プロの証はアホ面という仮説は成立するか?(笑)

人から見たら、そんなことまではどうでもいい、そんなことまで考えたことない、そこまでやるのは面倒くさい、
と思われる程に、任意の対象へ興味をもって、
①細部かく、深く、しつこく、丁寧に、集中して、継続している対象が、その人の持っている専門性であり、
②それが他者から代行の依頼を受けて引き換えにお金を頂くのがマネタイズの瞬間であり、
③その活動を一定期間継続して繰り返すとなると、それがプロという定義になるんじゃないか?、と思っていて、
本来プロというのは、何かのカテゴリーに対して、異常とか、変態とか、逸脱しているとか、キ〇ガ〇と言われるような何かを持っている人なのだと思います。
面倒な探求というのは、意図する時と、意図せずやっている時があって、
例えば、以前には、プロとしてその仕事だったけど、今は違う、というようなこともあって、
それを、プロではなくなった今も意図することなく、気が付けば、興味をもってやってしまっている時もあります。
それを客観視するような、自然体で気を抜いた画像を見ると、
それは、適職とか天職だったのだろうな、と思うのですが、
私の場合、必死で興味のあるものを探求している場合、意図していない分、間抜け面になっているので(笑)、
あまり人に見られたくありません(苦笑)。
ちなみに、この画像は、撮られていることに気づいて、探求している様を意図しています(笑)。
それでも、結構な間抜け面になっているので、
本気の時は見る影もない程にアホ面しています(苦笑)。
「プロの客観性はアホ面」
という仮説は、成立するかどうかに興味を持って探求していきたいと思っています(笑)。
環境適合と変化は違う(苦笑)

寒かったり、暑かったり、
暑かったり、寒かったり、
寒暖差の変化が大きいので、外出時に、どうしていいのか、よく分からないので、
よく分からない時は、
①分からないので、何もしないのがいいのか、
②分からないながらも、何かする方がいいのか、
そりゃ、②の方がいいよな、行動する方がいいよな、くらいは何となく分かっているから、
よぉし、変化して成長していける自分になるぞ、とばかりに、
暑くても、寒くても、どっちでも対応できるニュートラルな状態にしておけばいいんじゃん、
と頭を使った気になるのはいいんだけど、
客観視すると、結局いつもと同じで、何も変わってないよな、となる現実はあって(笑)、
今までと同じになって、気がつけば、①の状態で、何もしてないのと同じじゃんとなる(苦笑)。
そもそも、暑い時は、暑いから何もしたくない、
寒い時は、寒いから何もしたくない、
とか言ってる私のような者にとって(苦笑)、
変化というのは、自分ではしたつもりで、傍から見れば何も変わっていないわけで(笑)、
どんなに「私は変わった」と言ったところで、
よほど劇的でないと、環境に合わせてている程度では、誰も変化などと認知しないのだろうな、と、
寒暖差の変化が激しい今年の、変化のない自分の外出に思うのでした(苦笑)。
自分の「真っすぐ」は、他人の「斜め」(笑)

自分では地面に対して垂直に真っ直ぐ立っているつもりだけど、
他人からは、斜めに立っている、ということは結構あったりします。
他人に対してそう思う時もあれば、自分が他人に指摘される時もあって、
ちなみに、私は、若い頃にそういう指摘を受けることがよくありましたが(笑)、
自分では真っ直ぐ立っているつもりなので、
単に「斜めっている」と言われても、
何をどうすれば真っ直ぐに立っていると認識されるのか、全く分かりませんでした(笑)。
時に、こういう時はこうすべきだ、とパーツだけ言われても、せいぜいそのパーツのみを修正したふりに至るだけで、
恐らく相手の標榜する真っ直ぐにはなっていないのだから、
直したところで、相手から見たら、恐らくこの程度でしかなく、
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

舐めとんのか?と思われていた可能性は高かったのだろう、と思います(苦笑)。
私から言わせれば、もしかしたら、相手が斜めになっていていて、
私が真っ直ぐであるかも知れんだろ、などと不遜にも思ってたりすわけで(苦笑)、
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

実際のところ、そもそも、何が真っすぐで、誰が真っすぐなのかなど、いまだに私は分かりません。
思うに、本当に斜めっていれば、いつかはパタンと倒れてイタタと自分で気づくわけだし、
斜めっていても、自分の進む一本の道の両壁があれば、少々バランスを崩したとて、
大きくは倒れずに進んでいくわけで、
問題は、
「どの道の、どれくらいの幅の両壁に対して、真っ直ぐ立っているか」
になるわけだから、前提として見るべきは、
①その人がどの直線の道を進もうとしているのか、
②どれくらいの幅の両壁まで絞り込んでいるのか
なのだろうと思います。
ということは、私は、いちいち言ってくる人に、
「そもそも、あんたの道と幅に対して共感していなのだから、あんたの基準の『真っ直ぐ』なんて、私にとってはどうでもいいことなんだよ。」
と思っていたとも言えるわけで(苦笑)、
きっと、その人達は、自分の人生の道を肯定して欲しかったり、認めて欲しかったりしたかったのかも知れないと思うと、
人がどの道を進むのかは認められても、
同じ道を行くことはできないとなった場合、
それが「真っ直ぐではない」、となるのであれば、私はその人にとって「真っ直ぐ」でなくていいや、となるわけで(笑)、
ただ、そういうひねくれた考え方が「真っ直ぐでない」というのであれば、
私は「真っ直ぐではない」とやっと自覚できるな、と、
アホ画像を見ながら思うのでした(苦笑)。