ツヴォイ式お絵描き088「ブルース・スプリングスティーン」01
大学生の頃、学生プロレスの先輩(その人は所属しているだけでプロレスにはほとんど興味ない人(笑))と、
上野に行った帰りに新宿のカフェでお茶をしていました。
その先輩は、レザージャケットやジーンズといったアメカジファッションに興味がある人で、
周りに話の合う人がいなかったのか、そういう格好をしていた私には、会うたびに興味を持って反応していました。
そんな話をカフェしている中、何かの拍子で、
「ツヴォイ、音楽やってないのか?バンドやろぉぜ。」
と言い出したので(笑)、
私は、
「いいですけど、私は何もできませんから、やるならボーカルですよ(笑)。」
と適当に答えたら(笑)、
「ボーカルは俺だよ。」
と言うやいなや、当時大ヒットしていた「ボーン・イン・ザ・USA」をいきなり歌い始めました(笑)。
それがスゲェ音痴で下手くそで(笑)、
しかも、その先輩は、ファッションのことは何かと語るものの、小太りで見た目にカッコ悪い人だったので(笑)、
あんた、どの面下げて言ってんだよ状態で、見ているこっちが恥ずかしくなって、その場にいるのに困ったことがあります(笑)。
私は「ブルース・スプリングスティーン」の音楽は、1984年に大ヒットした「ボーン・イン・ザ・USA」のことくらいしか知りませんでしたが、
スプリングスティーンがまだ若かりし70年代当時の、着こんだレザージャケットの画像がとてもカッコ良くて、
いくつも記憶に残っています。
そのいくつかのカッコいい画像は今でも見たりしますが、
見る度に、あの先輩の耳に残って離れない「ボーン・イン・ザ・USA」が蘇って困ります(苦笑)。
人は、実際に観たり聞いたりしたものに影響され、その呪縛からは離れられないものだ、ということを
私は、こんな些細なことから納得していて、
ビジネスの本質へ置き換えられればいいな、と思っています(笑)。
あの先輩、元気かなぁ(笑)。
人の消費はどこからやってくる?
私の一つの消費体験とその背景
あまりの寒さに嬉しくて(笑)、「ソイヤー・オブ・ナパ」というアメリカ産のムートンコートを久しぶりに羽織りました。
暖かで柔らかいムートンに身を包まれると、当時の甘く切ない思い出が蘇ります。
大学生当時から、古いアメリカ映画に影響されていた私は、よく渋谷・原宿・上野界隈へと出向き、
その憧れに近づくべく、本場のアメリカンカジュアル衣料や古着を探しては徘徊していました(笑)。
1980年代、渋谷の明治通り沿いに、「レッドウッド」という老舗のアメリカンカジュアルの老舗有名店がありました。
(1979年創業-2017年店舗閉店・現在はネット販売)
そこには所狭しと並ぶ魅力的で刺激的なアメカジ衣料の宝庫で、よく通っていました。
ポパイやホットドックといったファッション雑誌にもよく取り上げられていて、
ある時、商品紹介で、スタッフの若い子が笑顔でこのコート(それは確かスウェードタイプだった)を羽織っている一枚の写真があって、それがとっても素敵に映り、
とても欲しかったのですが、確か当時の価格で20万円くらいしていて、私には買えませんでした。
それから時は経ち、社会人になり、オッサンになり、買えるようになった頃、どこかの街でこのコートを見つけました。
米ドルとのレート相場や、このブランドが普及していることもあって、当時よりも買いやすくなっていて、
着るかどうかは別として、あの時の一枚の写真に翻弄され続けていた私は、結局、数年越しでこのムートンコートを手に入れることになります。
時々思うのです。
私の消費行動は、どこからやってくるのだろう?と。
売上金額は消費金額と同額
いつも言っていることですが、
「売上金額=消費金額」
です。
「自分の売上金額」というのは、「他人が消費」しないと成立しません。
「自分の売上金額=他人の消費金額」
です。
ですから、もし自分の売上を上げたいなら、人の消費行動をいかに促すかということになります。
「行動」の前提は「動機」
人の消費「行動」というのは、その前提として消費「動機」にあります。
「行動」という筋肉の動きの前提は、脳が筋肉を動かす指示を与える、すなわち「心の動き」であり、それが「消費動機」です。
行動の前には、意識していようと無意識だろうと、必ず動機があります。
そうすると、
「消費動機>消費行動=売上」
となります。
「動機」と「行動」の間にあるのは「理性」
さらに、動機が生まれれば、すぐさま消費行動に至るかというと、もう一つのハードルがあります。
「欲しい」という動機が生まれたとして、実際に消費行動、すなわち「お金を払う」という行為に至る間に、
「買えるか・買えないか」「払えるか・払えないか」という、人間としての「理性」の段階です。
よくある、「欲しいけど、お金がないから買えない。」というやつです。
私はこの段階で消費できない、すなわち相手の売上に貢献することができない、というのはよくよくあります(笑)。
これは、人間に「理性」いう機能が備わっているから発生する「リスクヘッジ」の行為です。
売上アップの消費側からの公式
「動機」と「理性」という最低二つのハードルを越えた時に、やっと「消費」という具体的「行動」に至り、
結果としてお金を払って、相手側は売上計上になるということですね。
よって、
「①消費動機>②消費理性>③消費行動=売上」
という公式が成り立ちます。
知識と実現は違う
と、まぁここまでは、ちょっと本を読んだり調べたりすれば、誰でも手に入る情報だと思うし、すでに知っている人はたくさんいると思います。
単なる知識です。
問題は実現できるかどうかですよね。
これがなかなか面倒くさいし難しい(苦笑)。
分かっていてもうまくいかないのです。
どの段階が最もハードルが高いのか
私個人としては、この、
①消費動機
②消費理性
③消費行動=売上
のうち、現代ビジネスにおいては、①の動機が最もハードルが高いのではないか?と思っています。
無論、②も強烈な問題として浮かび上がってきている昨今でもあると思うけど、
仮に、自分がどんなにお金を持っていても(持ってないけどな(苦笑))、
あるいは、売り手がどんなに安く商品・サービスを提供してくれるとしても、
いらないものは、やっぱりいらないわけで、
この「いる」という動機が、様々な要因で低下している昨今においては、
他人の「いる」「欲しい」をいかに創出できるかどうかというのは、極めて重要だと思うわけです。
さらなる問題は「自分」ではない「他人」という存在の心
ところが、さらに、問題の問題というのが発生します。
「他人の消費動機」と簡単には言えるけど、あくまで他人であって、どこまで行っても、他人の動機の源泉や動きというものは、
せいぜい他人を予測するしか手がないということです。
自分のリアルな体験・経験から他人を予測する
じゃあ、どうやって他人を予測するか?
私は、自分の経験則から、他人という生き物を予測することは、極めて有効な一つの方法ではないか、と思っています。
私たちは、本当に必要な何かを消費しているか?というと、ほとんどは、あってもなくても困ることはないだろうし、
消費してもしなくても大して変わらないものを消費しているように思います。
そんなものに心動かされ、何かを消費しては、幸せが感じたり、生きている喜びや感情を得ているのだと思うのです。
(特に私(苦笑)。)
言ってみれば「無駄」(笑)。
「無駄」を「価値」に変換できるか
自分が経験した「無駄」とも思える消費体験の数々が、他人の消費動機のバリエーションの予測ができたり、置き換えたりできるのではないか、と思ったりします。
私は、このムートンコートを購入した時、「着るから買った」のか、「郷愁や憧れを買った」のか、よく分かりませんが(笑)、
恐らく後者の動機の方が明らかに高かったような気がします。
事実、購入後あまり着ませんでしたし(笑)、羽織ったのは、超久しぶりでしたから(笑)。
(というより、整理していて出てきて、このブログの内容を思いついて、ブログ用の写真を撮る為に着た、というのが正しかったりします(笑)。)
自分の「無駄」を紐解く
自分の、一見「無駄」とも思える「消費体験」というのは、
それを紐解くことで、他人の消費体験やそれによる喜びの仮説に繋げられます。
そう考えると、いかに「無駄」なことをたくさんしてきたか?というのは、
ビジネスを構築していく上で、とても大切なことのように思うわけです。
実際、話していて面白い人というのは、恐ろしく「無駄」なことをたくさんしてきている傾向にあります(笑)。
そういう人との話は尽きません(笑)。余白が多いのでしょうし、具体論が多いのです。
「無駄」を魅力的に情報発信できるか
自分の「無駄」を紐解いて、自分の商品・サービスに組み合わせて、他人にとって魅力的に情報発信できないものかな?とよく思います。
そういう意味では、昔のよくできたTVバラエティー番組や映画というのは、色んなヒントが散りばめられていると思って、よくよく目を凝らして(笑)観たり、
興味が昂れば、製作背景や秘話を調べたりもします。
要するに、自分の「無駄」とも思える行動行為や、一見遊んでいると思われそうな時間というものは、
どんなことでも、やりようによっては言い訳が、いかようにでも効くというになります(笑)。
でも、刹那的に儲かるからやっていると思えるビジネスと、その人の人生の背景から滲み出たり納得性があると思えるビジネスと、
どっちから買いたいか、というと、私は明らかに後者の人の方が信頼できたりもするわけで、
それもまた過不足なく魅力的に伝えていけるようになりたいな、と悶絶してますね(笑)。
こういうことをダラダラと書くことなく、一撃で伝わる魅力的な人になりたいと思いながら、
今日も今日とて、無駄を繰り返し、無駄を紐解こうとしています(笑)。
無駄は価値であると証明する為に、今日も無駄な人生を積み重ねても大丈夫なのだと、自分を勇気づけていければいいですね(苦笑)。
ツヴォイ式お絵描き087「スティーブ・マックイーン」25
名だたる映画スターには、時に異色作というのがあるのだと思いますが、
「スティーブ・マックイーン」においては、私の中では、この
「華麗なる週末」(原題:The Reivers・1969年・アメリカ映画)
が最も異色作として認識されています。
アンチヒーロー、男くささ、本格的アクション俳優としてのキャラクターが最も確立されていますが、
後年には演技派俳優としての道筋を明らかに意図していたと言われていて、確かにその通りと思います。
ただ、この映画は数少ないドタバタコメディ映画として評論されている作品で、
あまりにメジャーではなく(笑)、代表作ではないにしても、あまりに表にでることはなかった故、
私の中では興味が深まっていった映画です。
マックイーンにのめり込んでいく過程の中で、後年になって、やっと見つけて観れた映画の一つです。
抱いていたマックイーン像とは全く違う役どころで驚きました(笑)。
確かに数あるマックイーン作品の中でも不評で、ヒットしなかったのも頷けます(笑)。
しかしながら、そこはそれ、もうマックイーンなら何でもいい、という盲目的ファンになってしまっている私にとっては(笑)、
そうか、こんな役どころもサラリとこなしてしまうあたり、やっぱりプロ中のプロなんだな、とか(笑)、
撮影された70年代近いヘアスタイルに新鮮さを覚えたり(笑)、
柄物のピンクのシャツがやけに素敵に記憶に残ってしまって、古着で似たようなのはないかと探したり、と(笑)、
そうか、ファンビジネスというのは、ここまで魅了してこそファンビジネスと言えるのだな、と、
文字通り、その人が好きなら何でもあり、という基準もまたマックイーンから勝手に学んだと納得するわけです(笑)。
私の中では、正しく、その人が好きなら何でもあり、を象徴するマックイーンの映画ですね。
しかしながら、物語は内容はとっても良くて、
舞台は1905年のミシシッピー。自動車が発明された当時。
11歳になる少年が、四日間の旅の経験で、現実の厳しさや大人の裏側を突きつけられる中、
マックイーン演じる「ブーン」始め、優しい大人達に牽引されながら、大人へと旅立っていくという素敵な物語です。
やっぱり、こうして素敵になってしまうわけですね(笑)。