コミュニケーションにおける知性は感情を超えらるのか?(苦笑)
「人間は、社会活動における他者との関係によってのみ生存していける」
という学説に影響されているので、
他者との関係において、高い知性を発揮する能力を高めていきたいと思ってはいます。
思ってはいますが、いかにも知性的でいる自分に見られるように、
知性的に物事を考えているように魅せたいと、
頬杖をついて知性的に物事を考えている自分を表現したいと思いつつ、
指一本を伸ばすだけで、鼻に指突っ込んだら、
アホ丸出しに見えて面白いんじゃないか?
知性とアホは紙一重、
誤差微差というのはこういうことだ、
と訴えたくなる感情を抑えきれずに、我慢できずにその行為をしてしまう時、
私が理想の社会活動を営んでいくのは、茨の道なのだろうと思うのです(苦笑)。
「人は感情の生き物である」反面、
「知性のよるコミュニケーションが生きる上で重要」という、
生きることそのものが二律背反と向き合うことなんじゃねーか?と身悶えながら、
今年60歳の誕生日までには、知性と感情のバランスを何とか克服したいと焦っている昨今です(苦笑)。
知識と実践の融合は遠く厳しい(笑)
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楽しいところに人は集まる、とか、
面白いことに人は興味を持つ、
というのは、聞けば、そりゃそうだと分かった気になって、
例えば、集客論として、
「楽しいところに人は集まる。」
「面白いことに人は興味を持つ。」
と言いたくなったり、
あたかも私はそういう大事なことを知っているとばかりに他人様に吹聴したくなるのだけど、
その言葉そのものが、楽しいわけでも、面白いわけでもないので(苦笑)、
誰も楽しい気持ちにならず、面白いとも思わない。
そんな言葉を知っているよりも、実際にそれができるかどうかの方が大事なのだから、
「知っていることと、できることは違う」
とかの抽象論を偉そうに言いたくなるのだけど、
その言葉自体も、読んでいる側に立ってみれば、楽しくも面白くもないのだから(笑)、
よぉぉぉぉしっ!俺は、そんな言葉を使うことなく、実践することにより、知っていることを証明してみせるぞ!
とばかりにやってみるのだけど、
せいぜい、鹿の写真を見つけて、丁度の距離感で鹿の耳が出ている写真を必死で撮る程度で(笑)、
あげく、「馬面」に「鹿の耳」って、思いっきり◯◯って自己紹介してるようなもんで(苦笑)、
そうなると、「楽しい・面白い」と「単なる◯◯」は違うわけで、
こういう時に、知っていることとできることの合一実現への道はまだまだ遠いと自覚するわけです(苦笑)。
という文体も、自分で読んでいて、楽しくも面白くもないという(苦笑)。
あくなき探求と自己承認に向けて、頑張る自分は好きです(笑)。
3月も頑張ります(苦笑)。
言葉の意味は日常の中(笑)
人を喜ばせたい、と、本来は前向きな気持ちが先行していまうあまり、
ついつい調子に乗って、調子に乗り過ぎちゃったたかなぁ、と、
直後に反省して、ちょっと凹むことは、
私の場合、よくあることなんだけど(苦笑)、
まぁまぁ、そんなこともあるよな、と思いつつ、
でも、すぐ上など向けずに、下にうつむいてしまった時に、
お気に入りのゴロンとしたブーツがあると、
妙に安心してしまったりして、
だから、また同じようなミスを繰り返すことになるのか、
とも思う時に、
「一長一短」とはこういうことなのかなぁ、などと考えたりして、
実は逃避する時間は結構好きです(苦笑)。