ツヴォイ式お絵描き140「スティーブ・マックイーン」42
「スティーブ・マックイーン」を見ていると、
レザージャケットだろうと、スーツスタイルだろうと、
カッコいい人は何着てもカッコ良くて、
あぁ、外見というのは、その人の人生そのものが、年齢ごとに浮彫りになって、
年を追うごとに、それは、誤魔化しなど全く効かない程に、より如実に出てきてしまうわけで、
上っ面だけで何とかやり過ごしてきた感のある私としては(苦笑)、こりゃ、いよいよヤベェよな、と思う(苦笑)。
先日、友人が、
「ツヴォイさんと知り合ってなかったら、マックイーンとか全然知らなかったですもんねぇ。」
と言っていて、フと思ったのだけど、
私は、実際には、マックイーンの人生観を本人から聞いて知っているわけではないわけで(苦笑)、
勝手にその人生までも彷彿させてしまう影響力が凄いのだと思うわけで、
まんま、それが憧れになっているのだと思います。
「好き」「嫌い」の評価の前に存在する認識(苦笑)
研修の場で、
「まず知ってもらうには、『普通』であっては知ってすらもらえない。スルーされるだけ。
だから、『異常値』を出さないと認知すらしてもらえない。
認知されてから、初めて「好き」「嫌い」の認識が相手に生まれる。
だから、やってみたことが良かったか悪かったかを知る為には、やってみることしかない。
私はそう思っています。」
とか何とか言っているのですが、
言ったはいいけど、当の本人の私が、最近、写真を撮る時は、「普通」の写真しか撮ってねぇよなぁ、と反省して、
色んなポーズを撮っていたら、気づけば、昨今ではとても公には出せない程度のポーズになっていって(苦笑)、
(これくらいしかまでしか出せない程の程度(苦笑))
せいぜいこれくらいまでなら大丈夫かな、と思って撮ったその視線の先には、
新幹線改札の出口で、人を待っていた数名の人達の姿が目に入ったのですが、
そこには、明らかに「冷ややかな視線」を感じました(苦笑)。
「好き」「嫌い」という判断の前に、「冷ややか」という選択もある・・・・・(苦笑)。
やってみたから、よく分かりました(苦笑)。
似合わないキャップと名古屋駅混雑の相関関係(苦笑)
外に出るには、まだ直射日光かな、と思って、珍しくキャップをかぶってきました。
でも、似合わないのは分かってんだよなぁ(苦笑)。
でも、かぶってみるってのは、一体どういうことなんなかぁ、
と思いつつ、
名古屋駅はスゴイ人で、急いでても、思うように前に進めなくて、思わず、
「ねぇ、ねぇ、何で、そんなに外出する理由なんであるの?
どうしても、ってほどでもないなら、家でジッとしてればいいのに、
何でいちいち混んでるとこに外出するの?」
って聞きたくなるんだけど、
「そんなこと言ったら、
お前は何で似合わないと思いつつもキャップをかぶるんだよ?と聞かれたら、
絶対にかぶらなきゃいけない明確な理由なんてないけど、かぶってるわけで、
ただ何となく、かぶってみたくて、かぶってみた程度に落ち着くだろうと同じで、
そんなことまでいちいち考えて名古屋駅にいるわけじゃねーよ、くらいしか言いようがないんだよ。」
というくらいなんだろうな、と思って、聞くのをやめて、新幹線に乗りました(笑)。
行ってきます(笑)。