ツヴォイ式お絵描き114「ファラ・フォーセット」01
私が初めて「外国人の大人の女性」を認識したのは、
「ファラ・フォーセット」( 1948.2.2-2009.6.25)
でした。
1970年代の後半、私は小学校高学年になっていて、
学校から家に帰れば、とりあえずテレビを付けるというのが習慣になっているテレビっ子でした(笑)。
当時は、夕方4時頃に、様々なアメリカTVドラマシリーズが放送されていました。
特に、興味があるわけでも、観たいわけでもありませんでしたが、他にはニュース番組や情報番組・時代劇くらいしかなく、
私の選択は、あまり意味も分からずも、アメリカTVドラマにチャンネルを合わせて暇な時間をやり過ごしていました。
思えば、このどうしようもない、目的も目標もなく、目の前の快楽のみに身を委ねていくという、
人生時間の浪費体質というのは、当時から醸成されていたのでしょうね(笑)。
そんな時間の使い方をしているわけで、当時観ていたどのテレビドラマの内容もしっかり憶えていませんが、
確か、その枠で、放送していた
「チャーリーズ・エンジェル」
に登場していた、この「ファラ・フォーセット」だけは鮮明に覚えています。
大人のお姉さん的な、キュートでセクシーな輝きは、その後の、女優やモデルとしての活躍が証明するように、
まだ少年の私にも強烈に突き刺さっていたのでしょうね。
16歳になって観に行った映画
「キャノンボール」(1981年)
(何でわざわざ観に行ったのか、よく覚えていない(笑))
には素敵なヒロイン役で登場していましたが、その輝きはさらに増していたのがとても印象に残っています。
2009年に亡くなられていて、その時も驚きましたが、それからさらに14年も経っているのですね。
それでも、その輝きは私の中ではずっと続いているわけで、
青春時代に受けた影響から来る「〇〇観」というのは、その後の人生に大きく影響するというのは、この年になってよく分かる気がします。
ツヴォイ式お絵描き113「綿谷画伯(彼女が水着にきがえたら)」01
1980年代から今日に至る30年近く、イラストレーションの世界において、私が敬愛し続けているのは、
「綿谷 寛」先生こと「綿谷画伯」です。
メンズファッション誌はもとより、様々な分野でイラストレーションを描き続けられており、
今や、世界を代表する第一人者のお一人です。
名前は知らずとも、誰もが一度は目にしたことがあると思います。
ずっと影響を受け続けた結果、私のイラストはほぼ綿谷先生のパクりです(苦笑)。
パクリと言うのはおこがましく、いつまで経っても私の絵は上手くなりませんが(苦笑)。
有名なところでは、原田知世さん・織田裕二さん主演の映画
「彼女が水着にきがえたら」
(1989年・ホイチョイプロダクションズ・日本映画) (ホイチョイ3部作の2作目)
のポスターはその一つでしょう。
(2017年には、綿谷画伯とホイチョイプロ「馬場康夫」監督にお会いできたことがあり有頂天でした。)
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おこがましいと思いつつも、長年の敬意を込めて、ポスターをそのまま描いてみたのですが、やっぱり上手く描けずに、
やっぱりその道の世界のプロはプロ、パクリはパクリと認識させられます(苦笑)。
私のはどこまで行っても「お絵描き」「ラクガキ」の域をこえることはできませんが、
描くたびに、オリジナリティとか独自性とは何か?と、現代ビジネスの根幹に思いを馳せたりしています。
緊急度の高さに対して、重要度の高さに逃げても成果は出ない
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①分からなかったことに対して、
「分かる・分からない」の領域と、
②分かったことに対して、
「やる・やらない」の領域と、
③やったことに対して、
「できた・できない」の領域と、
全て違います。
分からない人に対しては、知識を与えれば、どこかの時点で「分かる」までは行きます。
でも、分かったからといって、「やる」かどうかは別で、わたしなんぞは、何かが分かったところで、ほぼしません(苦笑)。
利益の出し方については、私も、ほとんどの人も知識としては知っています。
でも、やるかというと、やりません(苦笑)。
だから、「分からない人達ではないので、分からせればできる。」という言い分については、私ははなはだ疑問です。
仮にやったとしても、成果に結びつくかといえば、必ずしも結び付きません。
すなわち「できた・てきなかった」というのは「やった」後の確率論の問題となります。
教育や勉強とか、社内評価制度いうものは、緊急度の高い対象に、効果的ではありません。
何かができなかった人が、できるようになるには、
「分かる」→「やる」→「できる」という三段階
を越えねばならないので、成果を上げるまでに、時間がかかります。
よって、克服したい問題・課題に対して、時間に余裕がある時にのみ有効であると言えます。
そんなことは、当たり前と言えば当たり前だし、それこそ「分かっている」ことですが、
私は、いつも緊急ギリギリになって「一夜漬け」状態でしか物事にあたることができません。
だからいつまで経っても成果が出ない人ということになります(苦笑)。
ここまでは、自分に当てはめれば、いくらでも置き換えが効くかと思いますが、
さらに面倒なのは、
「人の心を動かす」
というスキルが誰にでも問われる時代であるということです。
ビジネスの力とは、煎じ詰めれば「他人の心を動かす」ことです。
商品・サービスで、人の心を動かすか、
個人の属人的魅力で、人の心を動かすか、
どちらかです。
それは、対象が顧客であれ社員であれ当てはまるし、
場面も、顧客創造であれ、社員教育であれ、採用する側であれ、される側であり、やはり当てはまります。
まず自分がこれをできるかどうかという段階。
やってもやっても成果に繋がらないのであれば、
時代ごとの他人という存在に対して、何かが違っているのだろうと自覚する以外に方法はありません。
仮に自分一人でそれができたとしても、今度は、
他人(スタッフや社員)ができるようになることができるか?かどうかという段階があって、
それがさせに難関です。
これを「分かる」→「やれる」→「できる」段階まで誰もができるようになれば世話ないわけですが、
こんなもん、口では言えても、「できないからできない」わけで、
私は、自分にも他人にもそれができた試しがありません(苦笑)。
ここまで分かっているのなら、とっとと、既にできている人から知識や方法を学んでやればいいのに、
このブログの絵を描いたり、分かったようなことを文字入力しているというのは、
①分かってもいないし、
②よって、やりもしないし、
③よって、できることが何もない、
という証明をしているようなもので、
そうか、だから、ダメな奴は、やっぱりダメなんだろうなと、このブログを書きながら、やっと「分かってきた」状態なわけです(苦笑)。
だって、絵を描き始めたら、止まらなくなっちゃったんだもん(苦笑)。