企画力の前提は行動ありき、行動の前提は・・・・・
あれやってみたら面白いね、楽しいだろうね、と思いつくことはよくあるし、そういう思いつきはとても大切です。
思いつきの数が多ければ多い程良いと思いますが、それには前提があって、それは「自分が実際に行動してみる」という前提はキモでしょう。
思いつく人は多いし、なんとなく面白そうなことを言う人はゴマンといますが、実際に自分でやってみる=行動してみるという人は案外少なくて、そのハードルは私が思っている以上に大きいような気がします。
よく、会社やチームで、やたらと「○○企画」(例えば、商品企画部とか経営企画室とか)といった場を勝手に創って身を置こうとするタイプがいますが、そういう人は、なんとなく考えていることが仕事だと思っている能無しが多いというのが私の経験上ではあります。
その程度は、女子高生が街を歩きながら、「あれ素敵ねぇ、可愛いわねぇ、もっとこうなったらいいのにねぇ、私達って結構スゴいんじゃない~?」と言っているのと大して変わらないとすら思うのです。
そういう人は何かやたらとベラベラと喋るのですが、何かと言うと、自分の案を誰かにやらせようとするだけで、何一つ自分で実行しようとしませんから、何の説得力も責任感も感じません(苦笑)。
実際にやってきている人と、ただ考えているだけの人というのは、喋っている内容にどこぞに違いを感じてしまいます。
実績のない、ただ喋っているだけの奴の言うことは、空虚なのです。
実際に、何か新たなプロジェクトを起こそうとして、「何かいい案はないか?面白いことはないか?」と真っ白な状態で話し合いになった時に、企画力のある人とない人の差は歴然で、その差は、それまでにその人が実際に行動してきたことや、積み上げてきた人生や実績に比例する傾向が強く、そういう時に、日頃、口で何を言っていても、力具合は透けて見えてしまいますね(苦笑)。
例えば・・・・・・・、
見知らぬ土地で車を走らせていて、その途中に不意に目撃してしまった変なモノに対して、強烈に興味を抱いてしまった時に(笑)、
①アホなことを思いついてしまう
②通り過ぎた道を引き返すかどうか
③引き返してやってみるかどうか
④やってみたところで上手くいけるかどうか
という段階を考えると、その時間的リスクや効率や合理性を考えれば、思いつきを一旦カタチにしてみるというのは、カタチにしてみた人にしか分からない手間や労力がある訳で、しかし、何もしていない人から見れば、一枚の画像は、単なる一枚のアホ画像なわけで(笑)、批評してればいいだけですから、②~④に関わることは予測すらできないんですね。
思いつくことと、思いつきを一旦カタチにしてみる、カタチにしてみたものが評価される、というのは、確率論でいけば当然徐々にせばまっていきますから、私が「あぁ、こいつ、いつも面白いことやってるなぁ。」と思う人というのは測り知れない程の相当の数をこなしているのだろうなぁ、と予測しています。
要は、たくさんの企画案を出し続けていると傍から思える人は、「思いつき」と「実際の行動」の数そのものが圧倒的に違うということです。
企画力がある・ないというのは、「質」の高さを指す方が多いとは思いますが、私の持論で言えば、まずは、実際にこなしている「量」が圧倒的に違うといのが、企画力を決める前提のように気がします。
そんなことを考えながら、何枚も画像を撮る間、子供の頃に東山動物園にある恐竜のコンクリートバリバリの等身大恐竜に登ってみたかったことや、TV特撮「怪獣王子」のようにネッシーまがいの恐竜に乗ってみたかったことを思い出しながら、この年になって、やっとその夢が叶えられたことに、無償に喜びを感じていました(笑)。
そう考えてみると、企画というのは、不効率やリスクを越えてまで何としてもやってみたくなるほどの憧れや郷愁や空想が要と言えるのかも知れませんね(笑)。
と、アホ画像の完璧後付ながら、あながちウソでもない、私の企画力に対する自論展開です(苦笑)。