正しい装いは同時に不安も身に纏う(苦笑)
ドレスコードがスーツの場だったので、久しぶりにスーツを着ました。
相変わらず、ビジネススーツと、スーツの場が苦手なのですが、
コロナや胃ガン以降の私のライフスタイルが大きく変化していたのか、
以前に増して苦手意識が増している自分に気づきました(苦笑)。
スーツを着ると、身だしなみを整えると共に、
社会に対して自分を正そうとする意識や、緊張感を持ったりすることがありますが、
そこに違和感が増しているということは、以前に増して、自分が社会不適合であったり(苦笑)、
社会で生きていく上で大切な何かが欠陥している自分になってきているのではないか?
という不安も同時に身に纏う感覚があります(苦笑)。
いやいや、そんなもんは皆そうで、それが普通なんだろうけど、誰もがそうしているんだよ、
という見解もあったりしますが、
それで普通だと言われれば言われるほど、
だとしたら、より普通に適応できない自分に劣等感を感じてしまったりして、
これから、どうやって生きていこう?という不安に身を包まれる自分に気づかせて頂くのでした(苦笑)。
心身共にスーツの似合うカッコいい大人になりたいと思ってはいます(苦笑)。
頑張るか頑張らないかの一線を頑張らないと越えられない(苦笑)
「さぁ、今日も一日明るく元気に頑張りましょう!」
みたいな、前向きでポジティブなのが普通で日常過ぎる投稿を朝から見ると、
やだ、今日は頑張りたくない、と思ったり、
さっきまで徹夜で頑張ってたんだから、もうグダグダのダラダラさせて、と
お願いしたくなることがあって(笑)、
でも、そもそも私は頑張ったことがあるんか?というと、
よくよく考えたところで、ちゃんと頑張ったという自覚や記憶がなくて(苦笑)、
だとすると、自分はそもそも頑張ることなんてできないのではないか?
と思えてきて、
今日は、頑張るか、頑張らないのか、
その一線を越えることから頑張らないといけないといけなくて、
スタートラインにも立てていないことをやっと理解し始めたとろです(苦笑)。
頑張るか、頑張らないか、を頑張って考えないと、ここまですら分かっていなかったのですね(苦笑)。
もういい、ずっと頑張りたい人だけ、頑張ってて(苦笑)。
頑張れ!(笑)。
頑張ってもいいけど、でも、「しましょう」とか、誘わないで(苦笑)。
ペースでやらせて(苦笑)。
「上り」も「下り」も登るしかない
1つの事業の「利益」(※売上でなく利益)には「上りエスカレーター」と「下りエスカレーター」があります。
それが「事業環境」「業界環境」や「時流」という端的な言葉で表されているのだと思います。
「上り」の乗っていれば、極論、立っているだけで何もしなくても上がっていくし、
「下り」に入ったら、人の倍以上働いても、やっと同じか、今まで以下の報酬(利益や給与)にしかならないということです。
時系列の違いや、要因の違いはあるものの、
どんな「上りエスカレーター」も、いつか必ず「下りエスカレーター」になるのが事業の前提です。
自分の「廃業」と「上場」の事例や、多くの経営者の事例を見てきての範囲ですが、
一度「下りエスカレーター」に入ったら、事業そのものが変わらない限り、元の事業の利益が上向くことはありません。
私の場合で言うと、
後継者で「廃業」した「洋傘製造販売」の環境は「下りエスカレーター」で、
上場した「リサイクルショップ店舗展開」の新たな環境は「上りエスカレーター」だった、
ということです。
私個人の実力があったからだと思い込みたいものの、現実は、そもそも、実力という領域そのものがないのは分かっています(苦笑)。
成熟期である現代ビジネスの大きなリスクの一つは「上り」が「下り」になるスパンがどんどん短くなることです。
自分の今の事業が、「上り」か「下り」かは一定の指数によって仮設することはできますが、
現実は、「上り」だろうと「下り」だろうと、要するに「登り続ける」ことくらいしかできません。
ただし「登り方」は大事で、これを「努力の方向性」というのだと思っていて、
「努力」の定義と、「方向性」の創り方はとても大事だと思っています。
でも、どんなに仮説を立てたところで、まだ見ぬ「未来」に対する仮設に過ぎないので、
煎じ詰めれば「登り続ける」ことくらいしか前提はないのだろうな、と、
そんなことを考えながら、
エスカレーターを登っているの画像を見て、
これは「上り」を登っているのか、「下り」を登っているのか、忘れてしまっているけど、
まぁ登っている感じなのだから、まぁいいか、と思うのでした(笑)。