友人に「ゴム・マニア」で人生を創る「ゴム男」がいます(笑)


ここ3年ほどで知り合った私の友人で「ゴム・マニア」のオッサンがいます(笑)。

長くオンラインサロンメンバーでもいてくれています。

今まで色んなマニアには会ってきましたが、「ゴム」って、後にも先にも彼しか知りません(笑)。

しかも、それが現在の仕事にも繋がっており、非常に興味深く面白く、勉強させてもらえる人です。

大手企業にお勤めの方なので、会社名や素性当は、大っぴらにはできませんが、よって動画で作ってみました(笑)。

京都の由緒正しい家系に生まれますが、本人曰く、特に勉強するでもなく、家ではゲームばかりやっている根暗な少年期、クラスの友達は多くて一人(笑)で、常に排除感と向き合う(苦笑)という、という、子供時代でしたが、

高校生の時に、地元のある産業展示会にフラリと出かけたところ、

たまたま素敵なお姉さんがブースでやっていたゴムのPRイベントに触れたことで、彼の人生は一変します。

「ゴムは一体何故ゴムなのか?」(笑)

この素朴で哲学的な疑問に触れた彼は、その探求と研究に彼は没頭していき、

難関の大学に合格、大学院まで行って、ゴム研究に勤しみ、

結果、日本を代表する「大手ゴムメーカー」(分かりやすい表現(笑))に就職し、

紆余曲折ありながらの活躍し、40代半ばの今やリーダー職に至ります。

彼と知り合ったのは「経営の勉強」の場でしたが、その探求力と、勉強熱心さ、徹底して要素分解までして解像度を上げる分析思考、そこから展開されていく論理思考は、

このゴムへの探求で培われた原型が、そのまま適用されていると私は思っています。

また、真面目な話から、シャレのきいた本音まで、会話の幅も対応でき、それは正しく、ゴムのように、しなやかに、柔軟に伸び縮みすることが分かってきて(笑)、

すでにゴムは彼の人生そのものに、私は感じています(笑)。

とにかく成長意欲が高く、勉強熱心、私の経営実験サロンにも参加してくれていて、zoomミーティングでは寝落ちしながらも必ず毎回時間通りに、何が何でも出てくれています。

私の場は、まぁお遊びだとしても(笑)、許す限りの読書から、他のビジネスコミュニティにも複数参加しながら、積極的に発言し、

ここ最近では、自腹で高額の経営リーダー研修にも参加して、社内にAIによる業務改善や効率化の具体的行動まで取り組んでいます。

あげく、プライベートでは、アイドルの「推し活」から(笑)、時間をみつけての一般の公共交通期間を乗り継ぎ駆使しての旅、からのケーキ・スイーツの食べ歩き、

最近は見た目のファッションにも興味を持ち、そこに関係する人や行事にも参加する、に至るまで、

このオッサン、通常の過酷な業務をこなしながら、限られた時間とお金を駆使しながら、

異常を通り越してイカれてんじゃないか?と思うほど、いつどこまでやり抜いてるんだ?の日々をフル回転させています。

決して、派手さはなく、いやむしろ地味なキャラクターの彼が、

地道に淡々と自分の進むべき道を努力している彼のリアルな日常を、この数年で知るにつれ、

私は、彼のような人は絶対に勝たせて、世に出したいと思うわけですが、

一見おとなしそうに見えて、内に秘めたる頑固で負けん気の強さを持っている彼は、きっとそんなこと、依存も期待も、私にはしていません(笑)。

きっと、このまま彼の思う通りに、自分で決めて進みながら、自分の人生を勝手に創っていくのだろうと思っていて、

私はできる範囲の応援くらいしかできませんが、

でも、色々とあった彼の人生や、人には明かさないような心情を知るにつれ、

こういう人のこういう生き方もあるんだよ、

こんなに24時間を頑張ってるやつがいるんだよ、

こういう人生の創り方もあるんだよ、

こういう一点集中突破というのがあるんだよ、

と、そこいら辺の、ただグダグダ喋って、頑張っている自尊心だけ強くても、何も手を打っていないぬるい経営者に、

ここまでやってんかい?と、いつか、リアルなサンプルで出したいな、と期待しています。

というか、私が一番、あぁ、こいつくらいやらんといかんのだろうなと、ほだされている訳で(笑)、

彼との出会いとご縁は、本当に貴重だと思って感謝している、大切な友人の一人です。

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60歳になりまして上等じゃねーか、ブチ抜いてやります(笑)

60歳になりました。

還暦っていうんですかね?

赤いレザージャケットで、次の10年へ向かいます。

まだ30代終わりの頃、株式上場へ向かっている最中、経営の師匠に、

「もう分かってると思うけど、カッコ良くいたいということは、カッコ悪いってことだからな。

もし50歳になっても、革ジャン着てたとしたら、それはホントにカッコいいよ。」

と言われましたが、60歳になっても革ジャンに、わーわーキャーキャー言ってる私は、もはや、恐ろしくスゲェカッコいい(笑)。

年寄りが、いつまでも自己承認欲求を満たすために、へばりついて頑張ろうとするのは迷惑で痛いだけだと思ってますが、

それは、無能なハゲジジイだからであって、

私は天才で有能だから(笑)、おぉ、上等じゃねーか、誰にも迷惑かけずに、世の中に目に物言わせてやらぁ(笑)。

そもそも存在が迷惑かも知れんけどな(苦笑)。

こっちはこっちで、また一歩、死に近づいて、もう時間がないから、そういう奴とは関わらんからな(笑)。

あと10年は人生の次のフェーズに向かって、糞ジジイパワー全開でブチ抜いてやるぜ、と目論んでいるので、

その妄想と具体案は、この場でも少しづつ出していくつもりですので、暇なときにでも見といてください(笑)。

ちょっとは落ち着いて、ダンディで、粋なカッコいい大人になれるように、反省もして(苦笑)。

多分、最後はクタっとヘタると思いますけど(苦笑)。

お世話になっている皆様に感謝を込めて。

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自分の範囲で変化したと思っている時は変化していない現実(苦笑)

何かの情報に触れたり、経験したりして、

「私は変わった!」

と言う人はいて、何が変わったのかよく見てみても、

「変わった、変わった」と本人が言ってるだけで、何がどう変わったのか、私にはよく分からないんですね。

そりゃまぁ、生きてれば、細胞変化は刻一刻としてるんだから、変わり続けてるんだろうけど、

(それを一般には「老化」という(笑))

人が、他人の変化を認知するには、余程劇的な外的変化がない限りは全く分からないというのが、今のところの私の結論です。

まぁ、一般には、太ったとか痩せたとか、ハゲたとか、髪型やファッションなどの見た目とか、

住む場所や、仕事が変わったとか、

業績が前年150%アップしたとか、

アウトプットによって証明されることで分かりやすい対象はあって、

ただ、それは、単に分かりやすいというだけのことで、

本人が大騒ぎするほど「変わった」とは他人は認知までしなくて、まぁ、よくある話だね程度なのだと思うわけです。

恐らくは、内的な思考性とか、ものの見方とか、視点とか、そういうものが「変わった」から「変わった」と言いたいのだろうけど、

内的要素が変わったなら、その証明としてアウトプットが変わって、結果、他人から見て「変わった」と認知されることで証明されるわけで、

やはり、結局「変化」というものは、他人が認識して初めて「変化」となることからは免れないのだろうなと、私は思っています。

というか、人は他人にそれほど興味がないように、

自分は、自分に興味のない他人の変化などどうでもいいたろうし、

他人もまた、自分のことになど大した興味などないのです。

逆に、

「あなたは変わった。」

と言われるときや、言いたくなる時はあって、

それは正確に言うと

「自分への優先順位が落ちた」「自分への時間が減った」「選ばれていない」

という自覚が生まれている時で、まぁ、それなら、誰からも求められる自分になる努力するしかないわな、

と思うわけです。

となると、「私は変わった」と言いたくなる時は、

他人から「変わったね」と言われるまで、魅力的になって、自他ともに認められる実績で証明するしかない、

という一択なるのだから、

自分から「変わった」と言いたくなる人は、いちいち言うことなく、

何かしらの圧倒的行動量をアウトプットして、他人から「変わったね」と言われるまでやり切った方が早いのだろうな、と思うのですが、

それはそれで、私はとても面倒くさいので、

「変化など、自分の意志の範囲では、大してできないものなんだよ。」

と、「変化」になど興味がないように見せかけて、何かの拍子にもしかしたら他人から「変わったね」と言わるといいな、

という姑息な手を選んで生きているところです(苦笑)。

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