夢溢れるデザインに想いは宿る
私は50年ほどの歴史を持つ「傘メーカー・卸・小売業」の3代目として生まれました。私の代(2001年当時)で廃業しましたが(苦笑)。
古い会社だったので、当時の社内の机の中から、ほったらかしにしてあった、参考にしていたであろう古い洋書や資料なんかが時々出てきて、私にとっては貴重で今でもとってあります。
今見ても昔の夢溢れる写真やデザインはとっても素敵です。
てっきりフランスの雑誌だと思って、さすが「おフランス」だなぁ、と思っていましたが、よく調べてみたら、どうやらドイツ語のようだと気づきました(笑)。
こういう思い込みをしたまま生きているので、正確さに欠けて家業を廃業してしまうのだな、と思いました(苦笑)。
こうして見ていると、当時、それなりに必死になってもがきながら、業績回復に向けて奔走していたことが思い出されますし、
改めて考えてみると、小さいながらも、メーカー→卸→小売と、一貫した流れを自社でやっていたのだろうな、と思い、
祖父にも父にも、ビジネスの先見の目はあったのだろうな、とも思います。
今、当時の小売店である実家を借りて、全く別の今の仕事をしていますが、
できることなら、こんな夢溢れる傘をつくれたら素敵だな、と思ったりもします。
本当のことを言うと嫌われることがある(苦笑)
こういうこと言うと嫌われます(苦笑)。
本当のことを言うと、時として冷たい人になります(苦笑)。
でも、本当のことだったりします。
未来のことは私は分かりません。
聞かれて答えられることは、
①過去、自分が実際にやってきて、成果を上げたこと、外したこと。
②これからどうなっていくのかの仮説と、自分が何を考えて、やろうとしていること。
の2つしか答えられないので、大きく「何をしたら良いか?」については、「知らん」となります(苦笑)。
特に未来のことは、私も「知らん」というのが本音です。
でも、過去、何度か、聞かれたことを、素直に答えたら、冷たい人になったり(苦笑)、嫌われたりしました(苦笑)。
「答えが欲しい」のか、「感情に寄り添って欲しい」のか、よく分からない時があります(苦笑)。
世の中には、ロジックや合理や論理として正解があること、例えば「利益の方程式」の正解というのはあって、それは知識を得れば誰でも手に入るのだけど、
正解がないこと、例えば、その人の人生の成功や幸せといったことは、その人しか決められないことなので、そればっかりは他人の私には分かりません。
私が「経営は人生」という定義を持っているのは、そういう価値観があるからだと思います。