実績なき主張はアホの遠吠え(笑)
最近、お仕事先でクタクタになってから寝落ちして、翌朝起きるのが楽しみになってきました。
何でかって言うと、今日はどんな憧れのヒーローに会えるか?だからです(笑)。
昨日は、三重県の遠くの方で「サイボーグ009」の一員になれました(笑)。
ただし、「002のジェット」か、「009の島村ジョー」か、悩み続けています(笑)。
私にとって、毎朝アホでいられることほど心地良いものはありません(笑)。
大した実績もないのに、物事がさも分かっているような前提で語ったり、
有名な先生の言葉をかじっただけで分かったようなことを書くのは、
はたで見ていて滑稽に見えてしまう自分がいたりして、
ということは、私程度の人間が偉そうなことを書けば書くほど、私なんかよりスゴイ実績を持った人はゴマンといるわけで、その中の誰かがきっと私のことを滑稽に見ているわけで(苦笑)、
いや、そんなことより、自分が自分を滑稽に見てしまうのが耐えられないという方が正しい解釈でしょう(笑)。
まだ若い頃に、会議の場で発言を求められ、思っていることを喋ったことがあります。
確か、多分、意見としては素晴らしい発言で、我ながら見事な弁論(笑)だったように思います。
その時に、その部署のトップに言われたことがあります。
「ツヴォイはペラペラとさも分かったようなことを喋るけどな、
お前みたいな若造の言うことなんて誰も聞いとらへんわ。
それよりももっと社会人○年目らしく身の丈に合った発言をせんかい!
まぁ・・・・、意見としてはえぇわ。」
今でも、「だったら会議の進行に困った時だけ発言を求めるようなことすんじゃねぇっつーのっ!」
という気持ちに変わりはありませんが(笑)、
同時に、今でも、なぜかずっと記憶に残り続けていて、人社会では大事にしておくべきことなんだろうな、とも思えることが凝縮されているような気がして、
心の中に刻まれている場面でもあります。
人というのは、特に年上とか立場が上の人ほど、理屈が合えば合うほど、感情が優先されるんだろうな、ということだったり、
自分の身の丈を分かっておくこととか、分をわきまえるということとか、
何を言っているかではなく、誰が言っているかが大事なんだなとか、
そういう定量化できない要素がきっと大事なんだろうなと思うからなんでしょうね。
私は私で、「これとこれはもう分かっている」と恥ずかしげもなく自覚する事柄はあるにはありますが、
そんなもんはどこまでいっても自覚の問題であり、正しさを証明できるわけでもなんでもなくて、
単なる主張に過ぎないわけで、「分かった」つもりで発言することが恥ずかしくも自らが滑稽に思えてしまうのです(苦笑)。
こうなるともう美学の問題でしょうね。
よって、アホ程度が丁度いい(笑)。
ただ、アホでいられることの心地良さを継続する為には、ホントのただのアホに見られないようにする為には、
誰もが認めるだけの実績は必要なわけで(笑)、
毎朝の自分のアホ面を楽しみにするということは、自らにちゃんと実績を積み上げなさい、と喝を入れているとも言えるのです(笑)。
実績のあるアホ(笑)。
あぁなりたい、そういう美学に満ちたカッコいい大人(笑)。
そう願望を抱きながら、今日もお仕事、ちゃんと頑張ります(笑)。