ビジネスの成果を上げる「能力」についての考察と分かったところで凹む現実(苦笑)
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ビジネスにおいての「成果」を出すのは、その領域に対する「能力」です。
「気合」とか「根性」とか「覚悟」とか「やる気」とか、そういう内省的要素「だけ」では、ビジネスにおける「成果」は出ません。
「成果」を出すのは「能力」です。
「能力」とは、「それができる力」です。
それができるようになるには、
その領域の
「知識」と「経験」の量
と、
その一つ一つの点を組み合わせて線に繋げられる力です。
それができるようになると、未来の成果に対する意思決定と行動スピードが速くなり、
当然ながら、時間あたりの生産性は上がります。
「能力」が高い人が、気合や根性や覚悟ややる気を改めて出せば、成果には繋がりますが、
どんなに気合や根性を入れても、「能力」が低ければ、成果には繋がりません。
逆に、どんなに「やる気」がなくても、備わった「能力」が高ければ、一定に成果は出ます。
「能力」は「知識と体験・経験の総和」と「一つ一つの無数の組み合わせ」ですから、
生きていれば、何らかの能力は誰にでも備わっています。
ただ、問題なのは、ビジネスの世界においては、どんな「能力」があっても、「その能力を求める人」がどれだけいるか?という側面があって、
すなわち、全ての能力がビジネス上における「成果」には繋がるわけではないという現実があります。
どんなにある領域の「能力」が高くても、その「能力」を求める人がいなければ、ビジネスの世界においては「成果」には繋がりません。
だとすると、「ビジネスの成果」とは、「自分の保有している能力」と「他人から求められる能力」の「組み合わせ」をいかに創るか?ということになります。
「能力」を得る為には、一定の時間がかかりますから、
これが20代の頃なら、ここから10年かけてどの能力を上げに行くか?というチャレンジはできますが、
私のように60代を目の前にして、新しい能力を上げに行くのは、リターンに対するリスクの方が高くなるので、
そうなると、やはり、人生を振り返り、既に蓄えた「能力」を洗い出し、それをいかに「欲する人」に繋げていくか?という方が効率的&現実的ということになります。
では、私が私の人生において備わった「能力」は何か?を思い返してみたら、
こういう「いい歳こいてアホ画像を誰かに撮ってもらう」という能力はあることが分かって、
分かったはいいけど、でも、それを「欲する人」なんて誰もいねぇじゃねぇか、という現実があって、
あぁ、そうか、だから私はビジネスにおける成果が出ないのか、という凹む現実を目の当たりにするだけなのでした(苦笑)。
この分別を理解するまで、私は随分と時間がかかりました(笑)。
何もしないのが一番美しいという前提は持っておきたい
この季節の毎年のことだけど、
知らぬ間に、あぁ、もう桜が咲き始める頃だなぁ、と思いながら、
気づけば、知らぬ間に、あっと言う間に儚く散っていて、
何だか切ない気持ちのまま、
また一つ歳を越えているのだな、と、この一年の自分は何だったのかの反省とも言える想いは巡ります。
何であれ、新しいスタートで始める時は、始めました、と宣言しやすく、言いやすく、言いたくなるのだけど、
終わり時の方が難しいのは分かっていて、
故に、桜のように、人知れず、儚くも、潔い散り方というのは、理想であり見本と思いつつも、
それなら、桜のように、誰の目も意識するでもなく、我が道を、勝手に人知れず咲き、人知れず散って、
それなのに、人の心に残る存在である方が、
最高で理想の生き方なんだろうな、と思ったりもします。
まだまだ遠いことは百も承知ながら、残りの時間で実現したい不遜な気持ちだけは持っています。
一人はしゃいだ後に痛感する価値のバランス
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最終の新幹線に乗ったら、
N700系の最新の何とかだったみたいで、なんだか嬉しくなって、
さらに、車両が一人だけで、スカーンと貸切状態なのが、
価値が高いように思えて、当然、子供みたいに嬉しくなって、
こうなると、まるで子供のように(そもそもが子供だけどな(苦笑))はしゃいで、自撮りして喜んでたんだけど、
これが、逆に、自分の主催するセミナー会場だったり、
集客施設や店舗の運営側だったりと、集客する側だったら、
自分にはまるで価値がないのだろうか?と、小心者の私なら恐ろしく凹むわけで(苦笑)、
価値というのは、一定や一律とか、絶対的なものではなくて、
誰かにとっての価値あるものは、誰かにとっては価値ではなくなるバランスで成立する側面はあるのだろうな、
と今更ながら思ったりして、
ついさっきまで、いかに集客して、顧客創造へと向かえるかをミーティングしてた自分としては、
理想論かも知れないけど、誰もが独自の価値を発揮して、
誰かだけじゃなくて、誰もがより良くなったりと、
そういう優しい気持ちを持って社会と関わったり、情報発信しなきゃいかんよな、と、
このブログを書きながら、
自分だけ良くなりゃいいとだけ日頃から思ってるような自分を、
ちょっと楽しいことがあったからといって、一人はしゃいでいた自分の画像が滑稽で浅はかに思えて反省しているところです(苦笑)。
子供のような喜びを感じる心は持ちながら、穏やかで、優しい心を持った、優しい大人な人になれますように。