違うものは違うと認識する勇気(苦笑)
名古屋駅で木村拓哉さんがいて、
一緒に写真撮っても、そう大して変わらんだろ、と思って、
その気になって、撮ってもらって、見たら、
自分で思ってる違い以上に、何もかもが全然違っていた(苦笑)。
この写真の通りの自分だと思い込んで、その気になって、
広告の通り転職活動なんぞしてたら、
とんでもないことになっていたかと思うと、
理想の自分と、自らを客観視するギャップが、
人生において、いかに大切かつ需要なことが、
嫌と言うほど、これでもかと、認識させられた名古屋駅コンコースでした(苦笑)。
木村拓哉さん、教えてくれてありがとう(苦笑)。
できない理由を環境のせいにする時は大抵間違っている(苦笑)
事務所で作業してて、暖房つけても、あんまり寒かったので、
アメリカの本格的な冷凍庫作業用コートを着たんだけど、
それでもスゲェ寒くて、
ってことは、この事務所は、冷凍庫より寒いってことなんかい?(笑)
と思いながら、寒いから何もしたくないのかなぁ、と思うものの、
でも、確か、暑い時は暑い時で、暑いから何もやる気がしない、とか思って、
寒い方が頭が冴えるから、はやく寒くならないかな、
寒くなったらできるのに、
とか思ってたわけです(笑)。
で、いざ寒くなると、頭が冴えるどころか、寒いから何もしたくなくなる、
なんて言ってるってことは、
暑かろうと、寒かろうと、結局のところ、年中、何もしたくない人なだけだった、ってことじゃんね(苦笑)。
自分がこんなんだから、他人が、
「時間がないからできないんであって、あったらできる。」
とか、
「一人で考える時間があったら考えられる。」
とか、
「これができるようになってからやる。」
「あれがこうなったらできる。」
「今はこれがあるからできないだけで、これが終わったらできる。」
みたいなこと言うと、
「本当にそうですか?絶対にそうですか?本当にやるんですか?できるんですか?
別の理由でいつまで経ってもやらないと思っておく前提でどうするか考えた方がよくないですか?」
と疑いをもってしまうのだと思うのでした(苦笑)。
私は、暑かろうと、寒かろうと、
結局、やりたくないことはやりたくないし、
だから、結局、できないことはいつまで経ってもできなかっただけなんだな、と、
自分の無能の理由は、自分がそういう個体だからだったんだな、
と、やっと最近気づきかけています(苦笑)。
本との出会いは作者との必然の出会いと見直してみる
- カテゴリー:
- 坪井の日常
- 坪井式マネジメント
- 坪井式モチベーション
最近、すっかり本を読まなくなっていて、
それは、外出をめっきりしなくなって、比例して、無目的に本屋さんにフラリと寄ることもなくなったことや、
街のフラリと寄れる本屋さんが少なくなったことや、
そもそも、肝心の学習欲そのものがなくなっている(笑)ことや、
色んな言い訳要因があるとは思うわけですが、
問題は、比例して、こうして文字入力することが少なくなっていることとも思ったりします。
先日、本来の目的とは別に、無目的にフラリと寄った本屋さんで、いくつかの本に出会えました。
外に出ると、色んな出会いからの気づきはあると思いますが、
本との出会いは、作者との出会いでもあるのだなぁ、と改めて思ったりもします。
気になっていたことや、何となく思ってはいるけれど、言語化ができないことで、自己理解すらできずにいること、
あるいは、1人では気づけなかったことを一緒に深堀りすることで、新たに気づかせてもらえたりすることが、
コミュニケーションの醍醐味だとすると、
本との出会いもコミュニケーションの一つとも言えるのでしょうね。
2020年以降、圧倒的に動画配信で喋る頻度が増えていっている中、
今年はフラリと本屋さんに寄れる頻度と、文字入力する頻度を上げたいと思っています。