人の評価なんてのは虚ろで曖昧で無責任だから
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- 坪井式屁理屈
家業を廃業した時には多くの人が私を見下し、上場した時は多くの人が私を賞賛した。
廃業時に私が革ジャンに夢中だと「そんなことしてるから仕事が上手くいかないんだ」と言われ、上場してからも私が革ジャンに夢中だと「個性的だ。」と言われる。
他人の認識や世評なんてのは、それだけ無責任で、虚ろで、曖昧で、表層であり、その時々の都合や価値観で好きなことを言っているだけである。
逆に評論している本人が、どれだけご立派で素晴らしい人生を歩んでいるか?といえば、私から見たらロクな生き方していない(苦笑)。
結果として誰かに認められればそりゃ嬉しいけれど、
誰かに認められたいが為に頑張るという人生は何の意味も持たないどころか、愚かさすら感じる私の価値観は、そういう経験から培われています。
無責任な評論家は、その名の通り、言ったことに何の責任も持ちません。
実際にプレイすらしていない外野はいつもうるさいけれど、そんな野次に左右されるほど人生は長くはないから、それに影響されるくらいなら自分はどう生きるのかに時間を費やした方がいいですね。
それくらいは自分で決めても良いでしょう。
人の役に立って生きるのも良し、自分のことだけ考えてただ生きるのも良し。
金の為に生きるのも良し。名誉の為に生きるのも良し。権力を得るために生きるも良し。
その結果がどうなのかは無責任な他人がちゃんとしてくれます(苦笑)。
最も簡単なのは、誰もが認める程の実績をつくってしまうことでしょうが、それが全て正しいかと言われればそうでもない。
ちなみに、子供の頃から今日に至るまで、画像のようなことをやりたくなる衝動は一貫して変わっていなくて(苦笑)、どちらかというと、そういうことの方で評価・評論されたい願望も変わっていないのに、そっちの方は人はあまり認めてくれません(苦笑)。