「何やってるんですか?」と聞かれると困るらしい私の仕事は何なのか?(笑)
私の個別経営相談や、定期業績アップコンサルを受けて頂いている経営者の方から時々言われるのが、
「『ツヴォイさんの毎月のコンサルって何やってるんですか?』と周りの人から聞かれたりするんですけど、何て答えていいか分からなくて困るんですよぉ(笑)。
記憶にある具体的な断片情報とか事実だけ言うと、
『そういえば、この前はどこそこに行って買い物した』とか、
『どこそこに行って一緒に飯食った』とか、
『延々と質問され続けてバカっ話してた』とか、
『こないだはあの映画とかあの動画を一緒に見た』とか、
『一緒にラクガキとかお絵描きした』とか、
『ずっと事務所で喋ってて、気がついたら12時間くらいいた』とか、
そういうことばっかり出てくるんで、相手が『???』ってなるんですよぉ(笑)。」
という結構深刻な悩みです(笑)。
はたから見ると、私はまるでコンサルタントのお仕事をしているかのように見られたりしますが(笑)、
本当はそうではなくて、成り行き上でご依頼を頂く連続でそんなようなことをしているだけだったりします(苦笑)。
そもそも、プロのコンサルタントになる為の教育を受けたわけでもありませんし、
よって、「確実に成果を出せる何ちゃら」みたいなコンテンツやノウハウやフォーマットがあるわけでもなく、
目の前のお相手の状況に合わせて、私の実践経験・体験に基づいた話や、質疑や議論を繰り返しながら、
頭の中の引き出しを一つ一つ開けてはカスタマイズして、
お相手の選択肢を増やしたり、視点を変えたり、可能性を広げたり、そういうお手伝いをしているだけとも言えます。
そういう意味では、グダグダで、リアルで、ガチンコで、フルカスタムな時間の積み重ねになるわけですから、
よって、まぁ、ご依頼者さんも、「何やってんですか?」と質問してきた相手に、何て答えればいいのかなんてのは「言い様がないと言えばない」といのが明確な答えとも言えます(笑)。
まぁでも、個別で依頼する側にしてみれば、個別で時間とお金を差し出すわけですから、
「これやっといて下さい。やっとけばOKです。」なんていうスタンダードなことを望んでいるわけじゃなくて、
「私だけの◯◯」を期待するのでしょうから、
その為の手法やノウハウが他人に理解されようとしまいと、自分の目的が達成されさえすればいいわけで、
「他人から見て理解しやすいかどうか」は関係ないと言えば関係ないのです。
最後は、説明するのが面倒くさくなって、
「そんなに気になるなら、一回行ってみればいいじゃん。」
となることが多いらしいのですが、それが答えとしては正解になるんでしょうし、私もそれがストレートで、お仕事に繋がるならありがたいとも言えます(笑)。
そもそも、ご依頼者のキャッシュフローの状況や、業界環境や、業績や、業種業態成長曲線や、本人の履歴や、なぜこの仕事をするに至る経緯や想い、これからどうしていきたいのか?、なぜここに来たのか?、起業なのか継続なのか、独身なのか家族はいるのか、価値観はどこにあるのか?時間は創れる状態にあるのか?に至るまで、それら諸々が分からないのに、
単純に業績アップのピンポイントのアドバイスで「これをやりなさい。」などと責任を持って言えるほど、私は責任感もないし、能力が高くはありません(苦笑)。
仮にあったとしても、「方法を知ったところで結局やらない」という定番パターンは一億回くらい経験しているので(笑)、そーゆーのは全くやる気はありませんが(笑)。
「やる気」だけでは何をやっていいのか分からないし、
「やり方」だけではやらないし、
「ビジョン」だけでは絵空事になりかねないし、
「数値」だけでは単なる記号が並んでるだけで、
その人それぞれに切り込むところが変わってくるのが面白いところです。
だから、いかにも責任あるアプローチというのは実は無責任なのか、
無責任なことが本当は責任があるのか、
よく分からないと言えば分からなくなっています(笑)。
私個人としては、そうしてわざわざ来て下さる方々の目的や目標に対して、
あるいは、問題や課題に対する解決に対して、
やる気が出たり、これなら行けそうだと行動動機に繋がったり、やりたい方法が見つかったり、楽しくなってきたり、気が楽になったり、元気になったり、纏まったり、何だかワクワクしてきたり、ドキドキしてきたり、面白くなってきたり、やり方が見えてやりたくなってきたり、迷いがなくなったり、俺ってホントはスゲェんじゃんと覚醒できたり、よし自分で考えようとなったり、
来る前よりも、帰る時の方が、より良い状態になってもらうことが目的だし、なってもらえたらすごく嬉しいわけです。
だから、結局、その時々のお相手の状況に合わせて、仮説を立てて実験して、何がヒットするのか、自分も面白そうなことを色々やってしまうということでしょう(笑)。
とか何とか、考えてるような、単なるグダグダなだけなのか、よく分からないのをいいことに(笑)、
この日も、ひょんなことから、麗しのオードリー・ヘップバーンの名作「ローマの休日」を、ある方と一緒に観ることになって(笑)、
目的は、所々のシーンを観ては情報共有して、思考を一致するだけのつもりが、結局最後まで観賞してしまって(笑)、
そうなると、「何やってきたの?」と誰かに聞かれたら、「今日は『ローマの休日』を観てきた。」となるんだろうなと思うのでした(苦笑)。
まぁ、しかし、こういうことをやっていると、予期せぬ気づきもあるもので、
もう100万回くらい観ているつもりのこの映画にも、改めてハッとする場面に気づくこともあるわけで、
この日は、映画のラストに近い場面での、「オードリー・ヘップバーン」演じる「アン王女」が、グレゴリー・ペックに言うこのセリフ。
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「料理の腕はプロも顔負けなのよ。
お裁縫もアイロンがけもなんでも一通り習ったわ。
ただ披露する機会がないの。」
王女であるがゆえに、お稽古や修練したことの素敵さや素晴らしさを一般社会で、自らの喜びとして、好きな人の為に発揮できないことへの一抹の哀しさを、たった一言で表現する場面を観て、
そうか、自分のやってきたことや、体験・経験、実践してきたことを、
大切で大好きな人達の為に役立てることができる今があるということは、それそものが、とても幸せであることなんだな、
ということは、私は今、とても幸せで素敵な仕事をしていて、幸せな人生でいられるのだな、と、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンに気づかせてもらうことができたのでした(笑)。
お仕事というのは、幸せになる為の手段なのではなくて、
実はそれそのものが、すでにとても幸せだということなのかも知れませんね。
今日も今日で、相当に面倒くさそうな(笑)、やり手の経営者さん達との実験グループコンサルを控えていて、
(詳しくはブログホームのイベントインフォメーション見て下さい。)
面倒くせえなぁ、と思っていたところですが(笑)、
それはとても幸せなことだと思い直して(笑)、
グダグダでガチンコで、何を事例や置き換えとして出してやろうか?と目論みながら(笑)、
どうなるか分からない楽しさを満喫したいと思うのです。
あぁ、それにしても、オードリー・ヘップバーン、なんて可憐で可愛くて素敵なんだろう(笑)。