ツヴォイ式お絵描き098「スティーブ・マックイーン」31
「スティーブ・マックイーン」主演の
映画「ゲッタ・ウェイ」(原題:The Getaway・1972年・アメリカ映画)
を初めて観たのは、大学1年か2年当時でした。
確か、学生プロレスの先輩2人と一緒に、飲み会の流れで徹夜になって、
翌日に、東京のどこかの街(これがどうしても思い出せない)をブラつきながら、場末っぽい映画館の前に行きついた時に、
一人の先輩が
「お、映画でも観ようか。」
と言い出しました。
古びたリバイバル専門のような映画館で、いくつかある上映作品を前に、
「お、『戦争のはらわた』『ゲッタ・ウェイ』の二本立て・・・、これに決定。」
と言って、そのまま観ることに。
それまで、マックイーンの映画は「大脱走」「荒野の7人」「ハンター」くらいしか知らなかった私は、
「ゲッタ・ウェイ」がマックイーン主演の映画とは知らずに(苦笑)、まるで興味のない映画に付き合わされたという感覚でした(笑)。
徹夜明けに近い状態で眠くてしょうがなかった私は、
一本目上映の「戦争のはらわた」の途中でグウスカ寝てしまい(笑)、
「ゲッタ・ウェイ」も、銃撃戦のうるささに目が覚めた時の断片映像が記憶にあるだけで、内容もストーリーもまるで覚えていませんでした(笑)。
今思えば、あの時、なんで、マックイーンだと気づかなかったんだろう?ですが(笑)、
その後、マックイーンに傾倒するようになり、数年後にもう一度ビデオで観た際に、やっと、
「あの時に観ていたんだ。」
と思い出すのでした(笑)。
私にとっては、全編に渡り、それのでのマックイーンの印象が覆るハードな内容で、
マックイーンが「アンチヒーロー」と言われる由縁をこの映画には感じます。
同時に、あの場末の映画館の虚ろな情景や、
大学時代の怠惰で断片的な日常や、
2人の先輩との記憶や、
確か着ていたブルーのアロハシャツのことを思い出す、
特別な感情が宿る映画です。
ツヴォイ式お絵描き096「できるかな・ノッポさん」01
子供の頃に、大きくなったらなりたかった仕事の一つは、
NHK番組「できるかな」(1970.4.8~1990.3.6)の
「ノッポさん」でした。
絵をかいたり図画工作が好きだった私は、毎回にようにテレビの中で展開される、
「ノッポさん」と「ごん太くん」のドタバタ図画工作の無声劇の虜になっていました。
番組の構成は、いつも
①遊びたいゴンタ君のためにノッポさんがなんか面白いことを思い付く
②身の回りにあるもの(新聞紙やセロテープや布切れやサランラップや空き缶)で遊び道具を作って一緒に遊ぶ
③最後はダンボールやガムテープで色とりどりの大道具で楽しい世界が出来上がって、もっと楽しく大はしゃぎ
とパターンでした。
毎回のクライマックスシーンの、ノッポさんとごん太くんが大はしゃぎで遊ぶシーンは本当に楽しそうで、
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
はやく大人になって、一緒にもっと上手にオモチャを作って(ノッポさんの制作は結構雑に見えた(笑))、
一緒に楽しく遊びたいと思っていました。
今思うと、私の経営観や人生観・ビジネスモデルの構築は、この「できるかな」が土台になっています。
①自分や誰かの経営や仕事がつまらなくなってきちゃって、これができたらなんか面白そう、なことを思い付く
②有形・無形のストックされてきた身の回りのものを組み合わせて方法を考えて実験してみる
③新しい何かが生まれて、それが積み重なって、みんなで一緒に遊ぶ(みんなの役に立つ価値が生まれる)
子供の頃に憧れた「できるかな」の主役を職業にすることはできませんでしたが、
人にはそれぞれの経営観・ビジネス観・人生観というものがある中で、
私のビジネス人生の、後継事業であったり、新規事業であったり、そして今の喜びや悩みのそれは、
まさしくこの「できるかな」の世界に影響された、土台があると言えます。
あの時に憧れた世界は、ちゃんとこうして形にしてもらっているのかもしれないな、と思いながら感謝しています。
「ノッポさん」こと「高見映」さんが、亡くなられたと2023年5月10日にお聞きしました。
半年前の2022年9月10日に心不全でお亡くなりになっていたとのことですが、
「自分のことで周りの人を悲しませたり、大切な時間を邪魔したくない。死後半年以上、伏せていて欲しい。」
というご本人の希望だったそうです。
ノッポさん、勝手に教えてもらった、ノッポさんが表現されてきた「できるかな」の世界をちゃんと見習って、
自分もみんなも楽しくて役立つ仕事ができるよう、これからも頑張りますね。
私が死んだら、私の人生で培った、色んな私の身の回りのものを持っていけるよう、
まだまだストックをたくさんため込んでおきますから、一緒に工作して遊んでくださいね。
ご冥福をお祈りいたします。