ツヴォイ式お絵描き147「武藤敬司」02

1990年10月、2度目の海外遠征から凱旋帰国当時の、

「武藤敬司」のムーンサルトプレス!!

(1990年5月24日・長州力vs武藤敬司・東京ベイNKホール)

この頃は、膝への配慮からか、改良されたバージョンになっていて、1986年当時のムーンサルトプレスとは違った飛距離・高さ・着地へと変わっています。

(1986年バージョン)

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ツヴォイ式お絵描き146「武藤敬司」01

この頃からのリングコスチュームの、オレンジタイツに白のリングシューズは、

すごい高さとスピードで躍動しまくる武藤にとても似合っていて、勝とうと負けようと、すべての動きがカッコ良く、

新しいスーパースターをイメージさせてくれて、個人的には、この頃の武藤が最も輝いています。

1986年の最初の凱旋帰国の時は、個人的にはあまりに印象が悪かった(苦笑)のに反し、この頃からの武藤のプロレスにはどんどん魅了されていきました。

70年代~80年あたりまで、プロレスに夢中だった私ですが、

それ以降、徐々にプロレスからは遠ざかり始めてしまいましたが、そんな中でも武藤だけは別格の輝きが残っているプロレスラーでしたね。

 

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ツヴォイ式お絵描き146「武藤敬司」01

「武藤敬司」の「ムーンサルトプレス」!!

1986年に武藤が最初の凱旋帰国。

まだ「スペース・ローン・ウルフ」の異名で、ネイビーのロングタイツだった頃の「ムーンサルトプレス」です。

当時、私は大学生で、1986年10月9日・両国国技館に「アントニオ猪木vsレオン・スピンクス」戦を観に行きました。

その日には武藤の凱旋帰国の挨拶がありました。

登場する際の「610」の数字の入ったヘルメットや、宇宙的なコスチュームがあまりに間抜けに見えたのと(笑)、

あまりに露骨な次世代スターの売り出しを感じさせる印象が悪く、そのまま武藤のイメージになってしまい、

何かというとメインに抜擢される武藤でしたが、そのプロレスは、何だかチャラくて軽く見えてしまって、興味を持てずにいました。

(当時のプロレス研究会で私が描いたイラストにも描いている(笑)。「最低」と書いている(笑)。)

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https://tosboi.com/business_theory/9079/

そんな中、当時、在籍していた早稲田大学の会報中心で活動しているプロレス研究会の三橋先輩が、

「武藤の運動神経ってのは、とんでもねぇと思わねぇか?ありゃ、天才的じゃね?」

と、ある日の飲み会の場で言い出したのを憶えています。

その時は、

「そうですかねぇ・・・・、俺は武藤の試合はそんな風には見えないですけどねぇ・・・・。」

程度にしか、私は答えなかったし、ホントにそうとしか思えなかったのですが、

当時、「輪島」のプロレスに、プロレスの神髄を観ていた感のあった三橋さんが、

カッコいい武藤に対して、それはそれでちゃんと評価していることがとても意外で、それで記憶に残っています。

 

しかしながら、今、改めてこういう武藤の動画を観てみると、確かにそうだよなぁ、と思いますね。

まるで宇宙空間とか空中遊泳といったインパクトのある、とんでもない高さと綺麗なフォームですね。

 

人には、一つの物事に対する「〇〇観」というものがあって、

「プロレス観」というのは、プロレスそのものが曖昧で確定的な定義がないが故、観ている人それぞれにある。

その擦り合わせや議論や会話というのは、個人的にはとても面白く、

それは、そっくりそのまま「経営観」や「ビジネス観」、「人生観」から、「映画観」や「芸術観」に至るまで、重要な思考性にも置き換えられると思うのです。

 

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ツヴォイ式お絵描き145「マリリン・モンロー」03

私が大きな口を開けて笑うと、

下品で間抜けなアホにしか見えないけど(苦笑)、

この人だけは、「満面の笑み」として、ポジティブで、大らかで、色っぽく、魅力的といったアイコンになってしまうわけで、

こういう時に、生まれつき色んなことが決まってしまっているのだろうな、ということを突き付けられたりします(苦笑)。

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