AI時代に陥ってはいけない無価値の大量生産リスク(苦笑)
「AIを自分のものにするには、AIを自分の分身にできるまで使い倒すことだ。」
と聞いたので、
「そうか、AIを自分の分身にするより、自分の分身そのものを造ればいいんじゃん!」
と思って、自分の分身をどれだけでも大量生産できるマシンを、
今のうちから研究開発すればいいんじゃん!と思いついて、
俺は天才か!?と一旦は思ったけど、
そもそも無価値の私が大量生産されたところで、そもそも無価値は、数が増えたところで無価値でしかないのではないか?と疑問が沸き、
考えてみたら、無価値がどんなに増えたところで、価値が上がるわけでもなく(笑)、
いや、むしろ、私の分身が大量に発生したら、世の中の迷惑にしかならないわけで(苦笑)、
無価値の私が大量生産されるというのは、
造れば作るほど、無価値が増えるだけで、
誰からも必要とされない自分が増え続ける、あげくに、
誰の何の役にも立たない現実を証明するかのように、私の分身ストックは大量の不良在庫となり、
それを目の当たりにする度に、人生が嫌になるだけだから、やめといた方がいいんだ!、
と、始める前に気づけた私は天才的な価値があると思った(笑)。
行きと帰りの違い気づく刹那と節操のなさ(苦笑
小雨が降る中、オイルドコットンのパーカーを羽織って、
野暮用を済ませる為に、颯爽と外出(笑)。
颯爽と野暮用って、どないやねん(笑)。
名古屋駅西から名古屋駅に向かう途中の大きな雑居ビルがあって、
以前から、あぁ、老朽化でもうブっ壊してんだな、と思ってたら、
綺麗さっぱりなくなっていて、跡形もなくなってて、風景がまるで変わってました。
新しく綺麗になって便利になっていくのは嬉しい反面、
古いものはなくなっていく世の流れの現実を鑑みたり、
当たり前だと思っていた時は何のありがたみも感慨もないくせに、
いざなくなると、郷愁だの切なさだの憂う自分がいたり、
古くなれば価値のなくなるものと、古くなるほどに価値が上がっていくものの違いはどこにあるんだろう?
とか思いつつ、上手く接続できなくなって不便になったパソコン接続機器を新たに購入するわけで、
要するに、自分の都合で、新しくなればいいものも、変わってほしくないものも、刹那的に節操なく考えてるだけなんだろうな、と思いつつ、
閉店間際に慌てて電気店に入って、ちょっと動いただけで、疲れて(苦笑)、
行きは颯爽と出たはずなのに、帰りは疲れてトボトボ歩く自分に、
人生の軸がどうだこうだ、一貫した考えがあるのか?とかのたまいながらも、
自分の人生そのものが刹那的で節操がないんじゃねーか?と思うのでした(苦笑)。
AI時代に目の当たりにする根本的な問題(苦笑)
やれ、
「AIは効率化の為の道具だ。」
「AIをいかに使うかの人間の問題だ。」
「入力する人間の質問力だ。」
「使っている人間の思考力の深さや高さが問われる。」
とか何とか、あちこちで言われているので、
「うんうん、なるほど、まったくホントにその通りだな。」
と納得して、自分ならできると思って、
自分の質問や、洞察や、思考をフル回転させて、
さらに勉強して、AIを使えば使うほど、やればやるほど、
何だか、自分の周りにサルがあちこちに蔓延していく気にしかならなくて(笑)、
何を勉強しても、どんな便利なツールを使っても、
この救いようのない根本的な現実をどうしたらいいのか?を誰か教えて欲しい(苦笑)。