ツヴォイ式お絵描き134「ビル・ロビンソン」16

「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」(1975年12月11日・蔵前国技館)

で、ロープ際の攻防から猪木を場外に投げ捨てるロビンソン。

ロビンソンが、試合の転換でよく見せる場面ですが、場外に共に雪崩落ちる二人の軌道も、絵になっているのがスゴイところだと思っています(笑)。

果して、これを「フロント・スープレックス」と呼べるかどうかはそれぞれにお任せするとして、

(私は、長く認知できていなかったが(笑)、後年プロレス雑誌に書いてあって、そうとあも言えるな、といいように捉えた(笑)。)

仮にフロント・スープレックスと設定するなら、

この日、ロビンソンは、当時の全てとも言える4大スープレックスの全てで猪木を投げたことになるわけで、

あの当時の猪木がここまで投げられていたことになるのかと。

代名詞の「ダブルアーム・スープレックス」に及んでは、この日2回という入れ込みよう。

多くの人が、この試合は見る度に新しい発見があると言いますが、本当にそうだと思うし、

それが芸術的試合だと語り継がれる由縁でもあると思うのです。

これで、この日のロビンソンのスープレックスはフルコンプできました(笑)。

 

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「言い訳」のできる人生でいたい

満月かどうか分からないけど、

今日は満月なんじゃないかな?と思える深夜のお月様でした。

ふぅ、と一息つきながら、フと、

「自分にちゃんと『言い訳』ができるだけやったんかなぁ」

と自問する時はあります。

 

エンドレスで深夜までとか徹夜でカスタマイズで誰かと課題解決したり、

限られた時間の範囲での打ち合わせであれ、

無理難題だろうが、何とかしようと全力を尽くして、限界までやって、

それでもうまくいかない時もあって、挫折感とか限界に包まれたりして、

それが他人から見て、全然甘い、できていないと評価されたとしても、

「俺はやれるだけのことは全部やった、それでもダメと言うなら矢でも鉄砲でも持ってこい、

どうあれ、結果は全部丸ごと飲み込みゃいいんだろ、

ほっとけや。」

と開き直って、

ここまでやってできないんだから、

もう俺の「努力」のせいじゃない、

「遺伝」とか「才能」とか「運」の問題だ、

と誰あろう自分で自分に正々堂々言い訳ができたのなら、

それは勝ちだろう、

という意味で、「言い訳」とか「他責」とか「開き直り」までいけたのかどうかは、時々フと考えたりします。

 

そして、サボリ癖のある私は、いまだに一度もちゃんと「言い訳」できてなかったりします(苦笑)。

あぁ、せめて自分に「言い訳」したい(笑)。

 

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ツヴォイ式お絵描き133「ビル・ロビンソン」15

「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」(1975年12月11日・蔵前国技館)

で、ロビンソンが、1本目開始早々に炸裂させたサイド・スープレックス!

首の取り合いから、一気に切り返し、予想だにしないマッハの投げ技に、

小学生4年生ながらも、私は驚愕しました(笑)。

まずはお手並み拝見とばかりの、最初のスープレックスでした。

 

こうして、猪木vsロビンソン戦をしつこく、一枚一枚描いていると、

全盛期の猪木が、ここまで、各種の技でポンポンと投げられた(投げさせた?)試合は、

このロビンソン戦くらいしか記憶にないことに気づきます。

無意識に刷り込まれた圧倒的情報量が、記憶に残る名勝負の一つの要素なのかも知れない、

と改めて思ったりしています。

これって、ビジネス戦略や、マーケティングへの置き換えに繋がると思いませんか?(笑)

 

 

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