子供には経営なんてできないよ
こうやって写真を撮ると、宙に浮いてるみたいで楽しいです(笑)。
こんなアホなことばっかりやってると、子供なのか大人なのか、我ながら見分けがつかなくなります(苦笑)。
大人の形だけ真似ると、文字通り見た目は大人に見えますが、中身まで真似ることはできません。
そういう意味では、「子供のような大人」と「大人のような子供」は、似て非なるという最たるものです。
「まるで子供のような純粋で素直でキラキラ輝く心を持った大人」と「年齢と図体と知識だけ大人になったけど脳と精神が子供のまま」の違いといってもいいでしょう。
さらに言い換えれば、「社会で活躍できて豊かな人生を送れる人」と「社会適合できなくて何をやっても使い物にならなくて不平不満と被害者精神丸出しで周囲に悪い空気を蔓延させて周りから人がいなくなって、だから自分から相手してくれる獲物探し続けて、また去られての繰り返しをしながら勝手に不幸街道真っしぐらの最低クソボンクラ」の違いです。
後者の「大人のような子供」は自覚がなくて、自分では精一杯生きて頑張っているつもりなので、手の付けようがありません。
ここで言う「子供」というのを「社会の理不尽さに対する免疫ハードルの低い大人」「社会の理不尽さに対する基礎体力のない大人」という意味に限定するとしましょう。
そうすると、この「大人のような子供」という存在は、実は世に言うところの中小零細企業の「後継者」という立場の方に高い確率で存在しているというのが私の実感です。
後継者というのは「子供が大人になっていく」=「社会の理不尽に対する基礎体力」という意味において、成長チャンスから大きく見放されている存在といってもいいでしょう。
創業者というのは煎じ詰めれば「誰の言うことも聞きたくなくて自分のやり方でやりたい人」と言えるでしょうし、
後継者というのは煎じ詰めれば「有形無形の財産を労せず手に入れることを選択した人」と言っても過言ではなく、
創業者はそもそも誰かの言う事は聞きたくなくてやりたいようにやっている人だし、
後継者は身内が社長だったりするわけで何言ってもせいぜい喧嘩になる程度ですから、
一般の社会の「理不尽さに対する免疫」という点から言えば、見放された存在とも言えます。
私の知っている経営者の皆さんは、ほとんどが一所懸命に勉強したり、本を読んだり、セミナーを受けたりして、業績を上げようと努力しています。
一所懸命に能力や技術・スキルを上げることは大切です。
大切ですが、それだけが成果を生み出すとは限りません。
経営に苦しむ経営者には様々な理由があるから苦しんでいるのでしょうが、その理由の一つ、というか大前提の問題として「経営は子供にはできない」ということがあります。
分かりやすくいうと、小学生の男の子がどんなに努力して頑張って野球の技術やテクニックを身に着けても、所詮は子供は子供。プロ野球の世界では通用しない、というのと同じ、ということです。
経営者というのは、それなりの年齢がきて大人になれば、なろうと思えば誰でもなれます。なる為の資格とか試験とか明確な基準がありません。
特にボンクラ後継者は、ボンクラであればあるほど社会で通用しないので後継者という選択しかなくなります。
だから後継者として会社に入って、いつの間にか社長とか専務とか、常務でも社長室長でも、まぁ、何でもいいから役職だけつけられて経営者になってしまった人の多くは、
「いやぁ、自分なんてまだまだ・・・・。」
とか何とか口では言いながら、時が経つと共に徐々に自分は経営者であるという認識をしてしまいます。
様々な場で立派な経営者さん達と出会ったり、交流したりする機会にも恵まれ、それがまたアホには問題で、自分もそういう人達と一緒なんだという自覚が生まれてきます。
ところが社会は残酷です。
まるで、小学校がプロ野球のマウンドに立ってボコボコにされるならまだしも、ベンチにも永遠に入れません。
ボクシングの真似事をしていて、周りから「そろそろ成長してきたねぇ。」とか何とか言われ出して、その気になってプロ・ボクシングの試合に出れると思って出てみたら、手加減なしでボコボコにされます。
そういうことは分かるのに、こと「経営」というステージになると、誰もそういう恐さが分からずに、経営してしまいます。
まるで子供がプロ・ボクサーに囲まれてボコボコにされるのと同じなのです。
それは、そもそもの「社会の理不尽の基礎体力」がないからです。
しかし、子供はそれが分かりません。
勉強が足らないとたくさんの勉強会やセミナーに出て、たくさんの知識を得ようとします。
自分がどんなにボンクラでも、有り余るお金がある会社なら大丈夫ですが、お金がないともう大変です。
そうです。中小・零細企業は大企業に比べて圧倒的にお金がないのです。
同じ経営者なのになぜ認められないのか?俺は経営者だ!勉強もしているし知識も持っている!毎日こんなに頑張っているのに!!!という気持ちだけは立派な経営者になっていきます。
なのに誰も認めてくれない。経営もうまくいかない。お金もどんどんなくなっていく。
社会が悪い、親が悪い、身内が悪い、商品が悪い、天候が悪い、大手がきたから悪い、こんなに頑張っているのに周りが全部悪い・・・・・・、
どんどん被害者になっていきます。
本当にそうなのでしょうか???
違います。それはあなたがまだ子供なのです。それだけです。
この傾向は社会に就職せずに親の会社に入った後継者に圧倒的に多い。
身体と知識だけはいっぱしの大人だけど脳が子供のままなのです。
かく言う私もその代表例のようなもので、社会に出て就職したサラリーマン時代は絶対に口に出せなかったけど、実家の商売に戻った後継者時代には口に出せた言葉は数知れません。
「そんなこと分かっとるわ!」「うるせ〜な〜。」「それはそっちがおかしいんだろ!」「なんでこんなことになってるんだよ!」
他人だった上司には心で思っても絶対に口に出して言わなかった言葉は、親には平気で言えました。
不機嫌になれば、不機嫌を出すこともできました。
上司であるはずの親に向かって、腕を組んだり、足をくんだり、無視したりもできました。
ビジネスの場で、上司に対してリスクなくこういうことができるのは後継者だけです。
実力も実績もないのに、悪態ばかりついて偉そうにしている奴を見て「こいつは絶対にバカだ。」と社員もお客も敏感に気づいて、寄り付かなくなり、楽しい方へと勝手に行ってしまいます。
自分がバカにされて相手にされていないことに気づかずに、社員やお客が去っていくのは何が原因なんだろう?とまた勉強して、去っていく社員やお客を取り戻そうと必死に勉強し、必死に販促活動をし、必死に採用活動をします。
まるで、自らが動かしている下りエスカレーターを必死で登り続けているようです(苦笑)。
しかし、どんなに体力があってもいずれ体力は消耗し止まらざるを得ません。立ち止まればそもそも下りエスカレーターは下っていきます。
いずれ分岐点を下に越え、赤字になり、資金がなくなり倒産か廃業の選択となり、そして社会では一切通用しない子供のままで社会に放り出されます。
ただ、ボンクラ後継者は、そういう自分が社会で通用しないことを感覚的には十分知っています。
だから、後継者でいるうちに八方塞がりになって自暴自棄になり、残るは親のせい、周りの人のせい、環境のせいにして、完全な100%被害者が出来上がります。
そして被害者のまま、また知識を得ます。勉強します。しかしうまく行きません。なぜなら、やっぱり子供だからです。
子供がどんなに勉強して知識を持っても、社会では通用しません。野球入門をどんなに読んで勉強しても、リアルなプロ野球では通用しないのと同じだからです。
だから、私は時々、(ちょっとこいつは難しいだろうなぁ)と思える後継者には、「父親がどんな理不尽でアホで無能だったとしても『はい』としか返事をするな。」とアドバイスします。
父親が理不尽なのではありません。父親も社会も理不尽なのが当たり前なのです。
しかし、これができません。とにかくできません。なぜなら子供だからです。脳がバカなままなのです。
血縁上の立場としての子供も子供なら、脳も精神年齢も子供のままだからです。
ダブルで子供(苦笑)なので無理が当然なのです。
当然のようにすねます。ふてくされます。そして最後にはちゃんと病気になります。
社会に出て「理不尽に対する基礎体力のない者」は病気になります。
そしてこう言います。「社会に適合できないのではない、病気になったから社会で活躍できないだけなんだ。」と。
違います。社会すなわち理不尽に耐えられる体力がなかったから病気になったのです。
理不尽に対応できるようにするには、理不尽に慣れるしかありません。
慣れるには、脳と身体に刻みこませるだけの一定期間が必要です。
だから世襲や後継は、会社の現預金が取り敢えずは子供の代くらいまでもつならまだしも、そうでないなら、5〜10年は縁故ではない会社に就職させるべきです。
それが大前提となります。それでやっとモノになるかどうかギリギリ程度です。1~2年程度では「社会の理不尽に対する基礎体力」は付きません。
私はそう思っています。
まずは「社会の理不尽」に対する基礎体力です。
なぜ大手が、同じ程度の学生なら学歴の高い方を選ぶのか?それは一方的な基準で問われる試験とその合否基準という理不尽極まりない基準に対して成果を出した人だからです。
なぜ体育会系を好むのか?あの体育会系の理不尽さの世界を耐え抜いたからと想定しやすいからです。
かくいう私はできていたか?学生時代には、それなりの理不尽を経験した自負があった私でも、社会に出てからの(株)ワールド時代は、おかしくなりそうになったりしたことは一度や二度ではありませんでした。
そういう弱さを上司や周りに知られて、またダメな奴の烙印を押されてさらに落ちていきました。
ただ、それでもなんとか踏ん張って、誰にもできなかった実績を出した時の認められ方は、ハンパありませんでした。
「あぁ、こういうものなのか・・・」と身体で知った経験は本当に大きかったとは自負しています。
こういう話をすると、「いや、そんなことはない、私は社会の基礎体力はできている。」という人はいます。
これもやってきた、あれもやってきた、だから私は理不尽の体力はある、と。
でも結局のところ、私はできている、親が悪い、周りが悪い、と立証しようとします。
それは足らないのです。そう言う時点で足らないと自覚する勇気や謙虚さがありません。だから子供なのです。
そんなにご立派ならそれでそのまま進めばいいじゃん、となると途端に困ります。
なぜ困るか?できない自分を知っているし、できないかも知れないけどやるという気概も覚悟も何もないからです。
不安そうな顔をするだけです。あげく、悲しくて不幸で不憫な自分の人生を語り出すだけです。
次の日はやってきます。
そして、また顔に出ます。口に出ます。態度に出ます。
そんな子供に経営なんてできません。
基礎体力ができている大人は、外には出さないのです。そんな気持になることはあっても、そんなことを外には出さないことは社会では当たり前だと思っているから、自分の外には出さないのです。
それが「社会の大人」です。
勉強や知識は、それができている上でのその後なのです。
親は子供にはチャンスを与え続けます。それが親だからです。しかし社会に出てからもチャンスを与え続けられた結果、それは後継者にとってチャンスではなく、普通になります。
逆に、社会はワンチャンスです。一回のチャンスを逃すとどんな実力者でも降板させられます。
そもそもの一回に対する心構えから違っているら、一回に対する認識そのものがまるで違って当然なのです。「普通」の基準がまるで違ってくるのです。
もし、これを読まれて「私は違う。そしてそれでも親が悪い。」という後継者がいれば、とっとと独立すれば良いでしょう。
独立して自分で理想の会社を創れば良い。親の創った負債も全て払拭できるだけの利益を出せば良い。
あるいは就職して立派に年収を稼げば良い。立派に社会で通用する自分を立証すれば良い。
それで良いでしょう。
できないなら・・・・・、口をつぐんでしまうなら・・・・・、ただ悩んで考えるだけの時間を過ごすなら・・・・・、
今、自分のどんな態度や行動を何からどうすべきか、本気の本気で考えるべきです。
親を、就職した会社の、赤の他人の上司と同じように接してみることから始めてみることです。
親に呼ばれたら、まず「はい」と返事をすることです。注意されたら「はい」とまずは言うことです。丁寧語と尊敬語を使いなさい。
今までしてきた勉強や知識は恐らく加速度的に成果を出し始め、思い通りにならないと思っている人は、知らぬ間に思い通りになりはじめるはずです。
それでも、どうしても、どうしても、どうしても我慢できなくて、そこまで酷い親だと、誰が何といおうと自信があるなら、とっとと辞めてしまえばいいじゃん。
そういうことくらい自分で決めて勝手に生きなさい。
ゴチャゴチャ言わないか、言うなら決断しなさい。それが大人です。
子供に経営はできないですよ・・・・・。