逃げたいときの「距離×時間×回数」の使い方(苦笑)


関わる人が増えると、気がつけばブラックホールのように延々と生気を吸い取っていく人も必ず出てくる(苦笑)。

社会で生きている中で、遭遇してしまったら、逃げるしかない(苦笑)。

逃げても、何とかして追いかけてくるから、どうしようもないけど、どんな方法を使ってでも、何とか逃げるしかない(苦笑)。

 

人間関係は、

「距離×時間×回数」

で決まる。

 

ということは、

良くしたければ、三つとも1項目でも増やしに行き、

逃げたければ、何とか、一つでも多く、その逆を意図することが基本である(苦笑)。

 

相手を変えることはできない。

それなら、解決の方法はないので、何とか逃げて、相手に諦めさせるしかない(苦笑)。

相手は、それを察知する能力だけは高く(笑)、何とか近づいて、何とかしようとしてくるけど、

そしたら、それでもできる限り逃げるしかない(苦笑)。

 

理由や原因はどうあれ、自分を雑に使ってきたり、

言いたければ言いたいことを何でも全部一方的にぶつけても、受け取ってもらって当たり前だと思っている相手に、

こっちが無理して、何とか対応しようと試みると、自分の命が持ってかれる(苦笑)。

そういう人は、誰も寄ってこないので、またどっかに行くしかないので、別のどっかに行ってもらって、落ち着くまで、何とか持久戦に耐えるしかない(苦笑)。

 

基本原則とは、近づきたいときも、離れたいときも、同じだから、基本原則なのである(笑)。

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何でもできるようになって、できたものと分かったこと(笑)


AIが何でもやってくれるというから、わーい、じゃあ、もう何もしなくてよくなって、自分の自由な時間ができるぞ!

と思って、やってみたら、

今までは4時間もかけてやっていた作業が、たった数分でできるんだ!と気づいて、

わーい、4時間も時間ができたぞ、スゲェ、と思って、

もっとAIを勉強すれば、一体どれだけの時間ができるんだろう!?、と思って、

別のAIも、使い方を憶えて使えるようにしているうちに、

また新しいAIが出てきて、それも使えるようになった方が、もっと時間ができると思って、やってみて、

やっと使いこなせるようになった頃に、

また、どんどん新しいAIが増えてきたので、AIセミナーにも出て勉強して、それも全部やってみたら、

どんどん何でもできようになって、これなら、もうホントに、何もしなくても、どんな仕事でもできるぞ、

と思って、この2ヵ月の1440時間をフルに使って、何ができたんだろう?と思って、調べてみたら、

2ヵ月前に、4時間かけてやっていた最初の作業の分だけだった(笑)。

そして、それはもう必要なくなっていた(笑)。

何でもできる最新機能も、使う人間がバカだと、何もできないことが、やってみた結果、よく分かった(笑)。

やってみた者だけが、自分がバカだと分かる権利があるのだ(笑)。

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「価値」の本質が問われる時代と、明確でない時の言い訳(苦笑)


AIが当たり前になってきている中、「業務効率化」の文字が当たり前のように出てくるのだけど、

まぁ、当たり前ながら、「効率化」そのものには価値がない。

「業務効率化することによって価値が上がる対象においてのみ価値がある」

というのが正しい見解と思うのです。

 

仮に「業務効率化」して、空いた時間を使えたとして、何をするか?というと、

ゆったりとした時間や、あえて不便なこと、不効率極まりない時間に価値を見出し、そこにわざわざ時間とお金をかけに行ったりするのが人間だったりする。

 

例えば、最新の最新鋭のオフィスでハイテク機器を使って仕事して業務効率化した結果、何をするのかというと、

わざわざスマホの電波すら届かないような不便な山奥まで時間とお金を使って行って、労力を使ってテントを張り、自分で食べ物を採って、自ら火を起こして、食べるのにやっと、という、片方では時間を不効率極まりないことに価値を見出すのも誰かにとっては圧倒的な価値であったりするわけで、

それに対して、そんな不効率なことしなくて、クーラーの効いた部屋で何もしない方が効率的じゃん、と言っても、それは、わざわざキャンプに行く人にとって価値とはならない(笑)。

 

私で言うなら、今まで何時間もかけて自分で描いていたヘタクソな「お絵描き」を、

AIが、もっと上手く動画にまでしてくれて、質も量も圧倒的に高く効率化され、こうして毎日のようにアウトプットした結果、

空いた時間とお金が、(仮に)できたとして、で、何をしに行きたいかというと、憧れのプロの大御所イラストレーターの先生に、自分の絵を、何十時間かけてでも、お金を払って描いてもらいたいんです、

みたいな感じですかね(笑)。

 

あるいは、「業務効率化」ができるからといって、そもそも売れないものを大量生産しても、「効率化」どころか「不効率」の極みを招いた、みたいなシャレにならないことも、私は過去に経験しています(苦笑)。

 

「圧倒的な効率化」の結果、「絶望的な不効率」を取りに行くという、訳の分からない側面を持っているのが人間だと思うのです。

というか、最大の「効率化」は、そもそも何もしないことです(笑)。

 

人間の「価値」とは、そもそも「無駄」を創り出すことを「価値」としている側面はあって、

ご丁寧に「無駄」を創っておいて、それを「価値」と言いながら、さらにそれを「効率化」させるのが「価値」なら、

最初から何もしなきゃ良かったじゃん、みたいな(笑)、

言ってみれば、

「どうせ〇ぬのに、何でわざわざ生まれてきて、今日も生きてんだよ。」

という哲学的な探求に行き着くので、今後、特にその答えを自分なりに見つけ出す力は問われるような気がします(苦笑)。

 

「業務効率化」をあまりに前面に出されて違和感を持っているうちはいいけど、

情報の渦に巻き込まれ、いつの間にか、当たり前の常識になってしまって、

「業務効率化」は全てやっておかないといけない、と盲目的になって、「不効率化」する(笑)のは避けたいので、

だから、私は、あえて「不効率」で「無駄」なことをやって、物事を本質的に捉えようとしているのです、

という、あまりに「無駄」な人生を創っているかもしれないと不安になった時、自分を肯定化するように努力します(苦笑)。

 

あるいは、

「ねぇねぇ、もっとこうすれば効率化できるのに、何でそんな無駄なことやってるんですか?」

と他人に言われたら、

「えぇ、でも、わざとです。これに価値があるのです。」

とか何とか言って、ホントは無知で無能が恥ずかしいのを、まるで達観して分かってやっているように言い訳できるように必死で考えているところです(苦笑)。

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