ツヴォイ式お絵描き138「ディック・マードック」01

「ディック・マードックvsアブドーラ・ザ・ブッチャー」(1983年7月7日・大阪府立体育館)

での最大の魅せ場、マードックが放った18番の必殺技「ブレーンバスター」!

 

83年ですから、私が高校3年生でしたが、当時の新日本プロレス(テレビ朝日)の編成は、

空前のタイガーマスク人気や、前田日明の凱旋帰国、長州力の維新軍や、ラッシャー木村のはぐれ国際軍団、といった日本人対決が主流、そして第一回IWGPの開催といった内容が主体になっていました。

個人的には、その展開がややつまらなくなっていた中、この対決が突然組まれ、

私にとっては、この二人が全日常連外人時代からの夢にまで見た夢の対決でしたが(経緯は省く(笑))、

なんと、テレビ中継がないという、とても残念な気持ちだったことを覚えています。

 

後年になってアーカイブ動画で確認することができて、生きていて良かった(笑)と、やや大袈裟に思うわけですが(笑)、

まさか、こんなブレーンバスターが炸裂していたとは驚きでした。

 

前出の、ドリー・猪木のブレンバスターは、ブッチャーの巨体を持て余し、横に流れている(それが普通だろ(笑))のに対し、

このマードックのそれは、正しくストレートに後方に投げて「は」います。

ところが、やはりブッチャーが余りに重すぎたのか、汗ですべったのか、途中で腕のロックが外れ、

ブッチャーの頭が真っ逆さまに打ち付けられ、側頭部からマットにのめり込みます(苦笑)。

これぞ、シャレにならない本物の「脳天砕き(ブレーンバスター)」!!!にド肝抜いたわけです(笑)。

さすが、ブレーンバスターの大御所マードックというのもそうですが、

この後も、そのまましっかり試合を成立させるブッチャーには、もっと驚かされました(笑)。

二人とも、さすがプロですね。

プロの日頃が「何たるか」の証明は、正しくこういう時に現れるのだと、変なとこで見直し、自分もそうありたいと学ばせて頂くのです(笑)。

やはり、プロレスには人生の学びがある、と私は思っています。

 

ブッチャーをブレーンバスターで投げたレスラー3人の比較はコチラ

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1975年のドリー

 

1979年の猪木

 

1983年のマードック

 

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ツヴォイ式お絵描き137「ドリー・ファンク・ジュニア」01

1975年・全日本プロレス「オープン選手権」の開幕戦、

「ドリー・ファンク・ジュニアvsアブドーラ・ザ・ブッチャー」戦(1975年12月6日・東京・足立区体育館)

で、ドリーがブッチャーに、見事に決めた「ブレーンバスター」!

私の知る限り、対ブッチャー元祖ブレーンバスターです。

 

この日のテレビ中継は、

この試合はじめ、

「ジャイアント馬場vsバロン・フォン・ラシク」

「ハーリー・レイスvsダスティ・ローデス」

の試合も放送され、

それまで日本人vs外人の勧善懲悪のマッチメイクしか知らなかった小学校四年生の私は、

外人同士の対決をどう観たらいいのか、新鮮な戸惑いを感じながらテレビを観ていました(笑)。

 

ブッチャーは、馬場・鶴田・デストロイヤーの日本勢を、凶器攻撃で痛めつける悪の権化が確立されていましたが、

久しぶり来日となったドリーのことは、元NWA世界チャンピオンという経歴を聞く程度で、

登場した時は、ハゲの外人のオッサンにしか見えなく(笑)、

一体何がそんなにスゴくて、強いと言われているのか全く分かりませんでした。

あのブッチャーと、正義の正統派スタイルで互角以上にやり合う試合展開に魅了されつつ、

そして、この日の最大の魅せ場のこの一発。

 

誰も持ち上げることなどできないと思っていたブッチャーを、強引かつ見事にブレーンバスターで持ち上げた時は、

「あのブッチャーを持ち上げるなんて!」

驚愕と共に完全にやられてしまいました(笑)。

ブッチャーがデヴ過ぎて(笑)、横に流れながら叩きつけられるのも、とてもリアリティがありました。

 

どんな無知な子供相手にも、一瞬で魅了してしまう力と凄みこそが、世界の名レスラーの由縁なのだと思います。

この1975年というのは、新日本では「猪木vsロビンソン」の対決があったり、

このオープン選手権は、毎日が「夢の対決」オンパレードの外人レスラーオールスターで、

すごいプロレス全盛の時代だったのだと改めて思います。

今なら、全興行を一緒に巡業するのを本気で考えたのではないかと思います(笑)。

しかし、これらの試合が「足立区体育館」で行われていたというのも、別の意味で驚きで(笑)、

このシリーズを伝説的なものにしていると思います。

 

その四年後に、「夢のオールスター戦」で猪木がブッチャーを、同じ技で投げることになって、

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ツヴォイ式お絵描き136「アントニオ猪木」16

当時、幼少から青春期の私のプロレス観は、ドリーと猪木、そして猪木と互角以上の戦いを魅せたロビンソンは、別格となってきます。

 

猪木のブレーンバスターとの比較はコチラで

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甘美な魔力と曖昧な理性の迷宮(笑)

先日、友人に連れて行ってもらった、一人では絶対に行かないお店で、

この出逢いを逃したら、一生会えないであろうイカしたジャケット(笑)に出会ってしまって、

危うく買いそうになりました(笑)。

 

久しぶりに、消費動機の甘美な魔力の前に、

曖昧な誘惑と理性の狭間の冒険を堪能できました(笑)。

ちなみに、これも危うく買いそうになりました(笑)。

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昭和の得体の知れないクネクネ人形です(笑)。

はや4年前のコロナと、3年前の胃ガン手術以降、ホントに外に出なくなりましたが、

こんな誘惑があるなら、面倒くさがらずに、またあちこち行って、

悶絶するのがとても大事だと思いました(笑)。

 

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