『「行動」が大事』という「知識」は「行動」なのか?(苦笑)
「行動」とは何なのか?
ビジネスにおける「成果」は「行動」からしか生まれない、ということくらいは私も知っています。
「行動」からしか「市場価値」は生まれず、「市場価値」からしか「成果」は生まれません。
知っているということは「知識」の領域ですから、「知識」をアウトプットしている時点は、何も行動していないようにも思えるし、
でも、こうして指を動かしながら、脳を使って、前頭葉から指示を出して、また指を動かしているわけですから、これは「行動」のうちに入るのでしょうか?
仮にブログを100万記事書いても、私の場合は、書くだけでは業績には直結しません。
脳を使って何かを考えているのは「行動」に入るのでしょうか?
身体を動かしているのが行動だとすると、脳も体の一部ですから「行動」だと言ってしまえば「行動」です。
時に「考えるより先に行動しろ」というのも聞きますが、そんなこと言ったら、三歳児はビジネスで圧倒的成果を出しているはずです(笑)。
「行動が大事だ」と言うのは「行動」なのか?
「行動」という言葉は知っていますが、何をもってして「行動」というのかの定義は人それぞれのような気がします。
「行動が大事だ!行動しろ!」
と言う人は今までゴマンといましたが、
言う人は、「知識」をブチまけているだけなのか、
「知識」をブチまけるという「行動」をしているというのか、
私にはよく分かりません。
きっと「何かをしろ」と言っているような気がするのですが、それなら具体的に「〇〇をしろ」と言われないと分からないので、
せめて「今、〇〇しろ」と言えよ、とよく思ったりしました。
ただ、その具体的な指示が、実際に成果を生み出すかどうかはまた分からないから面倒くさい(苦笑)。
そんなこんなを考えながら、個人的には、現代経営における経営者の「行動」には3段階あると思っています。
【行動の3段階】
①・情報を取る
(勉強する・知識を得る・とか何とか言う)
②・得た情報を自分用に置き換える
(編集・組み合わせ・シナリオ・戦略・企画・作戦・とか何とか言う)
③・②の仮説を実際にやってみる
(行動・実践・実験・アウトプット・とか何とか言う)
の三つの行動段階があると思っているのですが、
①の「情報を取る」
に関しての証明は、本を読んだり、セミナーを聞いたりしている時に、同時に、
「手を動かして、書いているか?」
になります。
アウトプットしている姿が目に見えるかどうかでしか、人は認識できません。
「考えてるんですよ・・・。」
と、言いはするものの、実は何も考えていない、なんてことは私はザラにありますから、
何とでも言えることを知っています(笑)。
記録しても仕方ないという人もいますが、私のようなクソ凡人は、ただ聞いているだけの段階は、何も脳を使っていません(苦笑)。
あるいは、聞いた先からすぐ忘れるという鳥並みの記憶力です(苦笑)。
人は、喋ったり、記録するというアウトプットしながら、気づいたり発見したりすることが多く、
それも含めて記録しておくことは大事です。
後で見直しても良いですが、私は見返すことそのものを忘れるという、驚異のアホ度を自覚しているで(苦笑)、
この時点で、脳のインプットとアウトプットを繰り返さないと、日常が脳死状態になっています(苦笑)。
それくらい、ボッサーっと生きて、刹那的に感じたことを、あぁ勉強になった、とか何とか言ってやり過ごして(笑)、
なんか得たはずなのに、得る前と変わらぬ日常を垂れ流します(苦笑)。
書いたら、すぐ忘れても良いし、見直さなくても良い。
インプットとアウトプットを繰り返し、脳をフル回転させて、思考力を鍛えるのが目的。
何しろアウトプット量(行動量)を増やすことが、行動している領域に入る、と認識こそしていますが、
ここまで書いといて何なんですが、
これ、脳がスゲェ疲れるので、私は、ほとんどできません(苦笑)。
よって、第一段階の行動ができていません(苦笑)。
②の「得た情報を自分用に置き換える」
ですが、これは、
一般に、設計図とか戦略とか、方向性とか、地図とかロードマップと言われる仮説段階で、
自分が実際に行動する前に、そもそも何をやったらいいのか?を、自分で理解する為の行動です。
これも実際に紙に書き出すなどしてアウトプットしまくることで、「行動」になります。
これがないと、
例えば、
「インパクトのあるビジネスモデルが必要だ」
という、何となく分かったような、分からないような原則論を聞いたとて、そもそも「インパクト」って何なんだよ?
という自分の定義、あるいは自分の業種業態にとってのインパクトは何なのか?を考えないと、
インパクトもへったくれもないと私は思ってしまいます。
面倒くさくなって、「インパクトのあるキャッチ10選」みたいなのから引っ張ってくると、
誰もがそれを踏襲して一般化するので、「インパクト」がなくなるじゃねーか?となる(苦笑)。
逆に、他の業種業態では、とっくに当たり前になっていることでも、自分のビジネスに持ってくると、
いきなり、独自化する「インパクト」になることがあります。
さらに、最初は「インパクト」があっても、同業が同じことをやり始めると、時系列と共に「インパクト」はなくなるという現実もあります。
今は、どこからでも情報は手に入りやすくなっていますが、
一般にシェアされる情報というのは、原則論や本質論に向かう為、一旦、自分に置き換えきる作業は必須です。
ここを自分でよくよく設計せずに、早くやろうとばかりに、突っ込んでいく、すなわち「実際の行動」にブチ込んでいくと、成果に繋がらないどころか、リスクや疲弊に繋がることは多く、
故に、しっかり時間をかけて方針を立てる必要があるのだけれど、
私は、この時間が相当キツイです(苦笑)。
特に、今はスピードが速いので、考えなきゃいけないわ、具体的な一手をいくつも出さなきゃいけないわで、
私は面倒くさいです(苦笑)。
よって、第二段階の行動においても私はできていません(苦笑)。
③の「実際に行動してみる」
これが一般に言われる行動・実践・実験・という段階で、
実は、ここが一番簡単と言えば簡単ということになります。
決まってしまえば簡単なのですが、何しろ決めるまでが面倒なのです。
とは言え、私は、実際に動くのがスゲェ面倒くさいので、
結局やりません(苦笑)。
何なんだよ!
全部やらねぇんじゃねぇかよ!!!!(笑)。
やべぇ、ガチでやべぇ、マジでやべぇよ(苦笑)。
経営におけるクリエイティブは、どれが抜けても行動にならない。
もしかしたら、専門的な技術やスキルの継承は、②を飛ばして、①からすぐ③へ、
つべこべ言わずにとっととやれ、はあるかもしれませんが、
しかし、こうして考えてみると、新しい価値創造の肝は②しかないということが見えてきます。
ある専門領域で成果を出せても、経営者になれないのは、②に対する時間が圧倒的に欠けているからとも言えましょう。
②は、それまでの人生の体験・経験が変数的に関わってくるから、なかなか手に入らない。
にも関わらず、一定期間に何度もブン回すとなると、相当キツイ。
これは、①と②と③の時間の割り振りをいかに意図するか?という「そもそもそ論」になっていきますね・・・・・。
この歳になって、果たして、やるんかよ(苦笑)。
っていうか、
ここまでブログを書くという「行動」をしながら、
結局、何も「行動」しない自分が浮き彫りになっただけじゃねーか、
というジレンマを抱えながら、何とかせにゃいかんぞい、俺は(苦笑)。
というわけで、オッサンの闘いは続く・・・・(苦笑)。
ツヴォイ式お絵描き119「ケビン・コスナー」01
映画「ボディガード」(1992年・アメリカ映画)の
「ケビン・コスナー」がカッコ良くて、よく観ますが、
何で、ケビン・コスナーのこの映画にだけ惹かれるんだろう?と思っていたら、
ケビン・コスナーは「スティーブ・マックイーン」に強烈な憧れと影響を受けていたらしく、
特にこの映画はマックイーンの完コピ説というのがあって、なるほどそういうことか、というのを、後で知ります。
何でも、この映画の最初の映画化の時にはマックイーンへのオファーだったらしく、
それを知っていたコスナーは、オファーにすぐ応じたそう。
そういう視点で観てみると、確かに、髪型から、スーツスタイル、仕草から所作から身のこなし、
もう何から何まで、マックイーンの生き写しのように、私の目には映ります(笑)。
コスナーは、はじめてお絵描きしましたが、こうして描いてみると、
確かにマックイーンとまるで見分けが付かないです(笑)。
さて、問題はここから。
①マックイーンに影響を受けたコスナーは、マックイーンのようにカッコ良い。そして、結果、唯一無二のオリジナルの存在になっている。
②マックイーンに影響を受けた私は、私のままでカッコ悪い(笑)。そして、結果、その変にゴロゴロいるだけの凡人、あるいはただのオッサン(苦笑)。
何かの努力が足らないのか、
元々ダメなのか、
どっちもなのか?
どっちもに決まってんじゃんね(苦笑)。