演家の講演後、著書即売会サイン会の場で、自分の順番が来た時、思い切って言ったそうです。
「いつかご一緒にお仕事がしたいと思っています。」
その返答に、その女性講演家の方は、たった一言、こう答えたそうです。
「私のメリットは、なぁに?」
知人の女性は、その場で答えられなかったことが大きかったと、後に話してくれました。
その女性講演家は、なんと明確で端的、そしてたった一言でビジネスにおける原理原則とも言える全ての答えを教えてくれた。
私はそう思いました。
お金を頂いている講演家という立場で、しかもファンからの言葉に対して、よくぞ言ってくれた、とすら思いました。
「全てのビジネスは価値と価値の交換である」というビジネスの原理原則は、簡単な口語になおせば、「私のメリットは、なぁに?」に集約されます。
人は、消費行動であれ、誰と一緒に仕事をするのであれ、意識・無意識に関わらず、買う側であればこの言葉を相手に問い、売る側であればこの言葉を相手から問われています。
ただ、ストレートにこの言葉で問う人はあまり知りません。
「そんなの常識だろう、当たり前だ。」そう思うかもしれません。
しかしながら、月日が経った今、「ビジネスは、自分が、好きなこと、楽しいこと、得意なことで突き抜けよう。」というアプローチが、珍しくなくなってきて、その言葉尻だけを捉えると、「自分だけが好きで、楽しくて、得意なことをしていたい。」というように受け止めて、それが上手くいかないばかりに苦しんでいる人も見受けられたりします。
って言うか、どっちかを集中して考えてる時って、どっちかは忘れてませんか?と言うか、集中するが故に考えられなくて当然だと思うのです。
一言で言えるほど、私は簡単じゃないと思っています。
だから、どっちかを考えたら、必ずセットでもう片方を考える癖付けが必要なのだと思うのです。
ズレているなぁ、と感じている人は、このセット観がないことが多いのです。
もし、苦しんでいるとしたら、それは、どちらか片方の概念が抜けているのではないか?と一度考えてみると、新たな視点が気づきと、やるべきことがが出てくるかも知れません。
それ以来、ビジネスの現場で「私は、あれがしたい、これがやりたい。」という実績はないのにやりたいことだけ言ってくるタイプには、「それって誰が嬉しいの?」と質問するようになりましたし、自分が何をするのか発案した時も、一旦「それは誰が嬉しいのか?」と問い、明確に言えればビジネス案と定義し、明確でないけど、でもどうしてもやりたい時は個人的な趣味と割り切って、結果良けりゃラッキー程度と考えるようにしました。
無論、自分の人生ですから、誰よりも人生が楽しくて豊かになる人生を創るべきと考えます。
なので、まずは、
① 自分は何がしたいのか?
を明確にすべきでしょう。
次に、
② それって誰が嬉しいのか?
を考えてみる。
一発で仮説を立てられることなんてないけれど、これを行ったり来たり繰り返していく中で、ビジネス脳は鍛えられていき、結果、人に届くようになっていくと、私は経験上オススメしています。
ちなみに、画像は、自分以外、誰も嬉しい人はいないことは自覚していますから(苦笑 )。